彩
身体が侵蝕され、自分の意志ではどうにもならない
上手く制御できない感情の一種のように、ミクニの力は身体という器から溢れる
(…いや、だ…)
恐怖と辛さを感じながら、必死に抑えた時には遅く、ミクニは緑に恵まれた大地に臥した
その視線の先には、抜け殻のように動かなくなった幾人かの身体
自分が殺した命を前にミクニは苦しむ
殺したいわけじゃないのに、殺してしまったことに対しての罪悪感もあったが、力を溢れさせた時、ミクニは快楽を覚えていたためだった
己でさえ抑えきれない力は恐ろしかったが、力が解き放たれた後にミクニの心は晴れやかになる
それは我慢をすることがなくなった時に似ており、ミクニが力を拒否するために身体が漸く解き放たれたことに喜んでいるのだろうか?
それとも、彼らを殺せたことが嬉しかったのだろうか?
(どちらにせよ、私の力が…苦しみを深めるのは確か)
己の力が招く災厄による罪にミクニの意識が呑まれようとするのを阻むように、手が温もりを拾った
「…ミクニ」
罪から救われるように臥した身体を起こされ、ミクニはゆっくりと視線を持ち上げる
そこにあるのが柘榴の双眼だと知ると、ミクニはその人の頬に指を伸ばし、彼の存在を確かめるように輪郭をなぞった
何も言うことなく優しく見つめてくる彼だったが、その瞳の奥には悲しみ、憂い、絶望…そして終焉という望みがあり、ミクニを咎めている
その存在はミクニにとって確かに救いの存在であったが、同時に罪の意識を駆り立てる存在だった
「…デューク…」
触れていた指先を滑らし、腕をその人の首へと廻すと、ミクニは銀の絹糸へと顔を埋めた
「助けて…デューク」
罪の証でもある親友に縋るように囁く
「…君しか、私を救ってくれない……もう私、君のように誰かを苦しめるの…嫌なのに」
親友はミクニの行為に何も返答せず、言葉の代りに抱きしめ返してくる
彼の温もりが身体全体を包むと、その温もりは鎖のようにミクニの身体を束縛していった
(そうだよね…もう、君はいない)
(…君からは救いは与えられない)
(君から与えられていいのは…)
鎖によって闇の底へと堕ちて逝く中、世を憂い、人間に絶望し、己の命が絶たれるのを望んでいた友の横顔が過ぎる
“お主は―――人、延いては世界から、彼の者を孤立させた元凶よ”
あの時と同様に罪悪感が襲い、深淵へと向かっていた身体に纏わりついた影に、ミクニは否定などしなかった
闇が終わり、光が差し込むと、掌がまた温もりを拾った
「ミクニ」
紅の瞳に自分の名を呼ばれ、同じ情景が繰り返されているのかと思う
それでもミクニは指を再び伸ばして友に救いを求めようとしたが、ミクニは神経を止めた
「、…ガイアス…」
雪のような髪が夜色に染まることで夢は終わり、現実に戻された事を知る
デュークと重ねた彼―――ガイアスは、ミクニの代りに指先を伸ばしてこようとするが、それはミクニにより止められた
「どうして…近づいたの…?」
ガイアスに向けた声に無意識に恨みを込めてしまう
それは、忠告を無視して傍へと寄ったガイアスの行動を咎めるものでもあったが、自身が彼にしてしまったことに対しての恐怖だった
「…ごめん。でも、近づいてほしくなかったから…」
事実から目を背けるように視線を手の甲へと向ける
体中のマナが正常に循環しているのを感じるも、そこに煌めく鱗と同様に身体の節々に感じる違和感
この現象に不安に駆られてシーツを握りしめるミクニだったが、その不安を拭うようにガイアスの人である掌が重ねられた
「ミクニ、俺には何ともない」
「聞いたの?私の力が、何かを…」
「詳しくは知らん。だが、お前がその力で苦しんでいることはわかる」
変わらずに触れてくるガイアスの体温、彼の優しい言葉に胸が締め付けられる
(何ともないわけがない)
(私だけが苦しむなら、どうでもいいんだよ)
(自分だけなら…)
視線を伏せていたミクニは、額に掛る髪を払うように撫でてくるガイアスの手を離させる
異変による他者への影響がもうないとは言え、異変による名残がある身体に触れられていると、肌を包む毒を含んだマナがガイアスへと流れ込んでいくように感じていた
そしてガイアスの優しさにつけ込んで、彼の選択を狭めないためだった
「…ガイアス。私の力だけど…」
「無理に話す必要はない」
「聞いてほしいの。それにガイアスには、関係ないことじゃないから」
上半身を起こし、ミクニは面を上げてガイアスの表情をしっかりと見る
その表情は毅然としてはいたが、この話をしたことでガイアスがどのように想い、どのような答えを出すのかが怖かった
それでも今となっては、彼と自身の気持ちを考えると話しておくべきであり、ミクニは己が起こした災厄を口にしていくことにする
「…最初は確か、ある人達が私の身体に未知の術式が刻まれているのを知ったのが原因だった」
全てをはっきりと覚えているわけではない
けれどあの時―――自分がテルカとして生き、実験台にされたことは覚えていた
「調べられていく度に私の中で枷が外されていき、気づけばその人達は…死んでいたの」
ガイアスは何も言うことなく話しを聞いていたが、僅かに空気が張り詰めているような気がする
“死んでいた”とは言ったが、“殺した”という意味を知ったからだろうか?
