何もかもが霧散してしまい、襲い来るものに此処は悪夢だと抱いてしまった

けれど、こちらが現実であり、先程のが夢だとすぐにわかる

何処かの部屋を映す瞳が滲んでしまいそうなのを耐え、ミクニは身じろいだ


「エル…此処は?」

「バランの家だ」


天井を見るように顔を上に向ければ、エルシフルが覗きこむように顔を見せる

彼の膝の上で横になったままミクニは、此処が何処か聞いた後、その状態で視線だけを滑らして部屋の様子を窺った


「おはよう、ミクニちゃん」


気だるい身体を起こした時、ちょうどバランが姿を見せる

よく見ると、近くにはエリーゼとアルヴィンがソファに眠っていた


「他の皆は?」

「他の子は隣の部屋。まだ眠ったままだよ」

「そっか。ありがとう、バラン。皆を置いてくれて」

「気にしない、気にしない」


彼の従弟であるアルフレドことアルヴィンと共にいたとはいえ、トリグラムという場所に送るだけでなく、自身の家に全員を置いてくれたバラン

少しは疑わないのか、と思いたくなるが、彼はそういう性格なのだと悟って、気にしないようにした


「うーん…にしても、やっぱ調子が悪いな。後で調整が必要か」

「…バラン、それって…」

「エルシフルも何だか気になっている様子だったけど、もしかして黒匣のこと知ってる?」


右足に違和感を感じているように動かし、その足首に装着されている小さな機械に触れるバラン

その様子に――正確には当たり前のようにバランが言った黒匣にミクニは眉を寄せた


「色々とあってな。政府の関係者ならば、聞いているのではないのか?バラン」

「最初にも言ったように少しは、ね。詳しいことは知らないけど、その様子じゃ良い印象を二人は持ってないか」

「…黒匣は、マナで構成されている精霊に害をなす。バランは知ってるの?」

「知ってるよ」


リーゼ・マクシアに対してどのようなことをエレンピオスが行ったのかバランは知らないようだった

本当は全て聞いているのかもしれないが、知っていたからといって何にも変わりはしないだろう

ただ、黒匣が精霊に害をなすことを知っているのかを尋ねて、肯定された瞬間にミクニは瞳を見開いた


「なら、どうして君たちは…!」

「でも、一般人は知らない。それに僕は、これがないと歩けないんだ」

「え……」


精霊の存在も、精霊が死んでしまう事も、この現状になっている理由も知っている

それがわかり、ミクニは問い詰めたくなったが、バランが何でもないように口にした言葉に声は止まった

バランは気にすることでもないように言ったが、ミクニの聞き間違いでなければ、彼は黒匣がなければ歩けないとそう言った


「小さい頃に事故にあってね。それ以来、これがないと僕は普通に歩けないんだ」


周囲のマナを集めていく黒匣

彼の足を一時的にも治すようにマナを働かせているのだろう

その黒匣を装着したバランの足元の姿に、ミクニは再び立ち上がった姿で現れたミラを重ねた

バランと形状は違うが、その足に精霊の化石を輝かせた機械は黒匣に似ているものだった

それが何となく彼女の足を癒している要因だとわかっていたし、他の黒匣とは違い精霊達にも周辺のマナにも影響を出していないため口を出さずにいた


「…そういう人が、エレンピオス人にはたくさんいるの?」


悩むように口を閉ざし、バランの足元を見つめていたミクニがようやく口を開いて聞いたことはそれだった


「まあね。足はもちろん、命にかかわる心臓に埋め込んでる人だっているよ」

「心臓に…」


心臓にも黒匣が用いられていると知った時、黒匣がエレンピオス人にとって命に関わる程のものであると思う前に、ミクニの脳裏には仲間であるレイヴンが浮かんだ

“人魔戦争”という人間と始祖の隷長との間に起った戦争により、レイヴンは自身の心臓を失い、心臓の代りを果たす“心臓魔導器”をその身に埋め込まれた


(黒匣の中には、心臓魔導器のような本当に必要性があるものも存在する)

(けど…だからと言って…)


