「絶対に帰らせて頂きます」 そう言い切った小娘に、私は朗報を知らせてやることにした。 「ほう、それは良かったな。お前が言っていた寺、もとい神社が見つかったぞ」 さっさと身支度をするがいい。そう微笑んで告げた私に向けられた、小娘の表情はきっと一生忘れることが出来ないだろう。 月並みの愛 随分と日がかかってしまった原因は、無知な小娘にある。寺だ寺だと言うから都中の寺を探させたというのに、それらしき場所はひとつとして無かった。武市君や坂本君から話を聞きださなければ、一生見つからなかったかもしれない。 そこは、寺ではなく神社だったのだから。 無知にも程があるだろうと思ったが、無事に神社を見つけることが出来たのでよしとしよう。 真新しい神社に、とてもそんな効力があるとは思えなかったが、私は小娘を連れてその場所に訪れた。 「ここ、です」 社の全景を目にした途端、小娘は息を飲んだ。その手にはスクールバッグとかいう荷物がしっかと握られており、その身を包むのは着物ではなく制服。この時代に訪れた当初と、全く同じ姿をしていた。 「そうか。よし、帰るがいい」 「その、私、どうやって帰ればいいかわからないんですけど」 「同じことをすればいい。その為に今日はその珍妙な格好をさせたのだからな」 帰り方がわからないという小娘の言葉は予想出来ていた。私にも帰り方なんてものは分からなかったが、この時代に来た時と同じようにすればいいと考えていた。 腕を組み、これが時代を超えるような効能のある神社なのかと、興味深げに見ていたところで声がかけられる。 「あ、あの、この時代に来た時に無くした物があって、それが無いと帰れないんじゃないかなって」 どこか怯えた様子で恐る恐るそう告げる小娘に、私は胸元から珍妙な根付を取り出して見せた。 「その失くした物とは、これのことか」 それは猫の形を模しており、一見根付のようだが、材質がこの時代では目にかかれないもので出来ていた。それを目にした小娘は、ぱっと口元を両手で押さえる。 「どうしてっ」 「この神社だと検討が付いた際に、一通りこの辺りは探させた。何もおかしなところは無かったが、唯一、この根付だけが珍妙だった」 小娘のようにな、そう言って私は笑う。 けれど口元を押さえたままの彼女は、ただただ固まるばかりだった。 「これで全ては揃っただろう、どこへでも行け」 ゆらゆらと揺れる根付を、小娘はどこかうつろな表情でそっと手にした。いまだ信じられないと言った様子で、そのか細い手でぎゅっと根付を握り締める。 「は、はい。ありがとう、ございました」 「帰りたい帰りたいとうるさかったが、ようやくこれで帰ることが出来そうで気でも抜けたか」 「そ、それは、大久保さんが人使い荒いせいですっ」 憎まれ口を叩きながら、彼女と並んで歩く。 しめ縄の前に来たところで、小娘はこちらを振り返った。 「これが、未来では千切れてたので、結んだんです。そしたらこっちに来てて……」 目の前にあるしめ縄は綺麗なもので、結ぶ必要もなさそうだった。帯刀していた刀に、私は手をかける。 「ならば私が切ってやろう。切った瞬間に帰る事になるか、切った縄を結んでから帰る事になるかは、知らんが」 いいな、と私は小娘に聞く。心とは裏腹に、顔には笑みを貼り付けながら。 彼女は口を真一文字に結び、何か決意したかのような表情で、こちらを見上げた。 「大久保さん。ありがとう、ございました」 その瞳が濡れているのは気のせいだと思うことにした、そうでなければこの縄を切り落とせそうにない。 小娘の顔から視線を外し、私は鞘から刀を抜いた。 これを切り落とした瞬間に彼女は消えてしまうかもしれない、そうであれば二度と会うことは叶わないだろう。 それでいい。 最初から私は、それしか願って居なかった。 元の場所に帰すこと、そしてそれまでは何があっても彼女を守ること、それが私に出来る最良の選択だった。 そこに私の私情を挟む必要は、無い。 刀を振り上げた刹那、口走った言葉はせめてもの。 「あやね。お前のことは、憎からず思っていた」 瞬間、身体に衝撃が走る。 振り下ろした刀は空を切り、私の身体は地面へと倒れこむ。 何が起こったか分からぬまま、ゆっくりと目を開けると、真っ青な空が目に入った。久々に青天井を見せられたなと思う。 