園
肌の所々に残った鱗
魚の鰭のような耳
頭から伸びる角
焔のように揺れ動く尾房
完全な人でもなく、完全な“竜”でもない姿
それでもそれはミクニ自身であり、ガイアスはその頬に手を添えた
「貴様は、先程のことを知っていたのか?」
微かに速い呼吸と合わせて高い体温を感じた時、傍に展開された魔方陣から姿を消していたセルシウスが出現する
先程のこととは、酷く苦しんでいたミクニのことで間違いないだろう
「いや、知らん」
「知らない身で近づき、触れたと言うのか…!?あの様子に危機感を覚えなかったわけではあるまい?」
「危機感など俺には関係ない。ミクニが苦しんでいるのなら、尚の事」
あの状態が異常であるのは理解できていたし、自分が行った所で何が出来るかなど知りはしなかった
けれど、それだからと言ってミクニを独りにしておくことなどガイアスには出来るわけがなかった
何が起るかなどを考えるよりも先に、身体はミクニの元へ行くことを選択して動いていた
王としては軽率過ぎる行動だっただろう
だが、自身に何かあると知っていてもガイアスはミクニの元へと向かっていた
それだけは断言できた
「……何という人間だ。死んでいたかもしれないというのに」
「はぁ?どういう意味だよ」
「死ぬだと?ミクニの現状も含めて説明をしてもらおうか」
傍に控えるウィンガルがセルシウスの言葉に瞳を細め、セルシウスが知ることを話すように求める
セルシウスは問うてきたウィンガルを始め、部屋にいる全員の顔を捉えた後、未だに意識の戻っていないミクニを最後に瞳に映し、顔を上げた
「ミクニと貴様達の関係を知らない私の口から言うわけにはいかない…それにあの方も一緒ならば、あの方に判断を仰がなければならない」
「あの方?」
「ミクニと共におられるはずの“オリジン”様だ」
「オリジンだと?ジランドが開発したモノも源霊匣と言っていたが、関係があるのか?」
黒匣の代りになると言っていた源霊匣
ジランドに使役されていたセルシウス自身がそうだったのを覚えている
彼女が言う“オリジン”がそれを指していないのはわかるが、何らかの関係があると考えた
「源霊匣の名は、文献に残されていた根源の大精霊の名から得たとあの男ジランドは言っていた」
「つまり、その大精霊オリジンがミクニにいるってことになるわよね?まさかと思うけれど、エルシフルのことかしら?」
プレザがオリジンはエルシフルと同一なのかという言葉にセルシウスが躊躇うことなく頷く
「その通りだ。ミクニがオリジン様のことをそちらの名で呼んでいたのを今でも覚えている」
何故、二つも名があるのか
それとも自身らと同様に片方が字か何かかと思うも、懐かしむようにミクニの顔を窺うセルシウスにすぐに聞くことは出来なかった
「…これは、オリジン様の気配」
「エルシフルか」
「アグリア、此処へ連れて来い」
「何であたしなんだよ!」
「アグリア」
「っ!わかりました…」
壁が透けているように城門の方角に視線を向けるセルシウス
ミュゼの元からエルシフルが戻ってきたのだとわかり、ウィンガルに視線をやれば彼はアグリアにエルシフルの迎えに行くように指示を出す
それに不満の声を上げるアグリアだったがガイアスの一声でさっさと部屋を出て行った
「ミクニがお前と話している時にも気になったが、お前はミクニとエルシフルのことを知っているのか?」
「知ってはいる…だが正確にいうならば私ではなく、昔の私の記憶が教えてくれた」
「でもミクニは、異世界から来たって…」
「…ミクニは異世界の者ではないと言うことか?」
「異世界か…ミクニがそう言っても仕方のないこと。ミクニが居た頃と今の世界は余りにも違い過ぎるのだから……」
「…あの男、エルシフルを交えて話した方がいいことのようだな」
異世界だと思っていた世界が自身の世界
セルシウスと話した時、ミクニが驚くどころかわかっていたように受け入れていたのを頭の中で回想し、ミクニはずいぶん前にその事実を、もしくは可能性に気づいていたのだと察する
けれど、同じ世界だとしてもそれに意味はあるのだろうか?
