煩いほどの騒音がいつしか消えていき、彼――ジャオの記憶も曖昧にさせる

確かに自分は争いに満たされた空間にいたはずだというのに、ジャオが今佇む場所には争いはなかった

何と戦っていたのかを思い出そうとしていると、辺りに広がる風景にジャオの意識が向く

何故、今になって気づいたのだろうか


(ここは、わしが生まれた場所か…)


そこは自分自身が族長でもあるキタル族の景色だった

けれど、その景色は真新しいキタル族の風景とは僅かに違う

はっきりとした証拠があるわけではなかったが、その景色は20年以上も前――オルテガであった自分が最後に見たキタル族の景色だった

キタル族の下層の身分でありながら、人間離れをした怪力と誰よりも優れた獣隷術を持つために孤独を味わった時代

周囲から忌避され、自身を異物のように見ていた族長からの迫害

それに耐えかね、族長を殺めた折に逃げ出した時の景色と今目の前に広がる景色は瓜二つだった

それにより、昔の孤独の日々を思い出し、ジャオはその景色に背を向ける

そうすれば、孤独の日々は消え、代りに“平穏”という景色が広がった


(っ…ここは…あの…)


雪が降る山奥らしき場所

そこに佇む一つの民家

その景色に記憶の中にある景色が重なり、ジャオは硬直する

確かにその景色は、ジャオにとって“平穏”であった


(…ルタス夫妻…)


恐れられ、受け入れてもらえず、人間を信用できなくなった孤独な自分

その自分を初めて受け入れてくれ、安寧というものを教えてくれた夫妻があの時のように、あの場所にいた

雪による冷たい空気に満たされているにも関わらず、春のような温かさに包まれた夫婦が自分に気づき、微笑みかけてくる

それだけでジャオの心は温かくなり、ルタス夫人の腕の中の存在に気付いた時、彼の表情は緩む


(娘っ子…)


夫妻の愛に包まれる幼子は、他者によって傷ついていたオルテガの心を癒してくれた存在――エリーゼの姿だった

あの時の幸せが広がる光景にゆっくりとジャオの足が動く

自分を受け入れてくれた夫妻

自分に無邪気に笑いかけてくれたエリーゼ

あの家族と共に味わっていた幸せ


“あちらへ行けば、もう戻れないよ”


その幸せを掴むようにルタス家族に歩み寄ろうとしていたジャオに背後から風が吹く

風に混じった声に釣られて、ジャオの歩みが止まった


“それに、君が望む幸せはあちらにはない”


はっきりと聞こえた二度目の声で背後を振り返る

何もない黒い空間にただ一つの存在――“竜”がそこにいた

魔物とは違う、圧倒的な存在感を感じさせる“竜”の理知的な瞳がジャオを映している


「わしの幸せは、ルタス夫妻といた時じゃ」

“確かに君はあの時幸せだった。でも、それはオルテガであり、今の君はジャオ。ジャオとしての君の幸せは忘れたの?”

「ジャオとしての…幸せ」

“君には守るべき者がいる。仕える人がいる。仲間だっている”


オルテガではなくジャオとしての幸せ

守るべき存在、君主と呼ぶべき存在、そして仲間


“竜”の言葉にジャオの脳が揺れ動き、埋もれていた記憶の映像がちらつく


“彼らは君を待ってる。それに、あの子だって”


一瞬、映像が留まり、鮮明となる

それを捉えた時、ジャオの心は大きく揺れ動き、彼らとあの子の名前が零れそうになった


「わしは…」


ジャオの様子に気づき、“竜”が微笑んだ気がする

そして、ジャオが道を選んだのを知ったためか、“竜”が光となり解けていく


“オルテガ”


“竜”から溢れた光がジャオを呑みこむように空間に広がろうとした瞬間、誰かがかつての自分を呼ぶ

それに気づきジャオは咄嗟に振りかえった


“どうか、娘を――――”


