萌
目前で披露されたミュゼの力を危惧した主の命令が下され、エルシフルは難色を示すもそれを受け入れることにした
マクスウェルでないミラの前に現れたミュゼ
彼女を1人にしていくわけにもいかず、その力に対抗出来るのは自身だけだということは十分に理解できていたからだ
けれど、今のミクニの不安定な身体を思うと抵抗が生まれている事実もあり、万が一の事態を予想したエルシフルは飛び立つ前に彼をその青き眼に捉える
ミクニを想うガイアスという男を
“ガイアス…”
唇を動かさず、精神を通して彼へと直接語りかける
ミクニにさえ聞こえないように細心の注意を払えば、その意図を察したガイアスは表情を変えずにエルシフルと視線を交えてきた
(さすがだな)
“そのまま素知らぬふりをしろ。今から念のために伝えておくことがある”
突然のことに微動だにしないガイアスの落ち着いている様に内心称賛して、このようにした理由を手短に告げる
“もしも、私がいない間にミクニに異変が起れば、決して近づくな”
ミクニに関することに僅かに彼の視線が強まり、その言葉の意味を問うていたのはわかったがエルシフルはそれに応じる気はなかった
“お前以外は、特に…”
本来ならば誰一人としてその事態が起きた場合は近づくなと釘を刺しておくべきこと
なのに、暗に「覚悟があるならばお前は近づくがいい」と言っている言葉
そのように言ったのは、ガイアスが言ったところで苦しむミクニを1人にしないとわかっていたためでもあったが、彼がその資格を有していると感じていたから
(……デューク)
紅の瞳にその資格を最も有していた親友を思った後、エルシフルは空へと飛翔した
「よろしく頼むよ、ミュゼ」
「…ええ。よろしくお願いします、エルシフル」
エルシフルの微笑みにミュゼも遅れて笑みを返してくる
腹の探り合いをしたいのは山々だったが、新たな戦艦が既に此処へと向かっていた
黒匣の群れが見えた途端、ミュゼの笑みが消えると戦艦へと向かっていく
《氷結の刃よ、空を駆け抜けよ、フリーズランサー》
ジルニトラを援軍するために降りてこようとする敵に向けて、詠唱を唱えて常人よりも遥かに巨大な魔方陣を出現させ、無数の氷の槍を放った
刃が黒匣を纏う敵を射抜いていく最中、上より爆音が響く
ミュゼが生み出す重力の渦が再びエレンピオスの戦艦を呑みこんだためだった
「手加減と言うものがないのだな」
「手加減?何を言っているのですか?」
黒匣の軍勢が滞る頃、エルシフルは墜落していく船を冷たく見下ろすミュゼに近づく
「黒匣は殲滅するべきなのは大精霊であるなら当然でしょ?」
「確かに黒匣は私達精霊…そして星にとって毒。だが、お前のやり方はいつしか他の者も巻き添えにする」
自身らの命が削られる危険性があり、黒匣を憎むべきは当然だろう
けれど、ミュゼのやり方は黒匣を破壊するためならば、どのような犠牲も厭わないもの
それに対して危険を込めた視線をエルシフルはミュゼへと向けた
「そんなこと私には関係ないわ。それに彼らは死ななければいけないもの」
「それは黒匣を使うため?それともマクスウェルのためか?」
エレンピオスの軍艦を片づけた空間でミュゼと対峙するように、彼女の真意を問うように聞く最中、氷が解けるように目覚めた意志がジルニトラから感じる
それは主が力を用いてあの男に付き従っていた存在の本来の意志を覚醒させたためであることを悟るも、エルシフルはミュゼから視線を外さなかった
「そうよ。これが私に与えられた使命」
「お前の使命とは何だ?」
ミュゼも微かに大精霊が現れたのを感じ取り、そろそろジルニトラの問題も終わりに近づいているとわかったのか、何かが吹っ切れた様にくすりと笑い、答え出した
「私の使命。それは…断界殻の存在を知った者を消すこと」
「断界殻を知った者を消すだと?」
リーゼ・マクシアを包んでいる断界殻を守ることが使命であるとミュゼが述べた時、柵に囚われていた4つの力が解き放たれたのも感じた
槍によりずいぶんと弱った気配に何処となく懐かしさを抱きたくなったが、それはミュゼの力で阻まれる
ミュゼはエルシフルに手を翳すと逃がさないように重力の渦を生み出し、エルシフルを捉えようとした
(くっ…ミュゼ)
間近で放たれたことでその術に呑まれそうになるも、エルシフルは巨大に広がってくる渦から逃れる
けれど、それがいけなかった
「だから、みーんな。死んでもらわなくちゃならないのよ!」
翻り、重力の球体の向こうでミュゼが笑うのが見え、エルシフルはすぐさまミュゼへと反撃に出て、次に起こるであろう事態を阻止しようとしたが遅かった
「ミラをマクスウェルだと信じているジュード達も!!彼らは断界殻を知りすぎた!!」
“ミクニっ”
“エル…?”
