小雨に打たれながら、ガイアスは全てを見据えていた

これから起こる戦により、敵味方関係なく多くの命が失われるだろう

面に出すことはないが、リーゼ・マクシア統一のためとは言え悲しいことだった

けれど、弱き者たちを守るためにもガイアスはやらなければならない

己の心を殺してでも王として進まなければならない

感情を律する彼の視界には、20年前のファイザバード会戦が重なっていた


(あの時のようなことは起こさん)

(俺は導き、守る)


巨大な津波の後景を今でも忘れない

あの時の遣る瀬無さを、悔しさを、切なさを、葛藤を、全てを


(俺は誓ったのだ)


誓いを想うと、守るべき存在の1人であるミクニが結びついた

ウィンガルから彼女がラ・シュガルの者に攫われたと聞いた時と同様に、心が乱れそうになる


(…ミクニ)


それ程に彼女が大切だった

彼女に強く焦がれていた

だが、それにより彼女はラ・シュガルに狙われた

妹にしたように、大切ならば距離を置くべきだったのかもしれない

けれど、その危険がわかっていても彼女を―――ミクニを欲していた


「―――陛下。アグリアから“槍と共にミクニがこちらに向かっている”という連絡が入りました…」


ガイアスの傍で忠誠を誓うように片膝をついたウィンガルの声が微風に乗り、はっきりと届く


(俺は必ずお前を救う)

(俺は、お前を―――――)


