何処まで行ったのか、エルシフル達の影はミクニの前になかった

今頃追いかけっこを繰り広げているのだろうと思いつつ、ミクニは人気の少ない城の中を歩んでいたが止まる

少し離れた先には上等な衣服に身を包んだ文官の姿であり、かなりの高官だとわかる

よくよく見れば、自分がいる所は重要な管理職の仕事場であり、一般人はもちろんだがミクニも余り立入ったことのない場所だった

その上、ガイアスに保護をされているとは言え、ミクニの存在など彼らは知らない

とりあえず慣れたように身を潜めて、そのままやり過ごそうと考えるミクニだったが、彼らの言葉を拾ってしまう


「―――ナハティガルが亡くなられたと聞かされた時は、正直驚きましたな」


ラ・シュガルの王であるナハティガルが死んだという事実を初めて聞かされたミクニは驚くが、その事柄よりも彼らが続けた会話に意識がいく


「ええ。ですが、これでリーゼ・マクシア統一も間近ということになります」

「エレンピオスという異界の問題がありますがガイアス様ならそれもすぐに解決なさいますでしょうし、そろそろ」

「今回の件が落ち着いたら陛下に妻を娶ってもらってもいいかと」

「それではとうとう陛下の御子を拝めるかもしれないということか」

「後継ぎという問題が気になっておりましたが、そうなれば…」


彼らが話しているのは、ガイアス―――国に関わる事だった

その内容は何ら不思議ではないことであり、一国の王ならば当然のことだろう

少なくともミクニが知っている王はもちろん、貴族というものはその血を後世に残すことを重視している

いや、生あるもののほとんどが、自身の血を残したいと思うものなのだろう


「…そうやって、己が存在した証を残してゆく…」


文官達から遠ざかり、街を見渡せる露台に出たミクニは、街の中に存在する者達を見やる

どの命も、誰かの命が残していったもの

人はもちろん、動物も、それに魔物だってそう

そう思うミクニの瞳には羨望の色が宿っており、哀愁を帯びた空気を纏う

そして、彼女の手は何かを求めるように、密やかにお腹へと触れていた


「…1人で何を考えている?」


独りになってしまったような空間にいれば、突然声が降り、意識が現実に戻る

隣を見上げれば、その声の持ち主であるガイアスがいた


「少しね…」


思わずはぐらかし、ミクニはガイアスではなく街へと降り続く雪を映す


「前にもお前は此処で考えていたな…元の世界のことを」


その声は何処となく怪訝さを帯びたもので、ミクニは“ユーリ”と口にしたガイアスのことを思う

思えば、彼には何も言っていない

自分の事はもちろん、ユーリという存在のことも、重要な事は、何一つ


「元の世界のことじゃないよ…ううん、結果的にはそうだけど」


空より落ちてくる雪を辿り、そのまま城下町を―――ガイアスが守るべき民に視線を向け、意識はガイアスに注ぎながらミクニは言葉を続けた


「ガイアスは、王なんだよね」

「そうだ」


急にそんな当然のことを確認するような言葉を出されて、ガイアスが内心首を傾げた気がする

だが、ミクニは気にすることなく、先程の―――文官達の話を浮かべながら言う


「なら、いつかは結婚して…子供を、育むの?」


変な話を振られたと思っただろうか?

沈黙が生まれだす中、ミクニは黙ってガイアスの声を待った


「…確かに周りの者達の中には、妻を娶れと言う者もいる。だが、俺は妻を娶るつもりも、子を成すつもりもない」


返ってきた答えは予想外のことでミクニはガイアスへと顔を向けた


「でも、ガイアスは王。いずれ後継者が必要になる」

「俺の血を受け継いだところで、俺の意志を継ぐとは限らん。故に俺は、血筋ではなく、民を守れる意志がある者を後継者にするつもりだ」

「血筋ではなく、自分の意志を継いでくれる者を…」


王の器を持つ者の子が同じように王になれるわけではない

だというのに、必要以上に血筋に拘る世があるのも事実

それを理解しており、自身で実行しようとするのは、彼が心から民を思っているからだろう


「それに俺の弱みを握ろうと考える輩もいる」


民に慕われるからと言って、ガイアスのことを快く思わない者が1人もいないとは言えない

自身の思想とは相反する者が存在するもの

その者達は、きっとガイアスに連なる存在に危害を及ぼすだろう


「だから、妻は迎えないの?」

「ああ…だが、今は少し違う」


雪の冷たさに感化され、冷たくなったミクニの頭をガイアスが一度撫で、ミクニの意識をガイアスだけに向けさせる


「危険に遭わすとわかっていても、お前には…ミクニには傍にいてほしい」


相変わらず意志の強さを感じさせる視線だったが、それでも優しさを秘めた瞳の持ち主の言葉にミクニは幸せを感じた


「俺はお前とならば、子を成したい」


けれど、真摯な態度でミクニとならば子を望むと言われ時、ミクニの心は複雑になる

自身を好いてくれているからこそ、子を望んでくれている言葉は、ガイアスを好いているミクニにとっては嬉しさが芽生えても不思議ではなかった

けれど、その言葉でミクニに齎されたのは不安


(…ガイアス、私…)