セルシウスの憂う横顔からも、同じ世界という事実はミクニにとって残酷でしかないようにガイアスは感じる
だが、それに反して自身の想いが安心を抱くのを知った時、扉が開く
不貞腐れたアグリアと、布で頭を隠したエルシフルで間違いなかった
「オリジン様…お久しぶりでございます」
布を払い、その顔をエルシフルが晒せば、セルシウスは敬意を払うように膝を着く
敬称を付ける辺りからもエルシフル―――オリジンとは少なくともセルシウスにとって尊敬に値する人物なのは容易にわかった
「立つがいい、セルシウス」
「ですが私は、ミクニと貴方様に矢を向けてしまいました。向き合わせる顔がございません…」
「別に私は気にしていないよ。それにお前はジランドに使役されていて抗えなかったのだろう?」
「そうとは言え…」
「お前は相変わらず自身に厳しいのだな。それとも、この私がそのような理不尽なことで腹を立てる器だと思っているのかい?」
「いえ!そんな事は決して!」
「ならば、早く立つがいい。仮にも大精霊が人の子の前でいつまでも膝を着いているものではないよ」
理由はどうあれ源霊匣として行った己の行動を恥じ、許しを聞いても自身を罰するようなセルシウスに向けてエルシフルが柔らかく言えば、漸く彼女は面を上げる
「…オリジン様…」
「記憶の方は戻ったのか?」
「完全ではありませんが、ミクニのお陰で大精霊としての記憶を取り戻すことが出来ました」
「そうか」
セルシウスの表情を捉えるとエルシフルは微笑した後、ベッドに横たわるミクニの元へと寄り、その状態を確かめるように顔に残る鱗を撫でていく
その行為により、鱗が肌に馴染み消えていくのを確認すると、エルシフルはガイアス達に背を向けたまま口を開いた
「私に問いたいことがあるようだな。ミクニのことか?それともセルシウスが何故、私とミクニを知っているのかについてか?」
「…まずは後者から聞かせてもらおう」
「いいだろう」
ガイアス達の視線を背で受け止めたエルシフルはゆっくりと振り返った
「察している通り、私とミクニが来た世界とこの世界は同一だ。正確には、リーゼ・マクシアとエレンピオスの二つを合わせた世界がだろうが…そうなのだろう?セルシウス」
「オリジン様の仰るとおりです」
話しの流れから薄々感づいていたとは言え、プレザとアグリアは驚きを隠せない様子だったが、ガイアスとウィンガルは驚くことなく思考を巡らしていた
「二つの世界がミクニの世界か…」
「ならばミクニは、マクスウェルがリーゼ・マクシアを創る前の時代から来たと言うことか」
「そうなるな」
二つの世界に分け隔てられる前
その世界こそがミクニの言っていた“テルカ・リュミレース”であり、少なくとも2000年以上も昔の時代がミクニの本来生きている場所なのだ
それ程の時間が経てば二人が知る情景と別のモノになっていても可笑しくなく、二つの世界に隔てられているのならば、異世界と感じても仕方ないだろう
何よりもセルシウス自身が、二人がいた時代と今の世界は違い過ぎると言っていたのだから
(同じ世界…それを知った時、お前はどう感じたのだろうな)
ミクニがこの世界の住人であり、過去の存在であると確認したガイアスは、彼女の話を思い浮かべる
普通に過ごすこともできず、人と精霊を見守ってきたというミクニ
見守ってきた立場である彼女にとって、今の世界はどう映ったのだろうか?
「確かテルカ・リュミレースと言っていたわね。そんなにも違うのかしら?」
「テルカ・リュミレース…あの時代―――オリジン様とミクニがいた頃は、私達精霊にとって最も素晴らしい時代であり、人とも上手くやっていた…」
プレザが口にした本来の世界の名に、脳裏にその頃の記憶を浮かばせているのかセルシウスは瞼を伏せる
その声を聞きながら、民を導き守るべき王であろうとするガイアスは、ミクニの心情を少しでも理解するために彼女の立場を己に置き換えた
自分がいなくなった後、もしもあの時のような―――権力を持つだけで無能な者が支配することになる社会に戻ったら?
そのような未来が自身の目前に叩き付けられたのを想像した時、ガイアスの胸にはファイザバード会戦の時と同様に激しい怒りと遣る瀬無さ、更には絶望が渦巻く
ミクニの心情もそれに近いのだろうか?