“逃げるんだっ!!”
エルシフルを襲ったミュゼの力がジルニトラに向けて放たれる
主に向けて危機を叫ぶと、エルシフルはその術を止めるべくジルニトラとの間に入ろうとしたが、それはミュゼにより邪魔をされた
「邪魔をしないで!」
「ミラまで殺す気か!?」
「あの子は一度、マクスウェル様に洗浄されるべきなのよ!何も気にせずにマクスウェル様の身代わりをしておけばいいのに…!!」
何としてでもジルニトラに存在する者全てを殺そうとするミュゼの攻撃に舌打ちをし、それに応戦する
“…エル…何がっ?”
“っ…ミュゼだ。この者は断界殻を知る者を消すのが使命らしい…マクスウェルの身代わりであるミラも共に消すそうだ…”
辛さに喘ぐ声から伝うマナの乱れ
そこから最早明星だけでは抑えがきかなくなり出しているのを悟り、エルシフルは己がミュゼ如きに手古摺っていることが歯痒くなっていった
(このままではミクニが…)
「貴方も一度、マクスウェル様から魂の洗浄を受け、新たなる存在に生まれ変わったらいいわ!」
「ふざけたことを…これは、マクスウェルの奴は望んでいるのか!?」
「当然よ!断界殻の存在を守ればリーゼ・マクシアは守られるもの!ミラだって所詮、アルクノアをおびき出すためのエサ!もう用済みなのよ!」
ミュゼの言葉通り、マクスウェルがこのことを望み、この事態を引き起こしているのだと思うと、感情の波が高まり、腸が煮え返る程に腹立たしくなってくる
魂の洗浄ということ、ミラを餌にしたということ、無差別に殺戮させるような命令
それらに対して今すぐリーゼ・マクシアの人々に精霊の主と称されるマクスウェルを問いただしたいと思うも、それ以上にエルシフルの思考の大半を占めるのはミクニのことだった
「っ、ミクニ―――…」
愛しき存在に想いを馳せ、ミュゼにその苛立ちをぶつけるように術を放とうとした時、エルシフルはジルニトラを襲う闇色の球体が白き閃光に貫かれるのを捉える
それは紛れもなく明星の力であり、ミクニの力だった
「何よあれ…!」
「残念だったな、ミュゼ」
「退いて!」
「行かせるはずがないであろう…ミクニに危害を及ぼされるなら尚の事!」
完全に破壊されず、僅かに原形の留まったジルニトラへ今度はミュゼが向かおうとするのをエルシフルが阻む
あの身体でこの数刻で2度…いや、3度も明星を使用したミクニのことが気がかりで仕方なかったがミュゼを行かせるわけにはいかなかった
背後で船から爆音があがり、崩れていく
「あれは…四大の力!」
四大精霊の力によりミラ達が逃げのびたのがわかり、ミュゼが許せないとばかりに顔を顰める傍らでエルシフルは離れた先でその気配を拾う
―――エルシフル
擦れた響きから、必死にその乱れを一時的にでも抑え込もうとしているのがわかる
エルシフルの心は、今すぐに傍へと駆けつけ、その苦しみを和らげてあげたい心境だった
だが、エルシフルはその声に込められた意志を読み取り、ミクニがこの場所から遠ざかるための時間稼ぎを行うことにした
「どうして私の使命を邪魔するの!?マクスウェル様の望みなのに!!」
「お前にわかるように言うならば、これが我が使命だからだ…あの子があの者達を救いたいのならば、私はお前の行動を阻止する!」
「何で人間のために行動するのよ!貴方…やっぱり可笑しいわ!」
「お前に理解など求めはしない!」
感情に任せて放たれたミュゼの攻撃をマナへと昇華する光の中で、エルシフルが“ミクニこそが自身の使命そのものだ”と口にすれば、ミュゼがそれを否定する
自身の存在のあり方を認めようとしない―――わからないミュゼに向けてエルシフルは微笑した
(誰にもわかるわけがない)
(理解をしてもらいたくなどない…)
(…私があの子をどれだけ大事にし、あの子に何をしたかなど…同胞達でさえ知りもしないのだからな…)
心の言葉は、他者へではなく自身に向けたもののようで、無意識にそれを思っている自分を知ると、エルシフルは微笑を自嘲するような笑みへと変えていく
(私の行動は契約ではなく、ただ――――)
己がミクニの元に寄り添う様々な要因を頭に巡らそうとした時、身体の奥底から全身が熱くなる
