《 この世に悪があるとすれば、それは人の心だ 》



呪文のように口にした言葉には、始祖の隷長時代から見てきた人の愚かさが込められており、彼は腹の底から浮かぶ怒りを抑えるも、憂う心を払う事は出来なかった


「人の心があの生き方を形成しているだと?…昔の人間がミクニに何をした?」

「それを聞き、どうするつもりだ?」

「どうするだと?」

「そうだ。詳しく聞いたところで、何をする?同情でもしてやりたいのか?」


ミクニの命を削る行為を許せないのは、ミクニのことが気がかりだからだろう

けれど、それは同情や憐れみからではないのか?

少なくとも、一時的な感情により理由を聞いてくる者もいる

それが悪いとは言わないが、そのように易々と口にできるような問題ではなかった


「お前達とて、安易に話したくない過去があるだろう?そして同情されるために過去を話したいと思うか?」


エルシフルの言葉に彼らの心が揺れ動いたのを、微かな変化で知る

僅かな沈黙の後、ガイアスはエルシフルから一寸も視線を逸らすことなく答えた


「確かにお前の言う通りだ。だが、俺はこのまま何も知らずにいるわけにはいかん。知ろうとしなければ、ミクニが抱えるものを理解してやることは出来ん」

「…お前がミクニに根付くものを知ったところで、何も変わりはしないのにか?」

「それはお前が決めることではない」


揺らぎのない意志を秘めた瞳に隠れる暗部を探るようにエルシフルもじっと視線を向ける

けれど、そこには偽りも迷いもなく、彼がミクニを心より想う感情しかなかった

それに落胆はせず、最初からガイアスという男が生半可な気持ちでないと悟っていたエルシフルは、凛然なる態度で自身に言い放ったガイアスの言葉を心の中で反復する

迷いのない声は、精霊の盟主たるエルシフルの心に確かに響き、エルシフルはその姿に羨ましいとさえ思った


「ふ……いいだろう、ガイアス。少しばかり教えてやろう」

「オリジン様!この者達に話すと言うのですか!?」

「この男は、ミクニが傍にいることを求めている。それならば、その覚悟を知るためにも話すべきだ」

「ですが…」

「それに人間の王として、この男はもちろん、その者達も過去の過ちを知る義務がある」

「…オリジン様がお決めになられた事ならば、わかりました」


理由はどうあれ、自身がミクニについて、他者に話すことが信じられないのだろう

ガイアス達の事を知らないセルシウスは動揺を見せていたが、エルシフルの意志を受け入れて引き下がると、彼女は具現化をやめてミクニの中へと消えた


「いいのか?」

「いいから言ったのだ。知りたくなければ、無理強いはしないがな」

「…頼む」


王ではなく、1人の男として立つガイアスを始め、彼に従う3人の部下を見渡す

最後にアグリアを見れば、彼女は視線を逸らしたが、その様子から彼女も素直でないがミクニを心配しているのが窺えて、エルシフルは微かに笑んだ


「ならば、見せよう」


明星をガイアス達の前に翳すと、エルシフルは意識を注ぐ


「人がミクニに齎したものを……―――」


そして明星から高い音が響き、淡い光がガイアス達の眼を通して彼らの意識に入り込むのを感じながら、エルシフルは瞼を伏せた





青々しい草花の匂い、澄み切った空気、広がるは美しい自然の景色

その大地の上で横たわっていた影だったが、脳が拾う精神の声で瞼を持ち上げた


“エルシフル!”


黄金と純白が特徴的な美しき竜

始祖の隷長として、まだ若かりし頃のエルシフル自身だった

彼は表情を変えることなく、自身の首へと抱き付いてきた小さな身体に意識をやる

しばらくするとその身体は離れ、彼の視界に満面の笑みが飛び込んだ


“テルカ”


白い衣に身を包み、柔らかな髪と瞳を持つまだ幼さが残った少女をエルシフルは呼ぶ

人に似た、けれど他の人間とは違う

まるで自身のように始祖の隷長としての力を持つ子

その子に与えた始祖の隷長としての名がテルカ―――星を冠する名だった


“私もエルシフルと同じで始祖の隷長なんだよね?”

“ああ”

“なら、私もいつかエルシフルみたいになる?”