そしてその空を背に、あやねが私の上で泣きじゃくっていた。 刀を振り下ろす瞬間に、彼女に押し倒されたのだと気付いた。 「どうしてっ、そんなこと、最後に言うんですかっ」 そんな事言われたら帰れない、そう言ってあやねは私の胸元に涙を落とす。 その言葉に胸のうちを抉られる思いだった。 あんなことを口に出すだなんて私らしくない。 口になど出さねば良かった、心に秘めておくべきだった。 頭が悪いなら口を開くもんじゃないと言ったのは、誰だ。 自分自身の行動を忌々しく思いながら、顔には出さずに、半身を起こした。 「何をする、この刀はお前が扱う竹刀ではないのだぞ」 怪我でもして帰られたら夢見が悪い、そう付け加えて私は脇に落ちている刀に視線をやった。まるで、先程の彼女の言葉など、聞こえていないかのような言葉を選んだ。 けれどあやねは、私の考えなど見通しているのか、怯むそぶりも無く私の上から動こうとはしない。 「話をそらさないで下さいっ、いつもそうやって憎まれ口ばっかり叩いてっ、本当は違うのに!」 「買い被りすぎだ。お前だって仕事を押し付けられて帰りたがっていただろう。早く帰れ」 「それは、私がっ、悩む暇も無いようにだって、知ってます!」 藩邸の誰かが口を滑らせたかと、眉をかすかにひそめる。 「……同じ事を何度も言わせるな、帰ればいい」 「帰りませんっ!大久保さんが、憎まれ口ばっかりなのも、仕事をいっぱい押し付けるのも、全部、私のためだって知って、だから」 傍に置いて下さいと、こいねがうように呟き目を閉じた。 その言葉にも表情にも、全てに胸のうちを締め付けられて、溢れ出んとする言葉は、私には止められなかった。 「そこまで分かっているのなら、私が誰のために、帰りたくなるよう仕向けたと思っているんだ!」 小娘を預かることになったその日から私の考えは決まっていた。 身を守ることは当然だとして、帰るように仕向けなければいけないと考えていた。 そこに情だの何だのが在れば、帰ることを彼女はためらうだろうと。 違う世界に家族や友人を持つ彼女を、ここに引き止めることは絶対にあってはならない。 そして出来ることなら、この世界に大した思い入れも無く、未練も無く帰って欲しいと願っていた。 自ずから「帰りたい」と、あやねに思わせ続けることが重要だった。 はねっかえりの性格をしていることは、初めて逢った時からわかっていた。帰してやると優しく言い続ければ、きっと彼女は何らかの情を抱くだろうと思っていた。 それ故に、私は事あるごとに、真逆の言葉を彼女にかけた。 帰さん、と。 そして、その考えは当たっていた。そう言うたびに、彼女は絶対に帰ってやると頼もしい台詞を言ってのけていた。 ただ、それも先程までの話だが。 初めて逢った時からわかっていた、私の思い通りになるような娘ではないと。 ただ、こうも思い通りにならないとは、予想だにしなかった。 手の甲で目元を多い、小さな声で苦笑した。 ああ、これだから、私はこの女に惹かれたのだ。 ひとしきり笑ったところで、私の膝の上から動こうとしないあやねの顔に視線をやる。 どうして私が笑っているのか分からないと言った表情で、子供のように涙を流している。その涙は彼女の純粋さそのものだった。 「私は、大久保さんのことがっ」 そのまま続きかけた言葉を、指先でそっと制した。 そこまで女に言わせてしまっては、男が廃る。 唇を指先で押さえられたまま、彼女は目を丸くして、こちらに視線を向けた。その視線に、唇の端を軽く上げて答えてやる。 「小娘、いい事を教えてやろう。だから、どけ」 「……勝手に、あの縄を、切ったりしませんか」 「ああ、切らないと約束してやる」 そう言って笑うと、小娘は私の膝の上からそっと腰を上げ、立ち上がった。 私はと言うと、そのままの姿で、腰に付いた砂を払う。 不安げな彼女の顔を見上げながら、私はその場に膝を付いた。 そして彼女の右手を取り、そっと自分の口元に寄せる。 びくと白い指先が震えた。 なに、この手をとって食おうというわけじゃない。 その反応をおかしく思いながら、顔を上げて、あやねと視線を合わせた。 「初めて逢った時から、愛していた」 手の甲に口付けながら、その頬が薔薇色に染まるのを、私は見逃さなかった。 20110125 |