「ミクニが過去の者だということは理解した。次は、ミクニのこの現状を話してもらおうか」
眠りに堕ちたまま答える事の出来ないミクニの異変について、ウィンガルがガイアスの問いを代弁する
それを聞かれたエルシフルは、一度ミクニに向き直り、その顔―――あの髪飾りへと手を翳した
「言うなれば、不安定な身体のままで無茶をし、明星を使い続けたのが原因と言うべきか」
髪飾りから飛び出した光が具現化し、静かにエルシフルの手へとミクニが大切にする刃が納まる
明星と言う名を冠する美しき刀身の姿に、ガイアスは眉間に力を入れた
「…不安定だと?」
「此処へ来る直前、私とミクニは力を消耗してしまっていた」
「オリジン様、それは…」
何かに気付いたセルシウスにエルシフルは視線を向ける
脳に直接言葉を送っているのか、セルシウスはそれ以上問う事はせず、納得したようにしていた
「お前たちのお陰もあり日常生活には問題のない身体に戻ったが、不安定なのは変わらなかった」
「ミクニは元々、此処へ来た時点で不安定で、その明星を使いすぎたために力の反動が出たということかしら?」
「…いや…違うな」
力の反動というプレザの言葉にガイアスはしっくりこなかった
ミクニを抱いた時に襲った感覚
まるで留まる術を見失った力が、激流と化して溢れていたようだった
「察しがいいな、ガイアスよ」
エルシフルはふっと笑うと、その手に納まる明星の刃を軽く撫でて話しだした
「ミクニの力は、ミクニ自身でさえ抑えがきかなくなることがある。そしてその力に苦しむミクニは、己と他人のためにも明星により力を制御させていた」
「…だが、力を用い過ぎたためにああなったということか」
「…馬鹿な奴だ…何故そうなるとわかっていて無茶をするんだ、あいつは…」
苦々しい声を拾い、ガイアスは隣に控えるウィンガルに視線を流す
歯を噛みしめ、微かに肩が震えているように見えた
(…ウィンガル…)
ウィンガルがミクニを気に掛けているのはガイアスも含めて四象刃は知っていることだった
恐らく彼は、ザイラの森の時同様に、そのように無茶をして力に苦しんでいたミクニを思い浮かべて悔しさを覚えているのだろう
それはガイアスとて同じだった
「それがミクニと言う存在であり、ミクニの生き方だ」
「お前はそれでいいのか?あのような無茶な生き方をしていれば、いずれ…」
「ミクニは死ぬ。そう言いたいのか?」
ミクニの無茶な生き方を肯定しているようなエルシフルに、吠えそうな声を必死に抑えてウィンガルが咎めるように言おうとする
だがその声を遮り、エルシフルは慣れた様に代りに言葉を紡いだ
「……私とて、ミクニの生き方を認めたいわけではない。だが、あれでしかミクニは生きることが出来ない」
「どういう事だよ?死ぬような真似が何で生きることになんだよ?」
他人を守るためとは言え、自分の身を危険に晒す行為
それに何ら抵抗がない生き方は、幾ら人並み外れた力を有しているとは言え、死へと飛び込む様なものだった
「それは…ミクニの愛した…ユーリが原因か…?」
自ら死へと向かう生き方にアグリアも訝しむ際、ガイアスは死んでも尚ミクニの心に巣食う存在の名をエルシフルへと投げかける
その存在を知らないウィンガル達が揃って瞳を見開くのに対して、エルシフルはぴくりと眉を上げた
「…確かにユーリも原因の一つ。だが、ミクニが己の身を厭わないのは、それが当たり前だからだ」
「当たり前だと?」
「そうだ…」
エルシフルの声は淡々としていたが、そこには怒りが滲んでおり、エルシフル自身もそれが許せないのが伝わると、彼はその怒りを鎮めるように明星を握る掌に力を込める
「…あの子をあのように荒ませているのは、全て…―――」
一度言葉を区切り、エルシフルは明星に向けて何かを囁くように唇を動かす
そして視界にガイアス達を捉えると、その原因をたった一言で告げた
「―――愚かな人の心だ…」
悲しみに憂いた声と慈悲深さを感じさせる青き眼
世界を慈しむべき存在から告げられた言葉には、人間を憎む敵意に満ちているのをガイアスは感じた
美しき楽園に隔離され、抱いた感情は幸福ではなく
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