これで何日、俺は藩邸を留守にしているんだろうか。
逗留先の旅館でひとり、指折り数えてみるものの、何だかよく思い出せなくて途中で数えるのをやめた。
いっそ全て小五郎のやつに任せてしまえばよかったと、今でも思う。
ここに来る前に、出来ることならそうしてくれと、小五郎に駄々をこねては見せた。いやだいやだと子供のように嫌がって見せるも、もちろん小五郎には通用するはずも無く。
すべて見透かしたかのようにして、奴はお決まりの薄っぺらな笑顔でこう言ったのだ。

「奇兵隊総督高杉晋作殿、ご自分の立場を分かっておありか」

こう言う時ばかり奇兵隊総督の名を冠するのだから、アイツの性格は相当に悪いと思った。
全く、今日で何日、俺はあやねに会えていないのだろう。
旅館の一室で文をしたためようにも筆は進まず、口をついて出るのは小さなため息ばかりだった。
三千世界の烏を殺し?
いや、駄目だ。それはもう何度も唄ってみせたことがあるし、ネンネなアイツにはまだ本来の意味を伝えられない。
進まぬ筆と書き損じた紙に、頭の中はぐちゃぐちゃで、もう爆発しそうだった。
俺が留守にしている間に小五郎のやつが変な気でも起こしてないだろうか。小五郎はともかくとして坂本やら岡田やらに手を出されてはいないだろうな。武市にしたって澄ました顔をして頭の中はただの男だ。中岡だって外見に気を取られがちだが、決して気を許してはならない。
一番の強敵は、大久保さんに違いないんだろうが。
悪い想像ばかりが頭を駆け巡った。いっそ声に出して叫びたい気分だ。
俺がいない間、どうやってあの鈍感で無防備極まりないあやねを繋ぎ止めておけるというのか。
そうして進まぬ筆は、気が付けばあやねに当てた恋文ではなく、小五郎に宛てた注文書になっていた。





空が落ちる





明くる日、逗留先の旅館に小五郎からの手紙が届いた。今か今かと待ち望んでいた手紙に、俺は胸を高鳴らせて読み進める。そこにはアイツらしい神経質そうな文字で、簡潔にこう記してあった。

『頼まれた通りに評判の干菓子をあやねさんに贈りましたが、多少は喜ばれはしたものの表情は優れません』

肩をがくりと落とした。確かにあの干菓子は美味いと、喜んでいたはずなのだが。どうやら上手く行かなかったらしい。
結局あの日、いくら机に向かっても筆は進まなかった俺は、手紙の代わりに物を贈ることにした。贈り物をされて喜ばぬ女など知らなかったから、これはいい考えだと思い、小五郎にあれやこれやと注文を書き付けた手紙を送っておいたのだ。
今回は失敗したらしいが、まあいい。次は上手くいくだろう。
今度はどうしたものかと考えて、団子が駄目なら花よと、俺は小五郎あてに新たな手紙をしたためることにした。
すると数日してから、俺の手元にはまたもや簡潔な手紙が届いたのだった。

『頼まれた通りにあふれんばかりの花を贈りましたが、あやねさんの機嫌は優れません』

花より団子でもなければ、その逆でもないらしい。
さて次はどうしようかと考えてから、女ならば喜ぶに違いないものを贈ることにした。今度こそ喜ぶに違いないと、俺は一人で確信する。
そして数日後、届いた手紙に俺はすっかり目を丸くさせられた。

『髪飾りに帯に着物に、ありとあらゆるものを贈りましたが機嫌は悪くなる一方です』

こちらに逗留してから早半月ほど経つが、こんなに贈り物とやらが難しいとは思いもよらなかった。
ここまで手堅い女も中々居やしないだろう。
もしや未来の世界では思いもよらぬとんでもない贈り物が平然と行き交っているのかもしれないと、荒唐無稽なことを考える。それより機嫌は悪くなる一方だと言うが、よもや他の男が近付いてきてはいないだろうなと邪推した。
そんな不届きものがいたら、この手で叩き斬ってやるだけだが。
その後も思い付く限りの贈り物を送り続けるも、最後まで小五郎からの吉報は届かなかった。
そうして、ようやく一段落し、長州藩邸に帰ることとなった今日。
嬉しいはずのあやねとの再会は不安だらけだった。
何を贈っても喜ばなかった彼女は、一体どんな顔で俺を迎えてくれるというのだろうか。
恐るおそる藩邸に足を踏み入れると、懐かしい声が耳に届いた。

「晋作さん?」

軒先で洗濯物を干していたらしいあやねは、俺の姿を見るなりその場にまっさらな洗濯物をバサバサと落とした。目はどんぐりのように丸く見開かれている。
ずいぶんと驚かせてしまったようだが、さて彼女になんと言おう。普通にただいまとでも明るく言えばいいのだろうか。

「今、帰った!」

そう無駄に明るく宣言して見せる。すると、あやねがとたとたと小走りでこちらに駆け寄ってきた。
まともな贈り物も出来ないのかと怒られるのかと思いきや、彼女は静かに俺を抱き締めた。
そして一言、何か言われるのだと思って言葉を待つも、いくら待っても言葉は出てこなかった。
どういうことだとしばし呆然としながら、行き場のない手をあやねの頭にやって、よしよしと撫でてみた。

「そうか、俺が居なくて寂しかったのか!」

そう、いつものように冗談混じりに言うと、胸元であやねがこくりと首を縦にふった。
困った。
この反応は予想してない。
途端に羞恥で顔が赤くなる。せめてもの救いは、しがみつくようにして抱き着く彼女には、この赤く染まった顔が見えないということだろうか。
しかしどうして、あんなに物を贈ろうがなびかなかったあやねが、どうしてこんな。

「怒っていたんじゃないのか?」

たまらずにそう聞くと、あやねは首を縦に一度だけ降った。
ああ、やはり。
その無言の肯定に、俺の心臓はちくりと痛む。
けれども次の瞬間、彼女の切なげな言葉で、すべてがどうでもよくなった。

「あんな豪華な贈り物より、晋作さんの手紙が欲しかったの」

そう言ってあやねは、本当に悔しそうで、どこか悲しげにも見える表情でこちらを見上げる。
その姿に、すっかり俺の胸は押し潰されてしまった。
なんて可愛いことを、コイツは言ってくれるんだろうか。
たまらなくなって、俺は彼女を抱きしめ返した。力加減も忘れて、その小さな身をしっかと抱きしめた。
悪かった、俺ほどの馬鹿もいないだろうと、そう言って笑って見せる。
もしも今後、こんな風に傍を離れる時があれば、何よりも先に彼女へ手紙を贈ろうと決めた。
いい文章が思い浮かばなくてもいい、格好付ける必要なんてない。
ありのまま想いを綴れば、きっとそれで十分なんだろう。
たとえその手紙が、「愛している」の五文字だけだったとしても。





20101219


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