まるで全身の動きを邪魔するように纏わりついていた鎖が外されたかのように身体が軽くなった
世界のマナの流れが意識をせずとも捉えられるように感覚が鋭くなる
本来の“オリジン”としての力が戻ったようだった
(異変を抑えられなくなったか)
己の身体が力に溢れ、マナで満たされるのが意味するのは、自身の契約者の力が甦ったと言うことであり、エルシフルはミクニの異変がとうとう始まったのを察する
(…ガイアス。果たしてお前はどうなのだろうな…)
脳裏に異変に苦しむ主とガイアスを浮かべ、男の力を問う
けれど、それは疑問形ながら、エルシフルはすでに答えを得ているに等しかった
それでも明確にしたくなかったのは、ガイアスに対する嫉妬か、己の友と同じと言う事が許せないからか、ミクニがガイアスに対して罪悪感を抱いてしまうからか
きっと全部であり、簡単にいえばやはり嫉妬なのだろう
「…時間がないようだ。お前と遊ぶのもこの辺にしておこう…覚悟しろ、ミュゼ」
「っ!!」
「我が力の片鱗を味わうがいい」
エルシフルの瞳が強い意志を込めた様に変わると、それに刺激されて一気に空気が変わり、マナの鎖がミュゼを束縛する
詠唱は愚か、何の動作もなくあの術式が展開され、天空が黒く覆われたのに気付いてミュゼが顔を蒼白させた
《 インディグネイション 》
「きゃぁぁああっ――――!!」
冷たき声の言霊により、ミュゼの身体を消し去るように稲妻が落とされ、悲鳴が響く
光と共に暗雲が退くと、エルシフルの視界に残ったのは身体の至る所を負傷したミュゼであった
その姿を何も言うことなく捉えていれば、ミュゼは事切れた様に海へと堕ちていく
「…マクス…、ウェル…さま…」
「……憐れだな、お前は…」
ミュゼの身体が海へと叩きつけられようとした直前、エルシフルはその身体を抱きとめた
同じ大精霊として手に掛けるのは忍びなかったために手加減をしたため、ミュゼは意識を落とすことなくいた
そして、最後までマクスウェルを求めるミュゼの姿にエルシフルは憐れむ
「私に…力を…使命を成し遂げる、ための…力を…」
「………マクスウェル、お前は何を…」
“使命”ということに束縛…いや、“使命”が無くては生きることができないような弱き大精霊に、何故このようなことになっているのを問うように空を仰ぐ
もちろんそれに答える者などいるはずもなく、エルシフルは何かを考えるように瞼を伏せると、腕に抱くミュゼと己の身体を包むように翼をはためかせ、マナの淡い光を放つ
エルシフルの翼から離れるように解き放たれたマナは、労るようにミュゼの身体を包み込んだ
「…っ…どうして…?」
「私は無駄な死は好まない…」
自分の身体にマナが満ちたのがわかるとミュゼは瞳を見開き、エルシフルの表情を映してこの行動の意味を尋ねてくる
そしてミュゼに与えられたのは、エルシフルの慈悲が込められた声と瞳
けれど、ミュゼにはそれが慈悲であり、その慈悲と言うモノがどういったものかがわからないのか、脅えに似た視線のままだった
「ミュゼ…使命はもうやめろ。そのような使命を続けたところで、お前は…」
「馬鹿なことを言わないでっ!」
使命を放棄しろと言われた瞬間、ミュゼは駄々をこねる子供のようにエルシフルの腕から飛び出す
「…ミュゼ…」
「私には…私には使命しかないのよ!!」
「っ―――」
今にも泣きだしそうな表情でエルシフルに向かって声を張り上げると、ミュゼは与えられたマナで空間を裂く
突然のことにエルシフルは驚き、目を見張った
「ミュゼ!!」
そして、エルシフルが呼び止めるのも構わずにミュゼは突風が向かう先へと消えていき、裂け目も共に閉じる
「あの力…」
別空間へと繋げる力が消えると、エルシフルは己の掌に視線を注いだ
「…今はどうでもいいこと。それより、ミクニだ」
自身の力が再び制限されるように落ち着いたことを知り、エルシフルはミクニの異変が治まったことを知らされた
こんなにも早く治まっているのは、やはりあの男によるものか
それに対して深く考えることはせず、エルシフルは暁の空を越えていった
憐れに萌える感情に手を差し伸べられず
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