空
苦しみに喘いでいた呼吸がだいぶ静まり、力んでいた掌の力も抜けている
その様子に強張っていた表情を少し楽にした直後、部屋を訪ねる音が届く
焦りを見せないものの幾分か難しい顔で入って来たのはローエンであり、その後にジュードとアルヴィンが続いて入って来た
「ローエン…クレインなら、このままいけば命は大丈夫だよ」
「そうですか。それを聞けて、一先ず安心しました…」
命を取り留めた事を聞けてローエンはすぐにでも笑みを浮かべそうになるが、静かに息を吐くのみだった
それでも彼が安心したのは事実でミクニはその気持ちを察して瞳を和らげる
「…アンタ、手が震えてるぞ」
一時的に毒の除去をやめた手の異変にいち早く気づいたのはアルヴィンだった
彼の視線を受けてミクニは震える手を握りしめる
「大丈夫だよ。これくらい…」
「…もしかして、クレインさんと関係あるんじゃないの…?」
幼いながら察しのよいジュードの言葉に苦笑いを浮かべる
変に誤魔化しても仕方ないと判断し、ミクニはクレインの状況を話し始めた
「クレインに放たれた毒は単なる毒じゃない。傷の治癒同様、一般的な精霊術では間に合わない強力な毒…それを取り除くために彼のマナを使って毒を私に移したんだ」
「そんな事出来んのかよ…」
「わからない…少なくとも僕は聞いたことないよ。でも、それが本当なら…ミクニはクレインさんの代りに毒を受けているってことだよね?」
クレインに施していた治癒術の手際の良さからジュードが医術に精通していることは察していた
ジュードはもちろん、他の二人からも険しい目を向けられ、ミクニは安心させるために笑みをつくる
「でも、私は毒に耐性があるから大丈夫だよ」
「…ミクニ…」
平然を装うミクニにジュードは寄ると、精霊術を発動し、ミクニの身体を少しでも楽にしようとする
その光を受けると、僅かに震えが止まった気がした
「ジュード君…」
「これで少しは楽かな?」
「ありがとう」
作った笑みではなく、自然に頬が緩み、ジュードもその表情を確認して「良かった」と呟いた
「ミクニさん…クレイン様のためとは言え、申し訳ございません」
「私が好きでした事だから。それに…誰かが目の前で死ぬのは嫌だから」
「…心からお礼を申し上げます。ありがとうございます」
「どういたしまして。それで…町の方はどうなったの?」
主人を救ってくれた事を心から感謝してくるローエンだったが、町の事を聞けば再び表情を張り詰める
彼らから漂う空気から悪い情報だとすぐに理解させられ、ミクニは彼らと共に一度部屋を出て広間で話を聞く事にした
「じいさんのお陰で軍はすぐ退いてくれて、町の方の被害は少ないが…」
「…ミラ達が攫われたんだ」
「ミラ達ってことは、エリーゼとドロッセルもってことだね」
(クレインを狙ったことから、シャール家の者であるドロッセルも狙ったとは考えられるが、何故攫ったんだろう)
(軍が簡単に退いたってことは、攫う事が狙いだったのかもしれないけど…)
(…峡谷のようにマナを奪うため?)
「どうしてこんなことに…」
「旦那様を襲った矢は、近衛師団用の特殊なものでした」
軍の行動の真意を考えていたローエンが顔を上げ、自身が導き出した答えを言う
「そして、タイミングを合わせた軍本隊の侵攻……考えられる事はひとつ。すべては、ラ・シュガルの独裁体制を完全にするための作戦です」
「王に刃向かうクレインは、邪魔だってことだね」
(独裁…そんなことのために、クレインを)
民を想う故に王に楯突く行動を行ったクレイン
けれど、その民を想う優しく気高い心のために命を狙われる事になった
(何故、世の中はこうなんだろうか…)
「ナハティガルの野望か……」
「……ミラ達はどこに連れて行かれちゃったんだろう……」
「ガンダラ要塞でしょう。一個師団以下の手勢で、複数の街を短期間で攻めるのは、戦術的に無理があります。つまり、サマンガン海停は襲撃を受けておらず、未だシャール家勢力下と考えるのが妥当です。となると、イル・ファンへとって返すはず。その帰路で駐屯できるのはガンダラ要塞しかありません」
ミラ達を心配して瞳を伏せるジュードに、彼女達の居場所をガンダラ要塞で間違いないと論理的に説明するローエン
それは納得のいくものであり、彼が単なる執事でないことが窺える
(ローエンって一体何者?)
「へ、へぇ……そんなもんか」
「助けに行かなきゃ!」
「そんな焦ってもしょうがないぜ?要塞なんだ。簡単にはいかないだろ」
ローエンに対して内心驚いていれば、居場所がわかりすぐにでも要塞へと向かおうとばかりにジュードが声を上げる
その姿をアルヴィンが宥めるが、静かにローエンが首を振った
「いえ、チャンスは今晩だけでしょう」
彼は今ならば要塞は隙だらけであり、要塞を通り抜けられるようにするために手配していた味方が中にいるため、すぐに発つのを提案する
「確かにローエンの言うとおり、彼女達を助けるなら今だね…ただ悪いんだけど、私は此処に残ってもいいかな?クレインはまだ油断ならないし、今の状態だと足手まといになるかもしれないから」
「もちろんです。むしろ、旦那様をお願いします」
「強力な戦力であるお姉さんがいないとなると、骨が折れるな」
「まだ出逢ったばかりなのに、私を頼ってくれてるんだね。アルヴィンって」
「短いとは言え、お姉さんの力量が並はずれてるのはわかるぜ」
「確かにミクニがいてくれれば、助かるよね」
「それに癒しがねえしな。なぁ、青少年」
「アルヴィンはそればっかなんだから…」
ジュードの肩を抱き寄せて同意を求めるアルヴィンにミクニは小さく笑みを返す
そのままガンダラ要塞へと向かう3人を見送ると、クレインの元へと戻った
床に臥せたクレインの意識は戻ってはおらず、ミクニはその額に浮かんだ汗を清潔な布で拭う
「……ドロッセルは、ローエン達が助けてくれる…」
汗を吸った布を机に置き、ミクニはクレインの肌へ再度触れようとした
一時的に治まっていた震えが込み上げていたが、それを無視してクレインの手を握る
「だからクレイン…彼女のために、生きてよ」
心の内で攫われた彼女達が無事にローエン達によって救いだされることを信じ、ミクニは己が今出来ることに専念する
「…残される身は、辛いんだから…」
彼の命を繋ぎとめるように、一際強く手を握りしめた
埋まらない空虚なんて、知らない方がいい
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