周辺の敵を一掃したというエルシフルの話はウィンガルの耳にも入っていたが、兵士への指示を続けた

一通り終えた後、すぐ近くで精霊とアグリアの呆れたやり取りが行われだしたが、彼はそれに関わらないようにし、マクスウェルの仲間が来たと同時に教会の傍を離れた

兵士がしっかりと定位置についているか確認するようにウィンガルは1人で周囲を見て回った

ある事を忘れるように参謀としての仕事に没頭する彼であったが、次第に歩みが止まる

教会から外れ、兵士もいない

人気のなくなった雪の上に立ちつくせば、静寂が襲った

思考が数刻前の事に染まり出し、無意識に掌を見つめていた

冷たくなった掌

けど、未だに彼女の頬を叩いた感触が想い出させる

罪悪感と後悔という感情が生まれるも、それ以上に哀しい怒りが掌を始め、思考を侵した

それらを握りつぶすようにウィンガルは掌を握りしめる

外側に出さないように内側だけで怒りを終わらせようとするかのような行為

だが、その吐きだすことの怒りは、突然激痛となってウィンガルを襲った


「…っ――――、」


頭を貫くような痛みは、全身を襲いだす

明らかな発作だった

恐らくファイザバードでの戦闘による反動が今になってきたのだろう

視界が眩み、頭の中が掻き混ぜられる

重い発作にウィンガルは頭を押さえながら地面に膝を着き、身体が倒れ込まないようにする


(…くっ、…ミクニ…)


呑まれてしまいそうな意識の中で、ウィンガルは彼女を浮かべ、呼んでいた

怒りでではなく、まるで助けを求めるように

それを許さないように一際鋭い痛みの波が来た

視界が眩い光を浴びたように色が奪われる


“―――”


色が無くなり、痛みが遠のく

静寂だったはずの世界で足音ではない音が聞こえた


“―――、――”


もう一度音は届き、それは声だとわかった


“…リィン…”


はっきりと拾った言葉

柔らかな声が自身の真の名を紡いだ


(…だれ、だ…)


穏やかな印象に思える程に声は鮮明に聞こえたはずだったが、ウィンガルがその声の持ち主を探ろうとする前に声色を忘れてしまう


“リィン…私は平気だよ”


微笑む口元

安心させるような口調

だが、それから抱くのは焦燥


(やめ、ろ…っ)


脳に届いた映像の断片

知りもしない現実感を帯びた後景

でも、すぐに消える

ただウィンガルに与えられたのは、色でもなく、音でもなく、感情だった

恐怖を帯びた怒り、そして喪失感


「―――ウィンガル!!」


その感覚だけを与え、視界が戻される

脳に直接届く声ではなく、耳から誰かが叫ぶ声が入った


「…、ミクニ」


歪んだ世界の中でミクニだけが鮮明に存在している

何故、此処にいる

何故、よりにもよってこいつなのか

平常心ならそう思っているはずだった


「何が…っ」


自身の身が抱える増霊極の真実を知らないミクニが指先を伸ばしてきた

それが頭へと触れる前にウィンガルはその腕を掴む



「、……死ぬな…」



絞り出すように吐きだされた言葉


「え…」

「死ぬな…、…お前は…っ」


澱んだ思考の中で感じた誰に対してかわからない感情がミクニへと向かい、彼女の行動に対するウィンガルの苛立ちが再び表へと出る

だが、それは荒れた怒りではなく、切ない願いのようなものだった

押しとめる意志が消えたように口は動いており、ウィンガルの手はミクニの存在を繋ぎとめるように握りしめていた

その行動に対してミクニは何も応えることはなかった

ただ空いた掌でウィンガルの額へと触れる

そして頭を抑えるウィンガルの手へと重ねると、彼女はそっと額を合わせるように顔を近づけてきたのが見えた

直後、激しい痛みが緩和していき、増霊極の異常が落ち着いていく

頭が軽くなり、息が落ち着いてきたウィンガルだったが、次に起きた事態に動揺した


「っ…!」


顔を僅かに離した距離でミクニが微笑んだ瞬間、ふらりと彼女の身体が揺れ、倒れこんでくる


「ぁ…ごめん。ウィンガル…」


その身体をウィンガルが何とか抱きとめれば、耳元でミクニは詫びた

前に一度だけ彼女の前で軽い発作を起こした時、ミクニは今のように増霊極の痛みを緩和させたのを覚えている

けれど、今のようにふらつきはしなかった

そこでウィンガルはカラハ・シャールにてミクニが毒を取り入れた話を想い出す

それと同じで彼女へと重い痛みが返ったのではないのだろうか?