「それ以来、身体が不安定に陥ると私の身体に刻まれている術式―――力が私の意志など構わずに働いて、周囲に影響を与えるようになり、幾人も殺した……」
「…お前は殺したかったわけではなかろう。それに不安定になったのは、その者達がお前に何かしようとしたのではないか?」
殺したかったわけではない
そうは思うが、自分を物珍しい生き物として襲ってきた者達のことを、心の底では彼らなど生きる価値もない者達だと自分は思っていたのではないだろうか?
それを否定できる程、ミクニは自分が綺麗で立派な存在だとは思っていなかった
「どちらにせよ、殺したのは事実だよ。私の力は、他人を苦しめる…ガイアス、君も」
「俺には何ともないと言ったであろう?」
少しでもミクニの心の負担を減らすようなガイアスにミクニは首を振ると、対峙する彼に友を連ねていく
「…ガイアスのように私を助けてくれた親友がいた。その人はもちろん死ななくて、私の力に耐えた」
力が治めるには、苦しむか、体内の不安定になったマナを循環するために他者の身体を必要とするかだった
そしてあの時―――エルシフルが一度死んだ時、“ミクニ”は初めて異変を起こした
感情による異変ではなく、膨大なエアルの塊を一気にその身に宿すこととなったミクニは、制御の仕方もわからず異変に呑まれるしかなかった
激しい苦痛に苛まれたミクニを救ったのは、他の誰でもなくデュークであった
「その時私は、少しも抑え方がわからなくて、その分その親友は激痛を味わった。それでも決して手を離すことなく傍にいてくれた。それが苦しかったけど、同時に嬉しかった。でも…」
デュークが自分を見捨てることなく、手を差し伸べてくれたのは嬉しかった
彼が今までの人のように死ぬことがなかったことに胸を撫で下ろした
でも、そんなのはひと時だった
彼は、エルシフルのように始祖の隷長でもなく、単なる人に変わりなかったのだから
「…彼は滅ぶことはなかったけど、その身体は“人”じゃなくなった」
「人ではなくなっただと…?」
ミクニの力は周囲に存在する者の情報である術式に影響し、変化させるものと言えた
自然は急激に成長するくらいだったが、人間は周囲に近づくだけでその変化に耐えられず、まるで魂と体が分離させられたように死に絶える
そして、他者よりもエアルに耐性があったためか、デュークはその変化に耐え、生きた
それにより彼に齎された変化は、彼を苦しめるものだった
人間とは思えない程に感覚は鋭くなり、魔導器などなくとも人間離れをした力
見た目の時間が止まったように老いることがなくなった身体
時折負った傷も常人とは思えない速さで治癒していく
まるで人間の姿を保つ始祖の隷長であるミクニのようだった
それは多くの人にとっては羨ましいことかもしれないが、デュークにとっては苦しみの元だった
何故ならば、デュークはエルシフルが死んでからずっと望んでいたから
―――腐敗した世界から去ること、即ち死ぬことを
そのことをミクニに言うことなんてなかったし、エルシフルの代りに世界を見守るデュークは自ら死ぬようなことはなかった
けれど、珍しく怪我を負い、塞がっていく傷を見つめる彼の横顔を、拾ってしまった彼の意識を忘れられない
エルシフルを懐かしむ想い
死への望み
そして、人間から離れていく身体への侘しさ
それはデュークのほんの一部の心であり、彼でさえ気づいていない気持ちだったかもしれない
けれど、それでも彼を“人”で失くしたのは自分であり、人間から離別させることを加速させてしまった原因であったとミクニは思う
それは違うとデュークは否定するが、それでも己の力と己の存在が犯した過ちにミクニの心から罪悪感が消えることはなかった
僅かな救いと言えば、彼が人間と同じように静寂な死を迎えられたことだろうか?