レイヴンのように命に関わるようなものならば使用しても仕方がないとは思う

だが、それだけの理由で黒匣をミクニが認められるはずなどなかった


「ありがとう、バラン。少しエレンピオスの事がわかったよ」

「おや?何処かに行くのかい?」


それからいくつか質問をした後、ミクニはエルシフルと共に立ち上がる


「悪いけど、アルヴィン達のことお願い。私達は失礼するよ」

「アルフレド達のことは別に構わないけど、何も言わなくていいの?」

「彼らと私達、今は一緒にいない方がいいから。それに私とエルシフルは、二人でエレンピオスを見てみたいんだ…」


ミラ達と自分達は意見が対立している

彼女達が目を覚ませば、断界殻について論議することだろう

相手の考えを聞かなければならないが、意見を交わし合う前に、エレンピオスの世界を知るべきだとミクニは思った

これから選ぶやり方で、精霊、人、多くの存在の運命が左右されてしまうのだから


「ふーん、そっか。まぁ、何か困ったことがあったらいつでもおいで。僕でよかったら相談に乗るからさ」

「うん。その時は、またよろしく。バラン」


彼らと自分らの間に何があるのかをバランは聞かず、ミクニとエルシフルを見送る

バランの家から出ると、通路があり、それに沿うようにいくつもの扉があった

どうやら一軒家ではなく、共同住宅のようである

幅広い廊下を歩き、昇降機らしきもので下へと降りると、此処に住む人たちが共同スペースで会話をしているようだった


「ここに異界省の役人が住んでるせいで異界炉計画に反対してるやつらが押し掛けて迷惑だ…」

「人権を守れって、騒音に悩まされる俺らの人権も守ってほしいもんだ」


内容は異界炉計画であり、此処らに集っているエレンピオス人の話題はそれが主らしい


「黒匣関係の税金があがるのも、例の異界炉計画のせいでしょ。まったく政府は何やってんのかしら?」

「リーゼなんとかなんて未開の土地、どうにでもなるでしょうに」

「でも、そこに住んでる人達のことを考えるとねぇ……」

「あたしだって、何をやってもいいとは思ってないわよ。正当な対価を支払って、発展を約束してあげればいいって言ってるの」

「でも、その対価も私達の税金でしょ。結局、税金があがるんじゃないの?」

「そこをなんとかするのが政治家の仕事でしょ?エネルギー問題をなんとかしないと、近い将来に生活がなりたたなくなるんだから!」


エネルギーと表現をしたところからも、バランが言った通りそのエネルギーというものが一般人は理解していないのだろう

そしてリーゼ・マクシアがどのようなものであり、エレンピオスの政府がリーゼ・マクシアに対して否応なしに戦争を仕掛けた事も、また……

いや、話の流れからしても、政府がリーゼ・マクシアに軍を送り込んだのは知っているのかもしれない

あれだけの大軍だったのだ

知れ渡っていても可笑しくなどないだろう

ならば、それが意味することも全員とは言わないが、大半は予想出来ているのではないだろうか?

だから、人権のことや、リーゼ・マクシアの人々に申し訳ない様な言葉も中にはあったのだろうとミクニは思う


「…此処の人達は、さすがに自分達の危機はわかっているか…」

「ああ。だが、黒匣を見直すという方向はないようだな」

「彼らにとって、精霊は単なるエネルギーと言う認識もあるためだろうけど、それだけ黒匣に依存してるんだね……本当…愚かだ…」


目前にまで迫った危機が目に見える形で現れ、それによって自分達のことを優先するのは仕方ないのかもしれない

誰だって、他人よりも自分や身内の方が大事なのだから

けれど、幾ら黒匣に依存しているからと言って、未だに黒匣に縋りつく姿に、ミクニは冷めた言葉を吐き、それ以上身勝手な話しを聞いていられないとばかりに建物を出た


「…っ…また…」

「ミクニ、此処から離れよう」

「ううん。もう少しだけ、このトリグラムを見てみないと…エル。悪いけど、付き合って」

「…わかった…」


先程より一段と嫌悪を感じさせる空気が身体を襲うと、肌の下で落ち着いていたマナが乱れそうになる

ようやく元に戻ろうとしていた皮膚が痛みを伴って再び蠢きながら変化しようとした

それに気づいてエルシフルがミクニの手を取り、彼女のマナを安定させながら、黒匣が溢れている此処から離れることを提案する

エルシフルが言ったように、此処から離れたい気持ちがあったが、それに対してミクニは首を振った


「それにしても…黒匣の都、か…」


鉄と石で出来た建物や通路

植えられている緑も、黒匣を備えられてようやく生えているようだった

建物を結ぶように空中を奔るケーブルは、家庭や電灯に電気でも送っているのだろう

そして、そのエネルギーもまた、黒匣によって発電されているのだと想像できた

これらだけでも十分過ぎると言うのに、至る所に張られた異界炉計画推進ポスターは嫌みとしか言いようがない

街の中には異界炉計画を反対する人もいるようだが、そのような人達も結局は黒匣を使用している人が大半

その上、このような事態にも関わらず、未だに新たなる黒匣を作りだしているという張り紙を見た時には、怒りなどを通り越して、呆れを抱いた


(彼らには…変わろうとする心はないの?)

