教会の二階にある露台に辿り着き、吐息を漏らす

雪と馴染む白い吐息を目撃していると、背後から包まれる


「…ミクニ。そんなに苦しいのなら、もうやめるんだ」

「エル…」

「あんな男は忘れておしまい。あの者は、人のためにある王なのだ」


冷たい空気を感じさせない春のような暖かさを持つエルシフルの腕の中

彼は澄んだ声で語りかけてくる


「忘れられないのなら、私と共に此処を去ろう。今なら時間が忘れさせてくれるから」


彼が言いたいのは、ユーリの事だろう

ユーリが与えた苦しみをもう一度味わう前に離れてしまえと言っているのだ


「黒匣のことは此処に産まれた者達に任せればいい…帰ろう、ミクニ。本来いるべき場所へ」


自身の身体を癒す温もりをくれるエルシフルの胸に寄りかかりながら、彼の懇願を耳にする


「我が同胞達もお前の帰りを望んでいる…お前を慕う者達もきっと待っている……私達の世界、テルカ・リュミレースにて」


自身の星の名に此処に来る直前の星の姿が過る

“深淵なる者”との戦いの後、残った精霊達はどうしているだろうか

仲間達の意志を継いでくれた者達も無事でいるだろうか

世界は再び、光を取り戻せたのだろうか


「…ミクニが見守るべき世界はテルカ・リュミレースなのだ。この世界リーゼ・マクシアじゃない」


エルシフルの想いが温もりを通して伝わってくる


エルシフルは戻りたいのだ

あの場所に

“テルカ・リュミレース”へ


「…本当は感づいているんだね…エル」


この世界を忘れてほしいという彼の想いに対して、ミクニはそれだけ言う

沈黙が生まれるが、それを拒むようにエルシフルはミクニを抱きしめる力を強めた


「…ミクニ。私は……お前が大事だ」


ミクニの首へとエルシフルが顔を埋めるように頬を寄せてくる

苦しんでいるような声をミクニは瞼を伏せて聞く


「喩えこの世界がそうであっても…お前を傷つける世界など認めたくない」


言葉に込められた意味なんて、容易にわかった


エルシフルが戻りたいのは“テルカ・リュミレース”

それ以外はないのだ

“リーゼ・マクシア”ではないのだ

そう

この世界が“テルカ・リュミレース”であったとしても…―――


「それに、これ以上無茶を続ければミクニ……お前の身体がどうなるかわからない」

「……それは…」

「“人”の姿を望むのなら、もう…」


想い出させるように耳元で言われ、ミクニは己の身体を見やる様に俯いた

その時、足音が響き、忠告を続けようとしたエルシフルの声がやむ


「…お邪魔だったかしら?」


呆れにも似た表情のプレザがいた

エルシフルとの現状を言っているのだろう

ミクニは気にするでもなくエルシフルの腕の中から離れる


「少し二人で話したいのだけれど」


プレザがちらりとエルシフルを見た

ミクニはエルシフルを少しの間遠ざけると、プレザに向き直った


「ガイアスに言われてきたの?」

「違うわ。陛下は自分で行くと言ったのだけれど、今陛下が言った所で貴方まともに話さないと思ったから…陛下を止めて私が来たの」


まともに、とは精霊の件に関してだろうか


「陛下から聞いたわ。精霊と槍のこと…確かに貴方には槍のことを話すべきだったわ」

「もういいんだよ。プレザ」


気にしてないように口元に小さく笑みを浮かべれば、プレザは眉を顰める


「…精霊の話をしたくないならいいわ…ただ、少し聞かせてほしいことがあるの」


ミクニの気持ちを汲んだのかプレザが一度口を閉ざす

ミクニは何も言うことなく、プレザの言葉を待った


「…ラ・シュガルで掴まっている間に何かあった?」

「…どうして?」

「ミクニ、陛下との話しを拒んでいるでしょ?ミクニは話しも聞かずに決めつけるとは思えないから……聞きたくないのは、何かを知ってしまうのを恐れているんじゃないかと思って……」


まるで事情を知っているようなプレザにミクニは瞳を見開いてしまう

その表情の変化から、プレザは自分の言葉が合っているのを察した


「もしもそうだとしたら…その原因は掴まっている間しかないわ。ねぇ、ミクニ。何があったの?」

「………」

「言いたくないのね。でも、それで陛下の思案を決めつけないであげて。陛下はミクニを傷つけることを考える人じゃないもの」

「…そんな保障、何処にある?」

「何を言うの?だって、陛下は貴方を―――」

「言わないで!」


思わず、その後に続くモノを遮る

プレザの瞳が驚きに満ちており、ミクニは視線を逸らした

逸らしてしまったことで見えない恐怖に神経が捕捉されていく

次にどのように行動していいかわからずにいると、プレザの足が動き、近づいたのが見えた


「ミクニ……貴方が恐れているのは……陛下の気持ち?」


痛みを伴って心臓が大きく脈を打つ


「ミクニ、顔を上げて」


プレザの指示にゆっくりと伏せていた顔を上げる

瞳を細めて、プレザが小さく困ったように微笑んでいるのを捉えた


「陛下のこと、好き、なのね?」

「…私は……」

「いいわ、言わなくて。ただ、陛下とちゃんと向き合ってあげて。陛下が貴方の事を心配していたのは事実だから」


プレザの言うとおり、向き合うべきなのだ

そうしなければいけないのを、本当はわかっていた

でも、私は恐れ、逃げている

ガイアスの口から聞かされるのが、恐くて仕方ないから


「それとウィンガルの事を許して。貴方の事を気に掛けていたから、貴方の無茶が許せなかったのよ」


ウィンガルのことを出され、今は痛みの引いた左頬に手を当てる


「彼が不器用なのは、ミクニも知っているでしょ?」


特にミクニに関してはね、とプレザは小さく言ったがミクニは首を傾げると、何かを想い出したように口を開く


「ねぇ、プレザ…ガイアスはジャオを本気で置いていったわけじゃない、てウィンガルが言ってたけど…そうなの?」

「ジャオの意志って言ったでしょ?」

「うん。でも、ウィンガルの声は私の理解が違うような言い方だったから…」

「それはたぶん…ジャオが陛下のためだけに残ったからじゃないからだわ」

「…どういうこと?」

「本当はジャオは、マクスウェルの仲間である子供のために残ったの。陛下はその望みを聞きいれたのよ」


(子供?)


だいぶ前にジャオが小さな子供の事について話していた記憶がある

マクスウェルの一味という事柄から、ミクニはまだ幼い少女―――エリーゼを浮かべた


(ジャオはエリーゼのために?)

(…ならガイアスは…ジャオを)


その事実に少しだけ気持ちが楽になる


「そっか…教えてくれてありがとう、プレザ」

「別にいいのよ。それに礼を言うのは私の方よ」

「え?」

「…ジャオを助けてくれて、感謝しているわ。それに、ミクニが生きてくれていることも嬉しく思っているのよ」


陛下とウィンガルに負けないくらいに、とプレザが微笑んで言うと、彼女はミクニを残して教会の中へと入って行った


「…ジャオのように…決めつけているだけなのかな…全部」


そうだったらいい、と淡い期待が生まれるも振り払うために叱咤する


(変な期待はしてはいけない)

(現にガイアスは、槍を必要としたのだから)


そうは思うも、自分の身を守るために向き合う事から逃げ続けてばかりではいけないのだろう



逃げたところで、恐れはえるどころか強くなっていくのだから



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