カン・バルク城に与えられている自分の私室でアグリアは机に顔を臥していた

絶対的忠誠を誓っているガイアスはウィンガルを伴ってラ・シュガルの地を飛び回っているというのに、城へと取り残された自分

現状により、非常事態に備えて城に待機しておかなければいけないのはわかっている


(…何で、化石のお守なんだよ)


けれど、城に残された命の中に含まれた理由の一つはアグリアにとって面白くないものだった

そんな命令など聞いていられないとばかりにミクニのことをプレザに押しつけたアグリア

ガイアスがミクニを想っていることに対する嫉妬もあっただろうが、主たる原因はそこにはなかった


「…バカみてぇ…」


微笑むミクニの表情がちらつくと腹立たしくなる

前々から気に喰わなかった

刃を向けても遊びだと思っているような余裕な顔

無邪気にはしゃいで絡んでくる態度

時折垣間見せる全てを見抜いているような目

だが、何よりも気に喰わないのは、何事もなかったように微笑んだ姿


(同情なんて、誰がするかよ)


勝手に無茶をしたのはミクニ自身であり、ミクニの過去を知ったところでアグリアには関係ない

なのに、エルシフルの言うように同情をされることを拒んでいるような微笑みを向けられた時、胸にむかつきを覚えた

別に泣いてほしいとか、憐れみを誘う顔をしてほしいとか、そういうものじゃない

けれど、そうされていればアグリアは相手を卑下出来ただろう

相手の過去に何も思う事などなかっただろう


(…あたしには、関係ない…)


関係ないと言い聞かせるのに、ミクニの過去がアグリアの思考を侵食していく

人ならざる存在というだけで蔑まされ、道具のように扱われたミクニの姿

その姿が揺らぎ出した時、アグリアは身の毛がよだつ


(違うっ…あれは、あたしじゃない!)


傷ついたミクニの身体が次第に変化して見えたのは、銀髪の幼い子供――アグリア自身だった

正妻の子ではなく、妾腹の子と言うだけで虐めを受けてきた昔の自分

たった少しの違いだけで自分達を蔑んできた正妻と異母兄弟

どんなに努力しようともどうにもならない壁

人でないだけで家畜のような扱いを受けていたミクニの姿が昔の自分を思い起こさせる


(消えろ!)


最早、自分を否定し続けた者たちはいないというのに、その映像によって当時の怒りと憎しみが出現してきて、アグリアは自分の思考に命ずる

そうすれば映像は再び揺らぎ、幼かったアグリアの姿を消した

そのままミクニに戻ったかと思うも、すぐに別の人へと移行しようとし、アグリアは無意識に身構えた

そして、その形が定まっていくと、アグリアの感情は不安定さを増し、彼女に叫ばせる


「お母様―――っ!!」


視界に飛び込んだ綺麗な女性

それは正しく、最愛の母の怪死を遂げた姿だった


「…、ゆめ…」


動悸がして息が微かに上がったアグリアの視界には、窓辺から覗く雪が降る景色

いつの間にか眠りに堕ちていたことに気づく


(…だから、嫌なんだよ)


重ねたくなどないというのに、無意識に昔の自分が連想されてしまう

だからこそ考えたくなく、ミクニの顔など見たくなかった

会えば嫌でも昔を見てしまいそうで、アグリアは嫌だった


「ボーボー…」


翼をはためかせる音が届き、視点を動かせば止まり木から離れた一匹の鳥が机に舞い降りてきた

机に留まり、一心にアグリアを見つめてくる姿

まるで、魘されていたアグリアを心配しているかのようだった

その柔らかく温かな身体をアグリアはそっと撫でる

伝う心地よさに心が落ち着きを取り戻し、少しだけ彼女の表情が和らぐ


「…考えたくないのにな…」


けれどすぐに、アグリアの瞳には悲し気な色が差す

零れた言葉に対して愛鳥は何も応えない

もしかしたら何かを言っているのかもしれないが、アグリアにはボーボーの声は聞こえなかった


(…あいつとあたしは違う…けど)

(化石…なんでそうなんだよ…)


柔らかな羽毛に触れながら、ミクニの過去や行動、全てを振りかえると罵りたくなる

それは自分とは違い、ミクニが憎み続けない所か、連中のために命を差し出したようなものだからだった


(バカだよ…)