“どうだろうな。始祖の隷長は己に必要な姿へと変化を遂げるが、お前は特異”

“じゃあ、なれないの?エルシフルみたいに?”

“……お前が必要とすればなれるかもしれん”


エアルに適応し、エアルを食す存在ではあったが、少女が一概に始祖の隷長と言えるのかエルシフルにはわからない

そのため少女の問いに正確な答えを与えられずにいれば、彼女は悲しい表情となった

何故このようなことでこれ程落胆するのかわかるはずもなかったが、エルシフルはテルカを励ますようにそう言う


“なら私、絶対にエルシフルのように綺麗で格好いい、強い竜になる”


自身と同じ姿になる可能性があることを示唆した途端、テルカは落胆の色を消し去り、無邪気な笑みを向けた


“何故、そんなにも私のようになりたい?”


己の姿に憧れるようなテルカの言葉に、胸が燻るのを感じ、その理由を問うてみる

それにテルカは、少し困惑したように視線を下にやると、我慢が出来ないようにエルシフルの柔らかな身体に頬を寄せた


“だって強ければ、……もう…置いていかないでしょ?”


自身らと同じようなエアルに適応した存在

けれど、自身らのように身を守る術を持たない非力な存在

始祖の隷長に近い力を持つも、始祖の隷長でない彼女を独り置いていかなければならない時がある

それがテルカにとっては寂しいものだということをエルシフルは拾った声色から察した


“テルカ……”


己と同じように強き始祖の隷長になれば置いていかれないと思っているテルカにエルシフルは肯定をしてあげることは出来なかった

強き力を持てば、自身らの聖核を求める人間との争いも参戦出来るだろう

人の姿でなければ、彼女を忌み嫌う始祖の隷長も彼女を認めるかもしれない

そうは思うも、エルシフルは自身に擦り寄る温もりに変わってほしくなかった

この存在には、始祖の隷長としての使命など関係なくいてほしいと

このまま何も知らないように純粋に穢れなきまま、自身の傍にいてほしいと

だが願いに近いその思いは、すぐに崩れることとなった




人が安易に近づくことのできない森

至る所に争った形跡があり、その痕を眺めるエルシフルの傍には彼女はいなかった


“…人間が…テルカを…”


自身の聖核を狙いに来た人間がやって来たのだろうか?

最初からテルカだったのだろうか?

それとも、両方か?

だがそんな理由、今のエルシフルにはどうでもよかった


テルカの姿がない


それがエルシフルにとって全てであり、彼の心は穴が空いたように虚無感に襲われる

力を失くし、何も見えなくなり、全ての音が聞こえなくなったかのように彼は茫然と立ち尽くした


“…いやっ…エル、助けて…っ”

“テルカ…っ”


微かに聞こえる少女の助けを求める叫び声

何処にいるのかもわからないその泣き声に奥底から黒いものが這い上がってくると、エルシフルは歯を噛みしめて瞳を鋭くし、力の限り、吠えた


「……――――ッ!!!」


凄まじい竜の咆哮が森を駆け抜け、空気を痺れさせる

喪失感を埋めるようにエルシフルの体中に激しい怒りが湧きあがった


「人間め……許しはしないッ!!」


抑えきれない憎悪にエルシフルは人間の言葉で呪詛を紡ぐ

敵意を宿した彼は、皮肉にも人へと化け、時折届くテルカの悲痛な感情を頼りに捜すこととなった




人間の欲と、自身らと違うものを認められない人間の愚かさ

そして、魔導器の動力となり、魔導器を放棄させようとする始祖の隷長を排除しようとする人間の傲慢さ

醜い人間達により、人に似た始祖の隷長に近いテルカは実験台にされていた

それによりテルカが人間に懐いた恐怖、怒り、悲しみという負の感情は計り知れなかっただろう

とうとう彼女の意志さえ届かなくなった時、エルシフルは悟った


“最早、人間に理解を求める必要もない”

“盟主の言うように、人間は生かしておく価値はない”

“殲滅すべきなのだ…―――”


僅かに繋がっていたテルカとの光の筋が消え、彼女の命が人間により失わされたのを知り、エルシフルは全てを諦めた


“このままでは全ての生き物が死にゆく運命”

“…人間と手を組めと言うのか?”