「…ミクニは、子が欲しいのか?」


このような事を聞いてきたため、ミクニが子を望んでいると思ったのか、ガイアスが逆に問う

それにより、ミクニの表情は凍りつくが、それは一瞬だった

ミクニは気持ちを落ち着かせるように瞳を伏せると、遠い記憶を思いつつ、口を開く


「…欲しい。そう思ってた時期はあった…」


腹部に触れ、小さく服を掴むとミクニは覚悟を決めたようにガイアスを見上げる


「ガイアス……私、子供ができない身体なんだ」


いらぬ心配を掛けないように努めるミクニだったが、その内に抱える不安は表情に滲み出ており、それをガイアスが捉えた


「ごめんね、こんな話しして。けど、ガイアスが私を好きでいてくれてるのなら、伝えておいた方がいいと思ったから…後で、後悔する前に」


ガイアスはもちろん、自分が後悔しないためにも己の身体の意味の一部を口にしたミクニだったが、それにより嫌われてしまったかと心痛する


「ミクニ、俺は後悔などせん。お前の身体がどのようなものでも、お前に変わりないのだからな…だが、何故子が出来ぬと言い切れるのか聞いてもよいか?」


労る指先が頬を撫でたことでガイアスが自身を拒まないことが伝わり、ミクニは冷たい空気を吸い込み、己のことを語り始める


「…私は、始祖の隷長という特殊な存在の一つに数えられた。始祖の隷長は、生物が独自の進化を遂げた存在であるために同じ存在がいないの。だから、番がいないため、子孫を残せない」

「…番が存在しない?だが、お前は…」

「そう。確かに私は人間の形を保ってる。だから、始祖の隷長という身であっても子供が出来る、そう思っていた…」


長い年月を経て、エアルに適応し、独自の進化を遂げた存在

その姿は多種多様であり、一見魔物にも似た高い知性を持つ

その呼称の一つが“始祖の隷長”であった

只でさえ数少ない始祖の隷長には、同じような姿―――つまり同じ種族がいないため、子孫を残すことは叶わない

けれど、他の始祖の隷長のように模した姿ではなく、本来の人間としての姿を持つ自分ならば、子を宿せるのでは、とミクニは思っていた

少なくとも昔は、その可能性を疑う事はなかった


「…だから、愛する人との子を夢見てた」


ミクニのその言葉にガイアスの眉間に力が入り、彼はミクニの代りにその愛する人の名を口にする


「…その相手が“ユーリ”という者か」


ガイアスの瞳の奥に嫉妬の色が灯るのに気付いたが、ミクニは隠すことなく肯定した


「ユーリ・ローウェル。私を愛してくれ、私が愛した存在……そして私は、彼と結婚した」


そう言ってミクニは、今はそこには存在しない、彼と一生を共にすると誓った証を懐かしむように薬指を擦る


「多くの人に祝福されて幸せで、親しい人たちからも子供を期待された…」


ユーリとの付き合いは、彼が生まれた時からだった

彼の両親に恩のあった私は、生まれてすぐに親を亡くしたユーリを周りの協力を得て育てた

まるで私達は、本当の姉と弟のような関係だった

でも時が経つにつれ、ユーリは私を姉ではなく異性として愛してきた

私がどのような存在か知った上で、彼は私と共に生きたいと望んだ

そんな彼の事を私も1人の男として愛するようになり、私達は結ばれた

本当の家族として、“ミクニ・ローウェル”となった瞬間、この上のない幸福に私は包まれた

あの時の幸福を思い浮かべ、ミクニは微笑みを湛えるが、同時に悲しみを混ぜ合わせる


「…でも、子供は宿らなかった。何年、何十年経っても…そこで理解した。私の身体は子供が出来ないって」


それは始祖の隷長という存在であるためか、それとも“ミクニ”自身が原因なのか…

どちらにせよ、ミクニの身体が子を成せない事実は変わらなかった


「だからガイアス。私を求めても、君は…その血を残せない…」


“ごめんね、ユーリ”

“何で謝るんだよ”

“だって、私の身体は…”

“言ったじゃねーか。俺はミクニが傍に居てくれれば十分だって”


「それでも、君は私が、―――」


自身を求めたために、その血を残せなかったユーリのようにガイアスもその血を残せない

それでも自身を好きでいてくれるのかと聞こうとするミクニの言葉は塞がれる

顔を両手で包まれ、ガイアスに唇を重ねられていた


「それでも俺が、ミクニを好きだということに変わりない」


ガイアスの匂いが鼻を擽り、そっと顔が離れると、ミクニの心を見通しているようにその一言を告げられ、不安を和らげられる


「それに、俺とではわかるまい」

「え?」

「俺とならば子が出来るやもしれん」


微かに表情に微笑みが生まれようとしていたミクニの身体が、突然ガイアスの腕に包まれ、耳元へとガイアスが顔を―――唇を寄せてきた


「試してみるか?」

「なっ―――!」


妖艶さを含んだ声にミクニの心臓が大きく飛び跳ね、瞳を大きく見開けば、ガイアスが意地悪な笑みを浮かべる


「按ずるな。少なくとも、お前の心が俺を受け入れるまでは待つつもりだ」

「、変なことを言わないでよ…っ」


その言葉が意味するものに戸惑いを生じて少しずつ顔が熱くなる

その恥ずかしさを隠すように、ミクニは眉を顰めてガイアスから視線を逸らした



血を伝えるどころか、血を絶つき身の上



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