瞳を一度伏せ、思考を戦に向けさせる

消える事のない厚い雲から太陽の光が微かに差し込む中、ガイアスは長刀を引き抜いた

雷鳴が鳴り響き、ガイアスの瞳に鋭さが増す

彼の空気が変わったことでウィンガルが面を上げた



「 全軍、前へ出せ ――― 」



緊張感が一切の音を消したような空間に重みのある声が轟く

5万という軍勢に向けて王の指が動き、命が伝わっていった

たったその一言

彼の王としての一声により、全てが動きだした

地面を揺るがす大軍が一気に目前の―――まるで壁のように並んだ敵へとぶつかる

戦争が、始まった――――





凄まじい騒動の中、血が舞っては敵が臥していく

ガイアスの姿を見た途端、彼らは猛獣の如く襲いかかってきたが、彼の圧倒的な力を見せられると小動物のように一瞬怯む

それでも命令のためか、自国のためか、家族のためか、襲いかかってくる敵に情を掛けることなく斬り捨てていった


「プレザか」

「クルスニクの槍はこの奥に運ばれました。その後を球体らしきものに捉えられたミクニが運ばれたとのことです」


ウィンガルの指示で槍の動きの調査を確かめに行っていたのだろう

軍から離れたガイアス達の前に現れたプレザの言葉に耳を傾ける


「アグリアからの情報にもあったが、球体とはなんだ?」

「術の一種だと思うけれど、よくわからないわ。恐らくミクニの力を封じているんじゃないからしら?」

「そう考えるのが妥当か…」

「急いだ方がいいかもしれんのお」


大精霊を捉える力を持つクルスニクの槍を創るのならば、ミクニの力を封じるのもラ・シュガルにとっては容易いのかもしれない

その上、人質を盾に取られたことでミクニは抵抗をしなかったとすれば、造作もないはず

槍と共に連れてこられたとなれば、やはり槍のマナのためだろう


「行くぞ!ミクニを槍の糧にはさせん!そして、我が手中に槍を収める―――」


刀を握りしめると、ガイアスは己の直属の部下を伴い、プレザが示した道を行く

奥へ進んでいく程に敵が増えていくが、ガイアスは道を切り開いていく


「どうやっても行かさん気じゃのお」

「ふふ。仕方ないわね。私が相手をしてあげるわ」


沼野の最深部に差し掛かるところで新たなラ・シュガル軍が現れ、ジャオ達がガイアスに近づけさせないように立ちはだかる


「此処は我らに任し、陛下は“ミクニ”の元へ」


背を向けたままウィンガルがそう言った

国のためならば冷酷な判断も辞さない参謀が“槍”ではなく“ミクニ”と口にしたのは、彼がミクニを認めているのはもちろん、按じている故だろう

その気持ちを深く探る事はせずに、ガイアスはウィンガル達にこの場所を託すと、泥濘む道を駆け抜けていく

激化していく戦の音が遠くで聞こえる中、緑の中で動くものを捉える

数人のラ・シュガルの兵士と、淡い球体

距離はあったが、その中に浮いている人影にガイアスの表情が険しくなった


「ミクニ―――っ」


風を切る様に疾走する

敵でありア・ジュールの王である彼の登場に兵士たちは気づくも、ほぼ同時に彼の一太刀を浴びた

一瞬にして絶命していった兵士の血が刃に滴り、それを払うと無重力のように浮いている存在を振り仰ぐ


「ガイアス…」

「…ミクニ」


自身の名を呼ぶ声に嬉しさが生まれたが、すぐにガイアスは顔を顰める

ガイアスの瞳に映ったミクニの姿は、最後に見た時と明らかに違っていた

刃を握るとは思えない程に皇かだったはずの肌は、崩れたように赤く腫れあがり、爛れていた

右手からは痛々しく爪が割れて、血が滴っている

蒼白な顔をしたミクニだったが、それでも弱ることなく瞳を持ち上げていた

僅かな沈黙の後、ミクニが視線を逸らすように頭上を仰ぐ

其処には結晶が淡く輝いており、ガイアスはそれが球体の原因なのだと察し、すぐさま刃で貫く

直後、結晶が砕けて飛散し、ミクニを捉えていた術が消失する

浮いていたミクニが地面へと落ちる寸前に、その身体を抱きとめた


「ミクニ…すまない」


出来るだけ傷に触れないように柔らかくガイアスがミクニを包む

雨の刺激が爛れた皮膚に落ちないようにミクニの身体を隠した


「…なんで謝るの?」

「…俺のせいだからだ。俺のせいでお前はこのような目にあった」


凛然な声と視線には、怨みや怒りは見えなかった

隠しているだけかもしれないが、今のガイアスにはわからなかった


「ガイアスのせいじゃない。全ては私自身が選んで取った行動」

「だが、お前が攫われたのは俺の、」

「所詮は噂。実際には私とガイアスには何の関係もないんだから…」


痛みなど感じていないように静かにそう言ってくるミクニには、普段の朗らかさは欠片もなかった


「この失態は私のせい…だから…、」


そう付け加えていくミクニの声が止まる

ガイアスがその身を癒すためにマナを与えだしたことに気付いたからだ


「…気にしないでって言ったじゃない…それとも……この姿が、憐れ?


抑揚の消えた声を出したミクニを見れば、何の感情も捉えられなかった瞳が変わる

まるでガイアスを見る事が辛いような眼だった


「っ…そうではない…!俺は、お前が大事なのだ!」

「…だい、じ…」


ガイアスの声にミクニの表情が変わり、確かめるようにガイアスの言葉を反復する


「そっか…」


微かにミクニの口元が緩み、空気が和らぎを見せる

途端にミクニが体中の痛みに疲れたような表情を見せた

その様にガイアスは優しく頬を愛でる


「俺がお前を守る。だから、安心していろ」


その言葉を信じたようにミクニはその身をガイアスの温もりに委ねる

僅かにその身体が己のマナによって癒されてゆく様を見守っていたガイアスだったが、崖の上に見える槍へ一度視線をやる

自国の民を攫い、ミクニをこのような目に遭わせた元凶とも言えるモノ

だが、それでもガイアスは槍を手に入れなければならない


リーゼ・マクシアを統一し、守るために

弱き者が虐げられない世界を創るために


そのためにも自身の元に全ての力を集約する必要があった

そうすれば、無駄な争いもなくなり、守ることが出来る

全ての者が蔑まれずにすむ

誰もが“人”として過ごせていける


(お前が隣にいてくれるように…お前が人として生きられる世界にする)


脳裏に浮かんだ約束を、ガイアスは心の中でミクニに誓う

ガイアスの道を阻止するように彼らが現れるまで、あと少し…



が視界を遮り、互いの本心を眩ませる



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