“我とて、人間は憎い。だが、我らは世界の均衡を守ることが使命”

“ならば、全ての人間を排除すべきだ。人間がいる限り、世界の均衡は崩されるばかり”

“それは否定しようがない事実。しかし、最早この現状を回避するには我らと人間が手を組む他がないのも、また事実”


テルカが消えたのと時を同じくして、始祖の隷長の言葉を聞かなかった人間の愚かさにより世界はとうとう取り返しのない危機に苛まれることとなった

そこで漸く自身らの過ちを知った人間は、始祖の隷長に助けを求めて、始祖の隷長もまた人間と世界を生かすべきことを決めた

けれど、全ての始祖の隷長がそれに賛同したわけではなく、始祖の隷長は二つに分かれた

人間と手を組む者と、人間を拒む者

エルシフルは後者であり、彼と対峙する火焔鳥の“竜”は前者だった


“だとしても私は、人間と手を組み、人間どもを生かすことなど認めることはない!それを認めるくらいならば…”


始祖の隷長の盟主であり、人間を最も忌み嫌う彼の者の傍から離れることを望んできた友にエルシフルは告げる


“私は、星喰みとなることを受け入れる―――ッ”


人間の力により星の循環は乱れ、世界を想う始祖の隷長は次々と世界を殺す存在―――星喰みと化していった

それを受け入れると言う事は、永遠に苦しみながら星を襲う存在になると言う事

だが、エルシフルにとっては、テルカを殺した人間のために聖核になる方が許し難いことであり、苦痛だった


「エルシフル!!」


もう誰にも邪魔をされないように精神を閉ざしたエルシフルを呼ぶのは人間のような声

エルシフルの前にいたのは、見た事のない始祖の隷長だった

魚に似た美しき竜

透き通る翼をはためかせるその背には人の影が見え、エルシフルは憎悪を抱く


“近づくな!!”

“エルッ!!私だよ!!”


僅かに精神を開き吠えた時、相手から意志が伝わる

その短い意志に込められた感情にエルシフルは瞳を見開いた

伝わったものは、懐かしく、愛しく、そしてもう二度と味わうことがないと思っていた存在のもの


“……、テルカ…何故…”


紛れもなく、その始祖の隷長はテルカだった

人間によって殺されたと思っていたテルカだった


“エルシフル、ずっと逢いたかった…”


あの時言っていたようにエルシフルのような美しい竜と化したテルカに、この上なくエルシフルは心が満たされる


“エル、一緒に守ろう…人間と手を合わせて”

“…テルカ…人間を、守るのか?…怖い目に遭ったのではないのか?”


人間により激しい苦痛を味わっていた声を今でも忘れられず、エルシフルが尋ねれば、テルカは当時のように人に近い姿に戻り、エルシフルの身体に擦り寄って言った


“怖かった…痛かった…殺したい、そう思った”

“ならば…”

“でもね、全ての人が恐ろしい存在じゃない。彼らのように優しくて、エルシフルのように世界を想っている人達はたくさんいるのを知ったから”


穏やかな声を耳にしながら、エルシフルはテルカと共に現れた影―――人間を見やる

テルカを恐ろしい目に遭わせた人間

けれどその人間とは違い、彼らはテルカに人間としての良き面を教えたのだろう


“だからエル…この世界を…エルが私にくれた名の由来でもある、この星を守ろう”


昔のような無邪気さとは違い、世界を慈しむような柔らかな微笑み

その変化は、彼女が始祖の隷長の“テルカ”として生きだした証だったのを、エルシフルは後に知った


美しかった空に蠢く星喰みから、星に生きる全ての者を守るべくして生まれたザウデ不落宮

同胞達の命が輝いて浮かぶ前にテルカはおり、彼女はエルシフル達に向き直った


「テルカ!やはりお前が背負う必要などない!お前は何も…」

「いいんだよ、エルシフル…これが私の役割。それに、背負うのはエルシフルも、皆も…一緒だから」


幼かった少女ではなく、始祖の隷長としてあろうとするテルカにエルシフルは抑え込んでいた想いが溢れる

テルカ自身が受け入れたとはいえ、許し難かった

何故、何も責がないテルカが人間が犯した過ちのためにそれを背負わなければならないのだろうか?