意識が落ち着いてきたウィンガルはぎりっと歯を噛みしめる


「ちょっとふらついて…、」

「…そうやって自分を犠牲にして、満足か…?」


起き上がろうとしたミクニの腕を離すことなく言えば、腕の神経が微かに反応を示した


「…ごめんね…ウィンガル」


一時の沈黙の後、ミクニが動く


「心配してくれてたんだよね?ウィンガルは」


(俺は…)


「…なのに私、あんな言い方して…私、ガイアスがわからなくて…それでウィンガルもそうなのかなって…ううん。こんなの言い訳にしかならないね」


眉尻を下げて申し訳なさそうに微笑む表情は、数刻前のようなものではなかった


(…ガイアス…か)


あの冷静さが消えた事に胸を撫で下ろしたくなるも、それを齎したのが別の男だとわかると自嘲したくなった


(何を落胆している)

(それで…いいではないか)


「…別に俺は気にしていない。それに陛下を思っての行動だ。お前のためではない…」


緩んだ心の捩子を締めていき、己の冷静さを取り戻す

先程の言葉などなかった事にするようにガイアスのためだと言った

自分の気持ちによる行動だと気づかせないために、否定をする


「そうだとしても、ウィンガルが心配してくれたのは事実だから。ありがとう、ウィンガル」


瞳を細めてミクニが表情を和らげる

その瞳をウィンガルは直視できなかった


「もういい。だが…もう無茶な行動は自粛しろ」

「…それは無理だよ」

「っ、またあのような行動を起こすのか!?」


すんなりと承諾するとは思っていなかった

だが、また自分の身を犠牲にしてミクニが行動すると思うと、黙っていられずに言う

それでもミクニは折れることなく、次のように返した


「だって、それが私の生き方だから。私はそうして生きてきたの。馬鹿げてるかもしれないけど、私は自分が痛い思いをするよりも遥かに誰かを失う事が辛いから」

「っ、それは単なる自己満足だ…!」

「わかってる。自己満足だって。でも私は…強くないから。だから、親しい人が死ぬのは怖いの」

「……人はいつか死ぬ…」


人の死を乗り越えられるほど強くない

だから、己の身を犠牲にする

そうやって今まで生きてきた

そう口にしたミクニの意志を砕く上手い言葉が見つからず、そのような言葉しか出なかった

だが、その言葉をミクニに言えば、声が返ってこなくなる

ミクニの表情が消えているのが見えるが、次には哀愁を帯びた瞳を捉えた


「…そうだね…“人”は死ぬ…遅かれ早かれ、ね…」


遅れて物寂しそうにそう言うと、ミクニは立ち上がった


「ごめんね、ウィンガル。そうだとしても私は見過ごせない…ウィンガルもそうなんでしょ?さっき苦しんでいたのも」

「っ……」

「教えてくれないからわかんないけど…病気じゃないよね?だって、前の時も同様にウィンガルのマナ、異常だったから」


それにウィンガルは反論のしようがなかった

ミクニの言うとおり、ウィンガルはガイアスの、そして己の道のために自身を犠牲にした

理想のために自ら被検体となり、脳へと増霊極を埋め込んだ

そして増霊極の副作用は使用者の生命を削る

そのような副作用を覚悟でウィンガルは受け入れた

理想への道のためならば、何だってしてきた

だからわかっている

ミクニに対して何かを言える立場でないということは

だが―――


「帰ろう、ウィンガル」


何も言えずに口を噤んだウィンガルにミクニが手を差し出す

その手を少し見つめた後、ウィンガルは手を取らずに立ち上がった

ウィンガルの態度にミクニが苦笑いを浮かべたが、それを気にも留めずにウィンガルは先へと進んだ


「ちょっ…待ってよ!ウィンガル!」


背後で通常の声が掛ってくる中、ウィンガルは胸中にて声を出す


(…そうだとしても…ミクニ)

(もう…やめろ…)


それが彼女の生き方だとしても許せるはずもなく、隣に駆け寄ってきた者に目をやる

身を削るような行動を起こすとは思えない存在は、ウィンガルの視線に気づき微笑んだ


(そんな生き方、変えればいい…)


本人の意志だとしても、ミクニの生き方を変えてほしかった

命を捨てるような行為などやめてほしいとウィンガルは願う

ガイアスのため―――いや、殺し続ける事になる己の心故に


ただ生きてほしい

それ以上は望まない

隣にいずとも、それで構わないから…


けれどその願いは、ミクニが最も望まないものだとは、“人”であるウィンガルが気づくはずがなかった



背負う重さにより、き方も違い、求めるものもまた―――



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