其処は全てが平穏の空気に包まれた世界―――ミクニの精神だった

テルカ・リュミレースに似た景色が広がった其処でエルシフルは落ち着きなく天を見上げる


“ミクニ、どうして声が聞こえない”

“どうして、返事をしない”

“どうして、私はお前の傍に行けないのだ”


世界が乱れていた

それはミクニ自体が乱れている証であり、心に影響があったという知らせ

それも生易しいモノではない

精神世界はミクニの心の鏡である故に全てを知られてしまう

ミクニはマナをコントロールするように、常にエルシフルが住まう世界を美しきテルカ・リュミレースに描いていた

だが、そこに影響が出ると言うことは、ミクニが只ならぬ状況にあるということ

その上、それを確かめようにも自身の力は封じられていた

感覚的にミクニによるものではなく、外部によるものだとエルシフルは察する

ミクニが望んでいることなら納得するが、氷の大精霊セルシウスを使役する男に攫われた後であるということもありエルシフルは焦った

そしてその焦りは増していき、ミクニの感情と共にエルシフルに届けられた残酷な言葉の数々により、焦りは怒りへと変化していった





玲瓏たる響きに導かれ、己の力が解放される

精霊としての威厳を纏い、人間界へと降り立つとエルシフルはその群青の瞳にミクニを映しこむ


「…こんなに無茶をして…明星を使いつつ私を正式に召喚するなど、時と場合を考えるべきだ…」


少し息を乱した存在の頬を包み込む

蒼白ではないにしろ、その身体が優れていないのはエルシフルには手に取る様にわかった


「仕方ないじゃない…正式でなければ、エルの力が削がれてしまう。これだけの黒匣の相手をするには、エルの力が必要だったの…」


小さくミクニの口元に笑みが浮かぶが、それは無理にしたものであった

この状況もあるだろうが、何よりもこの空気が悪い

黒匣という凶器が空間を乱し、それはテルカ・リュミレースに起こった惨劇を連想させていく

実際にミクニは苦痛に耐えかねて、心の内で無意識に助けを求めていた

唯一、それを理解してくれる存在であるエルシフルに

それを嬉しくも思うが、彼女の苦痛を思うと悲しくなる

そう思っていると、突如現れた精霊の姿に驚きを抱いていた黒匣を扱う者達が、黒匣が作動したのに気付いて背後から斬りかかってこようとした


「…騒がしい者共だ…」


ミクニとの会話を邪魔する不躾な輩に、エルシフルは振り返らずとも気づき、稲妻にも似た光を放つ

周囲の敵を一掃したことを確認することなく、エルシフルは無表情でミクニの後方にいる者達―――ガイアスらを瞳に捉えた


(……あの者め…)


精神世界での感情と言葉が過る

それが真であろうとなかろうと、ミクニを傷つけた存在がエルシフルの視界にいる

腹の底が苛立ち、エルシフルの瞳が相手を射抜くように鋭くなった


「エル、道を切り開くのを手伝って」


主の声に怒りを潜めると、その言葉の意味に彼は憂いを帯びる

ミクニのみを此処から連れ出すだけでなく、他の者達も此処から逃げ出させるためという意味だとわかり、エルシフルは少し間を置く


「……お前が言うなら、そうしよう」


少なからずそれに不服ではあったが、ミクニの気持ちを尊重して頷いた


「ミクニ、お前!」

「説明している暇はない。私とエルが後方の道を確保する! 」

「ミクニの身は私が守る。お前たちは自身らの身を守るといい」


黒く、そして色白の男―――名は確かウィンガルとミクニが言っていたはず

彼がミクニを、そしてエルシフルに向けて問いを投げかけようとしていたが、ミクニはそれを制する

エルシフルがウィンガルに向けて冷たい眼差しで言えば、彼はもちろん、敵を打ち払ったあの王も怪訝な色を見せていた


「行くよ!エル!」

「ああ、ミクニ」


明星を手に取ったミクニに続くためにエルシフルは彼らから視線を外し、背を向けると後方の道を確保するために動く

他の者から離れたミクニを逃がさないとばかりに、敵が襲い周囲を取り囲もうとする

それを見計らい、エルシフルは己の力をもってミクニの周囲に強力な磁界を形成した


《スパークウェーブ》


彼女を守る様に紫電が放電され、周囲の敵を一掃する

その放電から逃れた敵をすぐさま識別してミクニが排除していく

躊躇うことなく刃と弓を振るう主の行動をエルシフルは感じ取りながら援護していく中、切なげにいた


(可哀相に…)


勇ましく切れのある動作ではあるが、その行動にはいつもの冷静さは薄れている

その原因は過去の過ちを再現しているかのような現状もあるが、その神髄は1人の男―――ガイアスだった


(あの男がミクニを好いていようが嫌いであろうがどうでもよい)

(だが、ミクニに不穏な影響を与えるのは許せない)


