震
今すぐ連れ去ってしまいたい
この場所から、この世界から
あの男の傍から、私の大事なミクニを―――
すぐにでもテルカ・リュミレースへ帰りたかった
黒匣という凶器からミクニを守るために
ミクニを惑わすあの人間から遠ざけるために
「そう出来たら、どんなにいいか…」
ミクニはそうしてくれないだろう
なら私は、この力をもってしてミクニの身を守るだけ
今までそうしてきたように
そう言い聞かせるように思っていれば、クスリ、と自分ではない誰かがほくそ笑むのを感じた
《 そうやって偽善を振る舞うが、最後にはあの時のようにするのだろう 》
「 黙れ 」
内側から囁いたかのように届いたノイズにエルシフルの瞳が僅かに濁る
それに刺激されて、見えない力を宿した低い声を出して歪んだ気配を消しさった
そのまま素知らぬふりをするように主の元へと戻ろうとする
だがその時、エルシフルの神経が何かを捉え、反応した
「精霊の…しかも、大精霊…?」
強くは感じないが、確かにそれは己と同じ大精霊のものだった
プレザが教会へと消えてすぐ、雪ではないものが舞い落ちる
「ミクニ」と空からエルシフルの声が掛り、彼が傍へと降り立った
何かを発見したのか彼が口を開こうとするが、その前に教会へと近づいてくる複数の人を視界の端に捉えた
(ジュード君…アルヴィン…エリーゼ…!)
彼らの姿に呼び掛けようとするが、ミクニはそこに紛れる気配に気づく
「大精霊だ…」
その気配をエルシフルが言葉で確認させる
エルシフルが言うのだから間違いないことであり、現にミクニ自身も精霊―――その中でも強い力を持つ大精霊だと感じていた
「何故…ジュード君らと共に…?」
「わからない」
彼らと共に行動している大精霊に訝しんでいると、新たに気配が生まれる
ジュードらの仲間であるミラ達だった
(まさか、ミラに従う大精霊?)
(けど、ミラは四大以外の大精霊を従わせている様子はなかった)
教会の二階からミラと大精霊と思わしき存在を見比べるように眺める
(…あの大精霊は一体…)
全く知らない大精霊であるためか、ミクニは瞳を細めて疑いを持つが、空に鳴り響いた鐘の音で意識が城の方へと向かう
『私はジランド』
雑音の後、拡声器を通して流れてきたのは確かにジランドの声だった
『まずは、君達の街に強引に進駐した非礼を詫びよう』
「非礼を詫びる?笑わせる…」
『だが、我々の目的は支配などではない!これは大国間による最終戦争を回避するための非常処置だ。諸君の生活と安全はアルクノアが責任をもって保障しよう!』
(あのような事態を起こしておいて…)
『我々と諸君の願いは、ひとつのはずだ!リーゼ・マクシアに永遠の平和を!!』
台本の台詞でも読んでいるような態とらしい言葉に顔を引き攣らせてしまう
「馬鹿げたことを言ってくれるね…今すぐにぶっ飛ばしてやりたい」
「落ち着くんだ、ミクニ。私が黒匣もろともあの男を破壊してあげるから」
思わず弓を携えて教会を飛び出してしまいたくなれば、エルシフルに止められる
「その笑顔だと実現しそうだね」
「ミクニが望むなら、実現させられるよ」
爽やかな笑顔でそう返してくる精霊の言葉を微笑んで受け取る
一見戯れのようなやり取りだが、明らかにそこには殺意が含まれていた
二人は最後に瞳だけで会話を終えると中へと向かう
階段を降りていこうとすると、ちょうど扉が開き、ミラ達が入ってくる所だった
「ミラ」
「ミクニか!?」
「えっ!ミクニ?!良かった!無事だったんだね!」
「君らもね」
驚きの声を上げる彼らに、手を上げて挨拶をする
「ミクニ!」
「ミクニ君だー!」
遅れて入ってきたティポを連れたエリーゼ
彼女はミクニを見つけた途端に駆け寄ってこようとするが、奥の声によって止められる
「戯れは後にしてもらおうか」
皆の視線が一斉にミクニから外れて教会の御神体がある方角へと向かう
ミクニも後を追うように視線をやれば、ウィンガルの視線とあった
だが、ミクニと目が合ったためか、彼は瞳を動かす
「……結局その男を信じるというのか。意外と甘いな。マクスウェル」
誰の事を言っているのかは、ウィンガルの瞳を追えばわかった
(…アルヴィン?)