けど、今の自分にとって此処に親友が存在していないことは苦しいことであり、浅ましいとわかっているも彼が生きていればよかったとミクニは思っていた
「言い方を変えると、親友にとって望まない身体になったの。それによって親友は、1人で苦しんだ」
「…それに責を感じているのか?ミクニ」
ガイアスの問いに視線を向けるだけだった
それが答えであり、ガイアスも答えなど聞かずともわかりきっていただろう
「お前を助けようとしたのはその者の意志だ。それにより起ったことに、お前が責任を感じる必要はない」
ガイアスの強く優しい言葉は、一つの正論ではあるだろう
彼がそのように返してくるのがミクニもわかっていた
それはガイアスだからということもあったが、デューク自身がミクニにそう言ったからだった
「親友もそう言った。でも、私が彼にしたことが許されていいわけじゃない…ただでさえ、彼は絶望していたのに…私のせいで、」
自分を咎めることをやめないミクニにとうとう耐えきれなくなったようにガイアスが表情を顰めたのを一瞬捉えると、ミクニは抱き寄せられる
その行為にすぐに対応できず、ミクニはガイアスの温もりを感じると胸が圧迫されるように痛んだ
「…ガイアスが何も畏れずに来たことは嬉しかった。でも君が…望まない身体になったら…私…」
異変が酷くなかったのが幸いして、彼には影響が出ていないように見られる
そのまま何も変わりがなければいいが、デュークのようにガイアスまで苦しませることになった時、ミクニはどうすればいいのだろうか?
「俺は大丈夫だ。喩え、何かが起っても俺はそれを受け入れる」
「でも、」
「ミクニ…もうそれ以上はやめよ…」
後悔はしないと言ってくれる声は、やはり力強かった
けど、本当にこれでいいのかミクニにはわからない
例えば、自分の力で彼の身体が民を守れないようになったら?
ガイアスがこの力の真実を知っても自分への態度を変えなくとも、そんな可能性があると思うと、不安が込み上げてきた
「俺はお前に苦しんでほしいわけではない」
ミクニの心に渦巻く不安や後悔をそれ以上膨れ上げさせないように抱きしめられる力が強まる
その時の辛そうな声色は、ミクニの心に響き、自分に心を砕いてくれることが伝わった
「ガイアス…、こんな私でも、傍に望むの?」
「俺の心は変わりはせん。何があろうとな」
きっとガイアスは、再び異変が起れば、迷わず手を差し伸べてくるだろう
そしてミクニの事を見捨てることなんてなく、恨む事もないのだろう
ならば、力によって変化してしまったこの身体はどうだろうか?
確かにミクニは人間の姿をしていた
それはミクニが人間の始祖の隷長だったから
そうだったらいいと今でも思っている
でも、わからないのだ
昔の記憶の大部分を取り戻しても、自分が人間の子供として生まれたのかわからなかった
それでも人間としてありたくて、ミクニは人間の姿を捨てきれず、始祖の隷長の姿には必要以上になることはなかった
そうすることで人間という錯覚を起こすことが目的だったが、長い事始祖の隷長の姿でいると、人間になれないような気がしたから
それは単なる気のせいかもしれないが、少なくとも異変が起るのを経験していく度に、体内のマナの量が増す度に、時間が経つ度に、自分の身体は元に戻りにくくなっているのをミクニはひしひしと感じていた
「私の身体が…人間の姿を成せなくなっても?」
そして思うのは、いつしか人間の姿さえ保てなくなり始祖の隷長の姿のまま生きることになる事
(…そしたらガイアス、私の事…嫌いになる?)
始祖の隷長になることで今まで以上に寂しく過ごさなくてはいけないことに恐れを抱くが、一番の原因は、それによりガイアスを失望させることだった
「どんな姿であれ、俺はお前が好きだ…ミクニ」
胸が苦しみに満たされるミクニの耳元でガイアスは優しく告げる
求める答え以上の言葉を贈られ、ミクニは胸からこみ上げる熱いものを耐えるように唇を噛みしめた
「…ガイアス…」
ミクニの腕がゆっくりと動き、その存在を求めるように恐る恐るガイアスの背へと腕を廻す
彼の体温が一層強く感じられ、心地よくしみ込んでいくと、ミクニは一言言った
「…ありがとう…、」
この力でガイアスを傷つけるかもしれないという恐れは消えず、小刻みに心臓は震えていたが、自分がどんなことになっても傍にいさせてくれるガイアスの言葉は嬉しかった
複数の感情が入り混じったミクニは、擦り寄るようにガイアスの首元へと顔を埋め、思う
このまま、素直に好きと告げれたらいいのに
なのに、自分を救う存在だったデュークがいない今、どんなにガイアスが全てを受け入れてくれても、ミクニが気持ちを口にすることは今はできず、せめて何も言わずに髪を撫でてくれるガイアスを感じる
そして、今だけは始祖の隷長としての意志と、もう一つのテルカ・リュミレースの実態を忘れて、ただガイアスから与えられる幸せに浸った
暗闇を遠ざける朝日のように救い出して
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