(こんなになっているのに…っ)


彼らが本当はどう思っているかはわからないが、この街のあり方、彼らの言葉から、彼らが黒匣を放棄する可能性は低いことだけは察せれた


(皆は…ユーリ達を始め、世界の人々は変わってくれたのに)

(…やっと…魔導器による争いがなくなったというのにっ…!)


ユーリ達は世界の実態に向き合い、魔導器を放棄し、一から新たな時代を築き上げた

その頃の光景を見せた夢がミクニの視界を覆い、この悲惨な現状を創り上げたエレンピオス人に対する怒りが胸を掻き毟る

認識していようが、していないだろうが、黒匣を使って精霊を殺し続けたことも

危機に陥れば、黒匣をやめるのではなく、リーゼ・マクシアを狙ったことも

真実を表沙汰にしないのも、知ろうとしないことも

何もかも、腹立たしかった


だが、何よりもミクニが許せないのは


自分自身だった―――


(みんな…、ごめん…)

(せっかく、皆が世界を変えてくれたけど…約束、したけど…)


皆が守り、皆が変え、皆が生き、皆が愛した、あの“理想”に近かった世界

その世界を見守り続け、皆が残してくれた世界を存続させることを誓ったはず

それを糧に存在してきたというのに、もう、皆が築いてくれた“理想”の面影も残されておらず、“希望”さえ感じさせないこの“絶望”と言わせる現状に、ミクニは心の内で自問自答する


(これじゃ……皆が消えた後も、この世に存在してきた自分は一体…っ、何だったんだろうか?)


仲間の分も世界の均衡を保つことを努めてきたが、結果がこれでは、今までの自分の全てが無意味に思える

何百年も生きてきたのに、それらに意味がないのでは、単に自分がこの世に居たのは、苦痛を味わうためだったのか、とミクニは今までの人生を嘲笑いたくなった


(……ねぇ、ユーリ…君は何のために、私を…っ)

(それとも…これが君の…、望み?)


最後に自分の前から消え、自分を置いて逝ってしまった愛していた人に問う


彼は自分に、何を望んでいたのかを――


もちろん、応えなどあるはずもなく、数百年間何度も問いかけてきた時と同様に、返ってくるのは“無”

わかっているとは言え、その“無”という空白がミクニを苦しめるには十分だった


「エル……私がどんな決断をしても、君は共にいてくれる?」


それ以上、過去に対する想いに苦しむことを避け、今だけを見据えるようにミクニは閉ざしていた重い口をようやく開く


「言っただろう?ミクニ。私はいつだって、お前の傍にいると」


精霊の王と謳われていた半身は、迷うことなく自身と同じ道を歩んでくれると言う

それは、ミクニが感情に揺り動かされ、人間のために精霊を犠牲にすることだけはないとわかっていたのもあったからだろう

だが、そのように信じている一番の原因はやはり、エルシフルとミクニを繋ぐ絆が、他者が計りきれない程に超越したものだからと言えよう


「そうだね。君だけはいつだって、私の傍にいてくれる」


自身と共にいてくれることに対して嬉しいながらも、それが同時に哀しいと言うように言葉を紡ぐ


「ありがとう、エルシフル」

「ああ…」


お互いの絆を確認するような会話を終え、二人は今一度黒匣の都を見渡した後、歩み出す

悪い知らせを届けるように、人々の逃げ惑うような悲鳴を二人が知るまで、後少し―――


最後のは、今でも尚、啼くように鳴り響く


―――***

エレンピオス編が短いため、ほぼ管理人の勝手な解釈ですが、すみません

黒匣は術の発動の際に精霊に強制的に術を発動させて殺すという公式設定ですが、それが全ての黒匣に共通だと色々とおかしいので、ちょっと変更してます
詳しく書くと長いので、それはまた今度で

鐘は、Vのテーマ曲から連想しています
たった独りとなった夢主は、もう傍にいない仲間達を今でも求めているんですよね

(H24.3.11)



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