何故、彼女でしか果たせないのだろうか?

エルシフルの頭には人間への憎しみはもちろん消えておらず、それ以上に世界の残酷さを彼は恨む

けれど、最早自分が言った所でテルカの意志が揺らぐことはないともわかっていたエルシフルは、必死に耐える

最後にその瞳に映るのは、彼女が望んだ美しく強い始祖の隷長の自分であろうとするために


「エルシフル…後の事、お願いね…」

「っ…ああ…始祖の隷長も人間も関係なく…生きとし生ける者の…心ある者の安寧がいつしか訪れるようにしよう…そして、お前が1人にならないように、私は存在し続けよう」


エルシフルの言葉にテルカは精一杯の微笑みを刻むと、剣を手にする青年と視線を交差させる

その視線に込められた強き意志に、同じように決意を持った青年が軌跡を描いて剣を振るった


“またね、エル―――”


最後に全ての想いを込めた意識がエルシフルに届いた瞬間、青年が掲げた刃と聖核、そしてテルカが共鳴するように眩い光を放った

そして、天へと昇った光は星喰みを越え、何かとぶつかると、空全体へと術式となって広がった

光が晴れた時、禍々しい空は幻だったように存在せず、見渡す限りの美しい空が彼らを覆う

そこに星喰みという脅威は、もはや見えなかった


“…テルカ…”


だが同時に、“テルカ”という始祖の隷長の姿もエルシフルの視界にはなく、星喰みから全ての命を守るように、始祖の隷長の命の結晶の輝きがエルシフルへと降り注いでいた…―――






まるで劇を見せられているような映像が消え去り、ガイアス達の意識が鮮明になり、瞼が持ち上がる


「…世界を襲った星喰みから人間を含んだ全ての者を守るために少女に与えられた使命は、楔。ザウデ不落宮を半永久的に動かすために少女は、その命をザウデに縛られることとなった」

「縛られるだと…?」

「単に命を捧げるのではなく、ザウデが半永久的に動くように少女は、数十年ごとに再び身体を構築し、取り込んだエアルをザウデに注ぐのが役割の一つだった……言うなれば、死ぬために生まれることがテルカに与えられた使命…」


テルカという始祖の隷長がどのような存在か、ガイアス達もわかっているだろう


「その使命は毒のように少女を侵していき、彼女は自身の身を危険に晒すことを厭わなくなった。その使命がなくなり、彼女がミクニという人間として生きるようになっても、その毒は消えることはなく根付いた」


テルカという始祖の隷長

それこそがミクニの本来の名であり、始祖の隷長としての名だった

ミクニとして名乗るのは、ミクニが人間として生きたいという現れであり、始祖の隷長としての使命を忘れたかったのだろう

エルシフルもそれを望み、彼女には“テルカ”としてではなく“ミクニ”として生きてほしかった

けれど、それさえ許されない程に世界は残酷であり、ミクニは優しすぎた


「……一層の事、人間の心が悪という面しかなければ、ミクニも私も……」


今でも消える事のない昔の傷跡に、あの時一瞬でも抱いた願望が自然と零れたのは、今でもそれを望んでいる証拠

人間の良き面など知らずにいれば、テルカはあのような使命を受け入れることはなかっただろう

それが意味するのは星の破滅だったが、エルシフルはあのような使命を背負わすくらいならば、テルカと共に滅んでも良かった

そうすれば今のような生き方をミクニはすることもなく、エルシフル自身も苦しみから解放されていたのだから…


「理解しろとは言わない。だが、これで少しはミクニという存在、そして人間の愚かさを知れただろう…」


エルシフルに対峙するガイアスは、突きつけられた人間の過ちとミクニが人間にされたことに対して憤りを感じているのか、言葉を紡ぐことはなかった

そしてエルシフルもまた、ガイアスに何も期待していないかのように、言葉を求めることはなかった



穢れなきに沁みつく、果てなき残酷さ



―――***
エルシフル視点で書いたからか、長くなりすぎた
本当は、もっと長くなる感じだったんだけどね
詳しく書くと果てしなく長いので…必要な所だけです
過去は、星喰みが出現した時の話ですね
だから、Vの話であの人は夢主をテルカと呼んだのだよ



  |



top