あの正妻に、あの異母兄弟に、特権を振り翳す貴族に

万が一、彼らに良き一面を見出せたとしてもアグリアの憎しみは消えることはない

だからこそ、世界を守るとは言え、ミクニの選択はアグリアには理解できない――したくなかった


「ホント…テメェはバカだよ…化石」


死さえ微笑んで受け入れそうなミクニを脳裏に浮かべて、悪態をつくように言葉を吐く

それでもその瞳が言葉とは裏腹の色を宿していたのを、アグリアは気づこうとはせず、ミクニのことを考えるのも陛下が原因だと理由を付けて、素知らぬふりをした





ウィンガルからの通達により、アグリアは霊山の頂上にいた

一つの山道から現れた複数の姿は、アグリア達が待ち構えていることに驚きを見せる


「…また敵同士になれるなんて、喜んでいいのかしら?」

「アハハ!またあんた達を甚振れるなんてサイコー!」


かつて二度、刃を交えた事のあるミラ達に向かって、高らかに笑う

アグリアとプレザの雰囲気で相手が身構え、是が非でもこの奥へと向かおうとしている

諦める気はない事は一目瞭然だった

だが、そんなことアグリアにはどうでもいい


(陛下の邪魔をさせるかよ)

(テメェらは、これ以上行かせねぇ)


エレンピオスを救うためにと断界殻を解こうとする考えは、アグリアにとっては反吐が出る程に甘いものだった

またその甘さは、アグリアが忠誠を誓うガイアスの邪魔になる事が明らかだった

ならば、それをアグリアは何としてでも防がなければならないのは当然だった


(これ以上、失態を晒すわけにはいかないんだ)

(あたしには、もう…後がないんだ!)


だが、それはガイアスの邪魔になる以上にアグリアのためと言えた

初めて認めてくれたガイアス

アグリアにとってガイアスは絶対的存在だった

ガイアスにだけには、捨てられたくなどない

なのにアグリアは、既に二度も続けてガイアスの期待を裏切っている

これ以上の失敗をすれば、ガイアスを失望させてしまう

それを考えると、アグリアの心には余裕などなく、ただガイアスに見捨てられる恐怖が蔓延っていた


「アグリア!どうして貴方は!」


その覚悟を乗せて、容赦なしに火球を放ったアグリアの前に出てきたのはレイアだった

アグリアとは対照的な視線がこちらを向いている

ひたむきなその姿にアグリアは、かつてないほどに瞳を鋭くした


「うるせぇ!あたしはな、陛下を裏切るわけにはいかないんだよ…」


(テメェに何がわかる…)

(平穏に育ってきたテメェに!)


絶望を知らない人生を歩んできたような純真さ

それを見せつけてくるレイアに苛立たないわけがなかった


「ババア!あんただって同じだろ!あたし達の居場所はここだ」


アグリアにとって、陛下の傍――四象刃は唯一の居場所

この世界に残されたたった一つの居場所

それを失くせば、全てを失うのと同義だった

だからこそ、アグリアは刃を握り、敵を見据える

ガイアスからの期待はもちろん、この居場所を失わないために―――





僅かにぬかるんだ土にアグリアは爪を立てて握りしめていた


(…ちくしょうっ…)


冷たい大地の感触に教えられるのは敗北感だった

立ち上がろうにも身体はアグリアの意志とは違って言う事をきかない

動かない身体でアグリアが出来ることと言えば、悔しさに苛まれる事だった


もう、自分には何もない


そして、敗北感による悔しさを味わう中で襲ってくる喪失感と絶望

何よりも恐怖

アグリアは自分が微かに震えているように感じた

震えを必死に抑え込もうと俯いたまま唇を噛みしめる


(ちくしょう…)


絶望に打ちひしがれていたアグリアだったが、そこに襲いかかった衝動に意識を浮き上がらせる


(はっ…此処があたしの墓場かよ…)


突然地面が揺れだし、大地が浮き出す様子に震えが不思議と消え失せ、代りに笑いが込み上げてくる

陛下の役にまたしても立てずに負かされた自分にはちょうどいい終わり方だと思った


(……陛下に捨てられるくらいなら…此処で死んだ方がマシだ…)


