私が薩摩藩邸にお世話になることになって一週間ほど経つ。 自分でもよくわからないまま、この世界にやってきて、しかも何だかこの世界は私が居た世界より過去みたいで、なんかもう訳がわからないんだけど、わかることが一つだけある。 私を預かってくれることになった大久保さんと言う人は、とっても意地悪で人使いが荒いということだ。 こんなことなら私を姉さんと慕ってくれる可愛い慎ちゃんや、穏やかで優しそうな桂さんの居るところにお世話になればよかったんじゃないかなってたまに思う。 大久保さんもきっといい人なんだろうけど、そう思いたいんだけど。 「小娘、それが終わったら私の書斎に来い。他の仕事を与えてやろう」 洗濯物の山を抱える私に、すれ違いざま大久保さんはさらりと告げた。この洗濯物の山が見えていないのかと、ポカンとする私とは逆に、その表情は明るいもので。そのまま去って行く大久保さんの、背中に視線を向けた。 「ああ、いい労働力が手に入ったものだ」 聞こえてますよと、その背中に言いたくなったけれど、私は諦めて洗濯物をこなすことにした。 月並みの嘘 大量の洗濯物を終えてから私が書斎に向かうと、大久保さんは書斎机で洋書に目を落としていた。一体何なのかと思いながら待っていると、一瞬コチラに視線を向けてから彼は手招きをする。 「これは、どう読む?」 そこには細かい字でずらっと英文がならんでいた。英語の教科書に比べたらずいぶんと難しそうだったけれど、辞書を片手になら何とか読めそうな文章だった。 分からない単語を飛ばしながら、分かる部分だけ訳すと、大久保さんは満足げな顔をした。 「ふむ、未来の教育水準はそれなりらしいな」 どこかトゲのある言葉だと思いつつも、これでも英語はマシだったんだからと口に出さずに思った。 どうやらあれから大久保さんは、高杉さんが言うように私が未来から来たということで納得したようだった。 それからと言うもの、ちょくちょくと洋書でつまずいた大久保さんに呼ばれている。他にもオランダ語やドイツ語も見せられたけど、それはもちろんサッパリだった。 英語に関しては今はなんとか大久保さんに説明出来るレベルだけど、きっとしばらくしない内に私なんて必要なくなるんだろうなと思う。 オランダ語とドイツ語と英語を平行して習得しようとしている彼は、本当にすごいと思う。 「そういえば、大久保さん」 楽しげに洋書を読み進める彼が、視線を止める。なんだ、とでも言いたげな表情をして顔を上げた。 「あの、お寺のことなんですけど、見つかりそうですか?」 あれからお寺を探す暇も無く、こき使われる日々を送っていて、すっかり忘れてしまいそうだったけど。 すると大久保さんはにやりと笑ってこう言った。 その顔は、今までに見たどの表情よりも、意地悪なものだった。 「この私がやすやすと、これほど面白い労働力を手放すと思うか?」 そしてまた視線を本に落とす彼を前に、私はわなわなと両の手を拳の形に作って握り締めた。 もしかしたらこんな風に、思われてるんじゃないかって、薄々気付いてはいたけれど。 まさか本当に私を帰すつもりがないだなんて、誰が考え付くんだろう。 もういっそ泣き喚きたくなる気持ちを抑えながら、私は藩邸に響き渡らせるつもりで、声を荒げた。 「大久保さんのっ、いじわるっ!」 それだけ元気が良ければ大丈夫だと笑う彼に、絶対に帰ってやるんだからと、私はあらたな決意を胸に秘めた。 NEXT 20101118 |