言葉は最後まで聞き取れず、全ては光に呑まれていく

けれど光に消える最中、最後に見えたのは、自分を見送る夫妻の笑顔だったのは間違いなかった






「――――!」


ぼやけた視界、何かの音を拾う

瞳を凝らし、周囲を見渡そうとする中で、次第に視界が鮮明になりだし、何かが動いているのがわかった


「ジャオっ!!」


今の自分の名をはっきりと呼ばれる

相手は驚きと歓喜の表情に染まっていた


「良かった、目が覚めたんだね!」

「……お前さんは、ミクニか?」


自分の意識が戻ったことで喜ぶ女性の名をようやく呼べば、彼女は次の瞬間、不安な色を滲ませる


「あっ…この姿じゃ、驚いたよね?」


誤魔化す様な苦笑いを浮かべ、持っていた布を握りしめるミクニ

彼女が言う通り、少しばかり驚いたのは事実だった

ジャオが知るミクニの容姿と今目の前にいるミクニの容姿は異なっていた

それは一般的な人間から見れば奇怪な姿であり、ジャオは言葉が見つからないのか押し黙る

それによりミクニは辛そうに視線を伏せそうになった


「ジャオ…?」


けれど、それは頭部に当たった感触で止まる

ミクニの頭部に触れたのはジャオの大きな手だった


「お前さんが助けてくれたのじゃろ?」

「えっ?」

「あの時、僅かに“竜”を見た記憶があっての。あれは、お前さんなんじゃろ?」


意識が浮上したためか、ファイザバードの出来事がジャオの脳裏に浮かんでいた

そして、意識を手放す間際にジャオはあの“竜”を見た記憶があった

それにより、ミクニの現状がその“竜”と関連していると感覚的に察した


「…うん。けど、変だと思わないの?私は、君らと違うのに」

「どんな事情であれ、ミクニはミクニじゃ」


ミクニの声に彼女がどのような心情なのかを察してしまう

きっと彼女はその姿により否定をされ、拒絶されることがあったのだろう

そして自分にも否定をされる可能性に脅えているのだろう

そのようにジャオが感じてしまうのは、ジャオが昔そうだったからだった

何もしていないというのに否定され続けること

それは悲しいことであるのをジャオは知っている

だからこそ、ミクニのその姿について何かを言うつもりなどあるはずがなかった


「…ジャオも、やっぱ優しいや…」


追及することなく、どのような姿であろうとも受け入れてくれるジャオの言葉にミクニは素直に微笑みを見せる


「…でも、本当に良かった。ジャオが目を覚まして」

「そうじゃ!あれから一体どうなったんじゃ?陛下は?それに…娘っ子は無事か!?」


ファイザバードでの出来事を思い起こし、ジャオはあの後の出来事を問う

自分の主である存在、そしてルタス夫妻の娘

身体の痛みを無視して起き上がろうとするジャオだったが、それをミクニが止める


「落ち着いて!ジャオ!ジャオが心配するようなことはないから」

「本当か!?」

「そんな嘘、つかないよ」


ジャオを安心させるためにまず言われた言葉にジャオはとりあえず胸を撫で下ろし、身体の力を抜く

そのまま寝台に横たわらせられると、ゆっくりとミクニが話しだす

ジランドによって一時的にカン・バルクを奪われた事

アルクノアの本拠地であるジルニトラでの事

そして、エレンピオス軍とミュゼの事、現在のリーゼ・マクシアの状況の事を


「そうか…陛下はウィンガルと共にラ・シュガルにおるんじゃな」

「うん。ラ・シュガルはナハティガル王が死亡したことで民の動揺が広がっているから」


その話しはガイアスのリーゼ・マクシアの統一に近いものだった

けれど、エレンピオス並びにミュゼという脅威によりガイアスの負担は今まで以上に大きい事も知り、ジャオは自分が役に立てないことを悔しく思う


「それとエリーゼの事なんだけど…」

「ジルニトラの後、連絡ははいっとらんのか?」

「うん。けど、無事なのは確かだよ。あっちには四大がいるんだから」


エリーゼはもちろん、少女が行動を共にするミラ達の行方は届いていない

それでも無事だと断言するミクニは力強いものであり、ジャオもまた、エリーゼが何処かで無事でいると感じた


「そうじゃな」

「だから、ジャオは今はゆっくり休養して」

「うむ…そうじゃのぉ。この身体では陛下の役に立とうにも、」

「ガイアスを慕ってるのはわかるけど、休んでよ」


陛下に役に立てないことを名残惜しそうに言うジャオの言葉にミクニの視線が鋭くなる


「お前さんは、親のようじゃな」

「これでもジャオよりも長生きしてるからね」

「確かにそうじゃったわい」


ニッと笑む表情は何処か無邪気さを感じさせるもので、それでも自身より遥かに年上であるミクニの様子に、ジャオは少しばかり固まっていた神経を動かし、笑った



の明星に導かれ、帰路につく


―――***

(H24.3.6)



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