陛下に見限られるのを味わうのを思えば、死ぬことに対して何らかの感情を抱くことはなかった

そのまま地面の崩落に身を任せようとする

そして、自分とは違って駆け寄ってきてもらえるプレザを視界の隅に捉えた時、アグリアの足場は無くなった


「アグ……リア!」


そのまま崩落していく大地に混じって落ちていくはずだったアグリア

けれど、アグリアは地上に向かって落下しておらず、代りに腕を掴む力を感じる

視線を持ち上げると、そこに居たのはアグリアにとって何よりも認めたくないレイアだった


「今、助ける!」

「っ!」


自分が失った純真さを持ち、自分が手に入れたくても手に入れられなかった人生を歩んできたレイア

それが憎くて、何もしていない彼女に対して酷い言葉を浴びせて、命まで奪おうとした

だというのに、自分を助けようとする相手

一歩間違えれば、レイア自身の命も危ないだろう

そんな彼女の姿にアグリアの心は揺らぐ


「おい、ブス!」


だが、その揺らぎは一瞬だった


「テメェがいくら頑張っても、どうにもならないことってのがあんだよ!」


(あたしは、テメェを認めるわけにはいかねぇんだ)

(テメェを認めれば、あたしは…)


自分の腕を掴むレイアに向けて嘲笑うように言うと、アグリアは力の限りその手を振りほどいた

その瞬間、彼女の瞳が見開かれる


「アハハハハ!絶望しろ!」


その表情を捉え、アグリアは高らかに嗤う

どんなに努力しようとどうしようもない事実

自分が今まで味わった絶望を掘り込んでやるために、中指を立ててアグリアは崖から落下した


(覚えとけ、ブス)

(その絶望感を!)


絶望を叩きつけられたようなレイアの姿が見えなくなると、アグリアは力なく腕を下ろし、落下に身を任せる

嘲笑っていた口元も消え、アグリアは最後に主を思ってしまう


(陛下……)


最後の最後に役に立てず、ガイアスと会うくらいならば死んだ方がいいと考えたが、やはり主を慕う心は捨てきれない

だからこそ、心の内で君主に何かを言いたくなるが、言葉は見つからなかった

だが、言葉の代りに陛下の立ち姿が浮かび上がる

絶対的君主の凛々しき姿

その傍にずっと仕えていたかった

なのに、それはもう叶わない

そして、アグリアが絶対立つ事の許されない陛下の隣に、ある姿が見えてくる


(…化石…)


ミクニが隣にいることでガイアスの表情は、いつも自分達に見せるものとは違う

いつもならば、二人が並んでいるだけで腹立たしく思うが、今のアグリアは違った


(…陛下を悲しませんなよ)

(陛下はテメェが…)


ミクニがガイアスに想われていることを受け入れたいわけではない

けれどこの瞬間、アグリアはミクニが陛下の隣にいることを望んでしまう

自分はもう傍に居られない

陛下がこの先どのような道を歩み、重荷を背負うかはわからない

ならばせめて、陛下には少しでも安らぎを抱いてほしかった

それが出来る存在として浮かぶのは、もうミクニしかいない

それはガイアスがミクニを求めているためもあったが、アグリアが許せる相手としてミクニしかいなかったからだ


(だから…変なことすんなよ)


微笑みを浮かべたミクニの姿に、彼女がガイアスの隣から消えないためにと、彼女の身を案じる


(じゃねぇと、許さないからな…)


心の中で此処にはいない相手に向けて敵意を込めるように忠告するが、何故だか苦しくなった

ミクニがガイアスの傍から消える事を考えると、目頭が熱くなってくるように感じる


(あたしは…化石なんか…っ)


その理由として真っ先に浮かんできたものを否定しようとした

けど、最後まで否定できる気力がアグリアにはなく、否定する思考が、その理由を認める思考に覆われていく


(…あたし、化石のこと――――)


そして、最後に素直に染まっていく心が何かを思った時、アグリアの心の声は途切れた



寂れた心を解すの果実よ、どうか


―――***
アグリアは、夢主の過去に自分を見ていて、自分と同じだと感じていました
もちろん、本人は認めていませんが
そして、陛下の傍として夢主が浮かんだのは、彼女自身が認めているためでもあります
過去の事で不器用になり、認めている事を素直に受け入れられないアグリア
それでも愛鳥のボーボーの前では少しだけ優しいというか、他者を心配している節がある
レイアとのやり取りも含め、そんなアグリアを上手く表現出来ているかわかりませんが、此処まで読んでもらえて幸いです
因みに藍には解毒作用があり、夢主はアグリアを含めた皆の心を解していたって感じです

(H24.2.5)


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