その意味はよく知りはしなかったが、ジランドへ銃口を向けた時のアルヴィンを想い出し、それに関係があるのだろうかと思案した
緊迫した空気に変わってしまう中、ミクニは例の大精霊への疑問はもちろん、ミラ達が不審そうに見ていたエルシフルのことも答えずに椅子へと腰を下ろした
「私達を此処へ導いた狙いはなんだ?」
「我らは奴らと雌雄を決すべく立つ。お前たちが勝手に奴らに挑むと言うのならそれはそれでいい」
「だが、その前にお前には話してもらうぞ。お前がひた隠しにしてきた断界殻のことをな」
聞き慣れない単語が脳に引っかかる
ガイアスが聞くと言うのだから一般的な事ではないのだろう
直接聞かれているミラは戸惑いを抱いているのかすぐには答えなかった
その沈黙の間、ミクニは例の精霊が何かを考えているのを見るが、ミラの声が聞こえ出したことで視界から遮断する
「…今から二千年前……このリーゼ・マクシアは私の施した精霊術、断界殻によって閉ざされた世界として生まれた」
「閉ざされた、世界…」
ミラの言葉に一つの疑問が解消するように欠片が結びついていき、エルシフルと顔を見合わせる
「全ては精霊と人間を守るためだった」
「閉ざされた世界と言ったな。それでは断界殻の外にはまだ世界が広がっているというのか?」
「うむ。その世界をエレンピオスという」
「…あの時、槍によって壊された音は…断界殻なんだね?」
ミクニの問いかけにミラは一つ頷いた
“…あの時入ってきた黒匣の群れといい、まるで星喰みを遠ざけたザウデみたいだね。断界殻って”
“辛いのか?”
“そうだね…昔の過ちでも見せられているようで嫌になるよ”
皮肉気にエルシフルに言っている間にも話は進んでいく
ナハティガルに兵器と伝えて断界殻を打ち消す装置を造っていた理由にミラは頭を悩ましていた
「…断界殻を打ち消し、エレンピオスにマナを還元する算段でもしていたか…」
“マナを還元、ね”
“黒匣が溢れているのならば、マナが枯渇している可能性があるな”
“二千年前から黒匣があるとすればそうだろうね”
「ちがう……」
ミラの言葉を誰かが否定し、皆の視線がその人―――アルヴィンに集まる
「アルクノアはただ……帰りたかっただけだ。生まれ故郷のエレンピオスにな」
(だから彼はジランドと)
アルヴィンがリーゼ・マクシアではなくエレンピオスの者だとわかる
恐らくジランドもエレンピオス人で間違いないのだろう
この世界に彼と黒匣の兵器でしか銃を見ていないのもそのためだろう
「この世界に閉じ込められた二十年余り……そのためだけに動いてきた。断界殻を打ち破る方法を見つけるか。断界殻を消すか……」
「…断界殻を消すためには生み出した者を排除しなければならない」
「…アルクノアがミラの命を狙ったのは、そのためだったんだね」
帰るために行動をしてきたというアルヴィンの話
上辺だけならば、単純に帰りたかっただけという純粋な想いだろう
けれど、ミラの命を狙ったのも然り、その背景で何人が犠牲になったのだろうか?
少なくともミクニは目の前で槍のために命を失った人々を覚えている
精霊だってどれ程の犠牲が出たか計り知れない
「解せんな…ジランド、何を企んでいる?」
「え、どういうことですか?」
帰りたかっただけというアルクノアに対して、それにそぐわないジランドの行動にガイアスを始め、ほとんどの者が疑問を抱いていた
「エレンピオスから軍を呼び寄せる必要なんかない。リーゼ・マクシア統一…?俺たちは……そんなこと望んじゃいない」
「…あれは単なる余興だよ。少なくともジランドや軍を送ったエレンピオス側は、アルクノアの目的など鼻から関係ないということ」
「…なら俺らは…利用されていただけかよ…」
こんなはずじゃなかった、とでも言いたいようなアルヴィンの言葉にミクニはそう付け加えれば、彼は遣る瀬無いように視線を伏せる
「ミラ。閉ざしたのは精霊と人を守るためと言ったけど、それは“黒匣”から?」
「…ああ。黒匣はマナを消費し、精霊を殺すことだってある」
「それが二千年前からと言う事か…」
まるで二人だけで納得したようにミクニはエルシフルと頷く
その様子に皆の視線がもちろん集い、大事な事を口にしない二人にアグリアが我慢ならないように立ち上がった
「おい!化石と羽根!わかってんなら、あたしらにわかるように言え!」
“羽根とは私か?”
