小娘を預かることになってから、しばらく経った。
出会い頭からとんだジャジャ馬だとは思っていたが、だいぶ私の嫌味にも慣れて来たのか多少は大人しくなったと思う。
ただ、相変わらず小娘は私に懐く素振りは無く、中岡君や坂本君に見せるような笑顔を振りまくこともない。
まるで野良猫でも拾ってきたかのようだ。
一体いつになれば小娘は私に懐くのだろうかと、私の心とは裏腹な青い空を見上げる。
秋晴れという言葉が思い浮かぶ、胸がすくような晴天だった。
その真っ青な空に、ひとつの黒い影が現れる。その影はゆるやかに滑空し、ヒンカラカラと甲高い声をあげた。コマドリだ。
どこに行くものかと眺めていると、その小さな体は通い慣れているかのような素振りで、中庭の餌台にふわりと舞い降りる。そして用意されていた餌をつつき、羽を休めた。
誰があんなところに餌台を作って良いと言ったのか。
犯人探しが必要だなと考えつつ、頭の中には名案が思い浮かんでいた。
このひらめきに免じて、目を瞑ってやることにする。





My little blue bird.





コマドリの一件から三日後、私の書斎には長椅子が運び込まれた。壁一面の本棚と、書斎机と椅子しかない簡素な部屋に、深紅のそれが色を差す。
わざわざ特注で作らせるような物でも無かったので既製品を頼んだが、なかなかどうして、書斎にしっくりと来た。
まるでこの部屋にあつらえたかのようだと満足していると、扉の向こうから小娘がひょいと顔を覗かせた。
書斎に顔を出すなんて珍しい。
興味深そうな視線を長椅子に向ける小娘に、私は微笑みかけてやる。

「座れ」

その言葉に小娘は顔をグシャリと崩すも、おずおずと室内に足を踏み入れた。

「ソファ、買ったんですね」
「ソファ?ああ、この長椅子のことか」
「私、座ってもいいんですか?」

もちろん。そう言葉にする代わりに、右手をソファに向け、座るように促した。
すると小娘は、恐るおそると言った様子で、真新しいソファに腰を下ろした。やわらかそうなスプリングが、彼女の身を受け止める。

「わあ、ベッドみたい!」

そう言ってはしゃぎ、子供のように身を弾ませた。
その笑顔がソファではなく、私に向けられた物であれば言うことは無いのだが。
何はともあれ、その日から本棚と書斎机と椅子だけの簡素だった部屋に、深紅のソファが色を差すこととなった。
そして、色味の無かった部屋に、訪れた変化はそれだけでなかった。
小娘が自ずから、今まで見向きもしなかった書斎へと訪れるようになったのだ。
かと言って、書斎にこもり二人で談笑をするだとか、そういうことは特に無い。せいぜい二、三言の会話を時たまするだけで、基本は二人そろって活字に視線を落としていた。
私は書斎机に腰を下ろし、向こうはソファを定位置として。
決して物理的な距離が縮まったわけでもない。
だが、一日の大半を書斎で過ごす私にとって、その変化は大きかった。今までは私が座る椅子しか無かったので、当然の変化と言えるかもしれないが、それだけで十分だった。

「大久保さん、夕飯ですよ!」

ある時、私は小娘の呼び掛けで目を覚ました。
一瞬、まどろんだ頭では状況が理解出来なかったが、室内の様子を見渡し理解した。
どうやら私は、ソファでうたた寝をしていたようだった。
確かその日は徹夜が続いており、わずかでも仮眠を取ろうとソファに寝転んだのだ。そして、そのまますっかり寝入ってしまったらしい。
私としたことが、小娘に寝顔を見られるとは不覚だった。
あくびをかみ殺しながら、私は身を起こした。

「寝心地は良かったですか?」

悪戯っぽく小娘が笑う。悪いところを見られたものだ。

「このソファ、ふかふかですもんね。いいなあ」

そう言って私の隣に腰掛けて、肌触りのいいソファを撫でてみせる。すっきりとしない頭をクシャリと掻いてから、そちらに視線をやった。

「ここで眠りたければ勝手に眠るがいい。誰かに襲われても知らんが、な」

そう言葉に含みを持たせて微笑むと、小娘は頬を染め、眉をひそめた。
それが先日の出来事で、ようやく話は現在に至る。

「……ん?」

書斎の扉の前で、私は一人、首を傾げた。
今日は朝から藩邸を出ていて、日が暮れてからようやく帰宅出来たところだった。ひとまず腰を落ち着かせようと、書斎に向かったはいいが、扉が開かないのだ。
どういうことかと不思議に思うも、もちろん鍵は私が持っている。勝手に鍵が下りたのかもしれないと考えつつ、鍵穴に鍵を挿し込んだ。
ガチャリと鈍い音を立て、扉が開く。
そのまま書斎に足を踏み入れたところで、視界の端に違和感を覚えた。
机に向けていた視線を、ソファにやる。
深紅のソファの上で、小娘が静かに寝息を立てていた。

「……誰かに襲われても知らんとは言ったが」

鍵をかけて閉め出すことはないだろう。
彼女なりの自己防衛を微笑ましく思いながら、こぼれそうになる笑い声をこらえる。
無防備な顔で眠る小娘の側に、そっと歩み寄った。
猫の仔のように背を丸め、肘掛を枕替わりに眠りこけている。

「寝心地は良いか?」

いつか聞かれた台詞を、そっくりそのまま返してやる。
いつからこうして眠っているかは知らないが、しばらく起きそうもない。

「あやね」

呼びなれない名前を呼ぶ。すると、声にならない声が聞こえた。

「ん」

そう言って身をかすかに動かし、また彼女は眠りの体勢に入ろうとする。
よほど、このソファが気に入ったらしい。
ひたすら眠り続けるあやねの頬を、そっと撫でた。
その無防備さに魔が差しそうだと思いながら、そんな姿を見せてくれたソファに感謝した。コマドリと、あの餌台を設置した誰かにも。
あやねが目を覚ますまで、こうして傍にいることにしよう。
このソファをあつらえた理由を話せば、小娘はきっと笑うだろう。
もしかすれば、信じることもないかもしれない。
眠る小娘をいいことに、その言葉を口に出そうかと思うも、やめることにした。
かわりに私は心の中で、誰に言い聞かせるわけでもなく、呟いた。
少しでもいいから。
君の傍に居たかった。





20101109


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