ミクニが彼に好意を抱き、心を許し、惹かれ、焦がれ出していることをエルシフルは知っている

彼女が幸せであり、“生”と言うことに暖かさを感じてくれているなら、エルシフルはよかったし、そのことを喜んでいた

だが、それは一瞬にして崩れた

“燃料”という、ミクニがマナの塊だという表現によって

その表現により、ミクニの心は揺れたのをエルシフルは覚えている

厳密に言うならば、ガイアスが燃料としてミクニを見ているかもしれないということで、彼女は動揺を示していた

もしもそれが事実ならば、エルシフルにとって許し難いことであったが、それ以上に解せないことが起こった


“燃料として見られていても、構わない―――”


幻滅とかではなく、受け入れに近いそれに、エルシフルは恐怖した

ただ“燃料”として見られていてもミクニがガイアスを嫌いになれないだけかもしれないが、歪みが生じようとするその恋情は危ういものだとエルシフルは感じている

なぜならば、“死”という可能性があるからだ


(このままでは私の大事なミクニが死んでしまう)

(それは許してはならない)

(……あの子を愛したユーリのためにも…私は…)


彼女と共に世界を生かした仲間達

己が一度死んだ後、自身に代って彼女を支えたデューク

そしてミクニを愛し、彼女が傍で生きてくれることを望んだユーリ

彼らの想いを描くように、エルシフルはミクニの動きに同調して、黒匣を消し去っていった

荒れた大地の上で大方の敵兵を排除し終えると、戦に染まった主が動きを抑える

エルシフルもそれに反応し、視点を移してみるとゆっくりとこちらに歩いてくるガイアス達がいた


「みんな…、……ジャオは?」


彼らに駆け寄ろうとしたミクニの歩みが遅くなり、1人足りないことに気づく

彼女の問いかけにプレザの表情が沈むのをエルシフルは見逃さなかった

恐らくミクニも気づいているだろう


「…行くぞ」

「待って!ジャオを置いてきたの!?」

「ジャオは、陛下の道のために残った…」

「…ジャオの意志なのよ。ミクニ」


ガイアス達を逃がすためにジャオは敵兵の足どめを引き受けたのだろう

彼らにとっては、それが最善の選択なのだろうが、その判断によりミクニは愕然としていた


「そんな…仲間でしょ…?」

「あやつは俺の四象刃だ…覚悟は出来ている」


(…主のためか…)

(わからなくもないが…その言葉はミクニにとっては)


仲間―――部下を見殺しにしたようなガイアスに対して、ミクニが憤りを覚えようとしているのを感じ取り、エルシフルが彼女に声を掛けようとする

だが、それを阻むようにガイアス達が来た方角から爆発が上がった


「ジャオっ!!!」


“ミクニ!”


「待て!ミクニ「触らないで!」…っ!」



黒い煙が上がる方角へとミクニが駆け寄ろうとし、エルシフルが前に回り込もうとするよりも早くに、ガイアスが腕を掴もうとする

だが、それをミクニは払い退けた

人の死を―――特に親しき人の死を恐れる主の空気にエルシフルの心が急く


「私はジャオの元に行く!」

「っ、なら私も…」

「エルはガイアス達を無事にカン・バルクへと連れて行って!」


そして告げられた最も望まない命令に嫌悪さえ抱く


(この者を…この者を守れと言うのか…?)


“ミクニ、これは聞けない!私はお前を守るのが…”

“見捨てろというの?エルシフル”

“っ……そういうわけではない”

“わかってる。エルが心配してくれているのは。でも大丈夫だから…ジャオを連れて戻るから”


「待ちなさい!」

「ふざけているのか!?お前一人の力では、どうにもならない!」


命令を拒否しようとするがミクニの強い意志にそれは弾かれる

その意志により、エルシフルは承諾したようにミクニを引きとめようとした彼らの動きを止めた


「退け…!」


人とは思えない凄みでガイアスが睨みつけてくるが、それに怯むことなくエルシフルは背後で上がった光を感じ、その存在を確かめる

光の粒子がミクニから立ち昇り、彼女の姿が溶けていく

そして光がミクニを包み込み、一瞬強い光を発すると、“人”の代りに“竜”がいた


「っ…ミクニ」


何よりも気高き姿に転じた存在に見惚れてか、それとも畏怖してか、人の子が彼女の名を呼ぶ

竜はエルシフルと彼らに向けて一度啼くと、透き通る翼を広げ風を巻き起こした


“エルシフル、後はお願い”

“…ああ、約束しよう。だから、ミクニも…”

“わかってるよ”


今一度上がった爆音に向けて飛翔していく主の姿を収め、エルシフルはガイアス達に向き直る


「早く此処から離れるぞ、人の子よ」

「……行くぞ」

「っ…は」

「ええ…」


物言いたげなガイアス達だったが、ミクニが向かった空から視線を外す

巨大な力を持つ主のことに想いを馳せつつ、抵抗を感じるとは言え、エルシフルは彼女との約束を果たすことにした



主君のは、誰にも奪わせはしない


  |



top