“アグリアだから”
「…わかっているわけではないけど」
「いいから、話せって言ってんだよ!」
アグリアの催促に小さく苦笑いを浮かべつつミクニは己の考えていることを口にし出す
「ファイザバードで放たれた槍の一閃。あれはマナの塊だった」
「それは当然だ。槍は精霊とマナを犠牲にしているものなのだからな」
「そうなんだけど、“マナの塊”というのが重要なんだ。断界殻という術を打ち消すことや精霊を捕捉する、または人の身体をマナに分解することから、槍の力というのは物質の根源であるマナに…」
「…よく、わかりません」
槍の特性から話してしまえば、エリーゼが眉を寄せていたため、ミクニは考えを短く述べる
「簡単に言うと、術でもなく純粋なマナならば方法を知っていれば消費せずにいられる。エレンピオスは恐らくマナが枯渇しているだろうから、槍を用いてマナを得ようとしているのではないかと私とエルは考えていたというわけ」
「そこまで考えられるとは…やはり侮れませんね。ミクニさんは」
「単なる予想だよ。ローエン」
「……マナを得る、か……ジランドは断界殻がある今の世界のあり方を、マナを得るために利用しようとしているかもしれないな」
ミクニの言葉に耳を傾けてくれていたのだろう
ウィンガルがその言葉を出すと、それらの話によってアルヴィンが何かに気付いたように顔をあげる
「そうか、異界炉計画だ……」
話の流れから良いモノではない計画とわかり、ミクニは瞳を細める
「通称、精霊燃料計画」
「っ……」
「燃料……?」
顔には出ないものの“燃料”という言葉に神経が震えてしまい、事情を知っているエルシフルが精神を通して声を掛けてくる
“平気か?”
“…燃料、か…だからあの時、ジランドはそう表現したのか…”
“…ミクニ…”
“くだらないね…”
“ああ…本当だな”
「まだ俺が向こうにいたガキの頃、従兄が話していたのを覚えてる。黒匣の燃料である精霊を捕まえるって話があるってな」
「つまり、ジランドの狙いは精霊の囲い込みってわけ?」
「だけど、それおかしいよ!精霊だけならあんな嘘つく必要ない。ジランドは……」
(精霊だけ…)
(確かに精霊だけなら、そうかもしれない)
(弱い精霊は黒匣に抗う術がないのだから)
(恐らくは)
「霊力野を持つ僕たちも一緒にリーゼ・マクシアに閉じ込めるつもりだよ!」
ジュードの言うとおりだろう
「精霊に加え、リーゼ・マクシアの民も資源とするつもりか……バカげたことを」
その声に俯き気味だった顔を上げる
(…精霊のことも考えてくれているの?ガイアス)
顔を向けることなく心の中だけで問うた
「多分ジランドは海上にあるアルクノアの本拠地に戻ってる。エレンピオス軍も来てるんだ。船で近づくにも厳しいぜ」
「では、カン・バルクに停泊している、連中の船を奪うのはどうかと」
「よし!明日決行する」
一般的に見れば突拍子もない計画が決まってしまい、そのままガイアス達がこの場からいなくなろうとした
それをジュードが「一緒に戦ってくれるんでしょ?」と止めようとする
「僕達の目的は同じでしょ。だから……」
「冗談ではない」
「勘違いしてんじゃねーよ!」
「マクスウェルが勝手に断界殻をつくりだし、我らをこの世界に閉じ込めている事実……これも知った以上は捨て置けん。お前たちとはまた争うことになるかもしれぬ」
敢えて一時的な慣れ合いなど認めない声にジュードはもちろん、誰も何も言えなかった
「…待って、ガイアス」
だが、そのガイアスの返答にミクニはため息を一つ零しつつ、呼び止める
「勝手も何も断界殻は二千年前のこと。黒匣から守るためだと聞いていたでしょ?少なくともマクスウェルには理由があり、マクスウェルだけが非難されるべきではないと私は思う」
恐らく二千年前に、ガイアス達の先祖はマクスウェルの話を受け入れて断界殻の中で生活することを受け入れたのだろう
もしも拒んだのなら、エレンピオスにいる人と同様に残ったはず
だが、それはあくまでも想像の範囲であり、ミクニは口にすることはなかった
それに何よりも
「…君の話から逃げた私が言うべきことじゃないけど………だから…後で話したい」
言ってしまった後、唇を結ぶように閉じる
あんな態度を見せられた後だからか、ガイアスが微かに瞳を見開いた
二人が放つ空気の緊迫感があってか、誰も声は出さなかった
「…好きな時に来るといい、ミクニ―――」
そう答えると、ガイアスは四象刃を引き連れて奥へと去って行った
始動してしまう前に震えを断ち切る覚悟を
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