崖の際、叩き付けられた絶望と空の青




居心地のよい眠りに入っていた

けれど、鼻に届く鉄の臭いで夢の影が消えて、ミクニは目を覚ました


「…、ごめん。私、寝てたんだね」

「寝ていればいい」

「ううん。エルシフルの怪我を治す」

「私は平気だ。だからミクニは休むといい」


そう言われたが、ミクニは構わずに血濡れたエルシフルの体に手を伸ばす

治癒術など初歩的なものしか扱えないミクニの力では、血の流出を防ぐのが精一杯だった


「ごめんね。私が治癒術が得意だったら、役に立てたのに。こんなことなら、剣術や弓術とかよりも術の方を特訓しておけばよかった」


(特訓したところでたかがしれてるけど…)


苦笑いになりながら、巨体であるエルシフルの体を癒していく


「…ミクニが来てくれて、私は助かっているよ」


ちょっと落ち込んでいると、エルシフルがそう言ってくれ、少しでも彼の役に立てているなら幸いだった


「だが…無茶はしてほしくない」

「エルシフル。これは私がしたいことなんだよ?」

「…お前はいつもそうだな」


その時、エルシフルが悲しく笑ったような気がした

傷の手当てをしているミクニには、彼の表情は見えなかったが、その声が憂いを帯びているため、そのような表情だと思った


「お前は昔から……、」


エルシフルが重たそうに首を持ち上げ、言葉を飲み込む

ミクニは突然のことに驚き、首を傾げた


「どうかしたの?エル」

「ミクニ、隠れるんだ」

「でも…」

「早く!」


肩を跳ねあげ、ミクニは近くの茂みへと隠れさせられる

その最中、地面を僅かに揺らす程の振動が伝わり、複数の気配を感じる

微かに背筋に嫌なモノが奔ったと思うと、森の奥から見慣れた格好が現れる


「…人よ、何の用だ?デュークならば、帝国の呼び出しで此処にはいない」

「・・・・・・」


顔は知らない

でも甲冑を身につける彼らは、正しく帝国の騎士だった


(何故、彼らが此処に?デュークがいないのは、知っているはずなのに)


帝国と人間側に付く始祖の隷長の盟主―――エルシフルの間には確かに盟約が結ばれている

けれど、話は大抵デュークを通してだと知らされているミクニには、彼らの様子は可笑しく映った

いや、実際彼らの様子は歪であり、次の行動にミクニは目を見開く


「兵装魔導器を前へ!!」


地面を揺らす振動の原因が飛び込む

円盤状の機械から伸びた筒がエルシフルに照準を合わせる


「…盟約を破るか」

「帝国のためを思っての皇帝の御命令だ!」


魔導器にエアルが集約されていくのがわかり、ミクニは咄嗟に矢を放つ

兵装魔導器が狂った音を上げ、一時的に稼働をやめた


“出てきてはいけない!!ミクニ!!”


脳にエルシフルの声が響き、その意味は理解していた

自分が出ていったところでどうにもならないのもわかっていた

けれど、今のエルシフルの状態では無事に飛び立てる程の力は残っていない

竦んでしまいそうな足を奮い立たせ、ミクニはエルシフルを斬りつけようとした騎士に打撃を加え、その手から剣を奪う

デュークではない、人間の―――まだ少女であるミクニがエルシフルを守るように立ちはだかると、兵士の意識がざわめく


「何をしている!その者も斬り捨てよ!」

「エル達は…エルシフル達は守ったのに!!」


ぎゅっと剣を握り、こちらに向かってくる騎士を、人を斬りつける

初めて魔物を斬りつけた感触がミクニを襲ったが、それに何かを思う時間などなかった


(守らなければ、守らないと、私が守るのっ!)


魔物とは違った呻き声や悲鳴など、全ての音を無視して襲いかかってくる騎士を切り捨てる

エルシフルを守るという事柄以外何もなく、現実感のない空間にいるようにミクニは刃を振るった


「っ…!!」


騎士を1人斬りつけた時、ミクニを襲うように無数の矢が飛んできた

けれど、それはミクニには届かず、視界には金色と純白

エルシフルの体がミクニを守る様にそこにあった


「…エル、…っ…」


そこで意識が鮮明になりだし、己の手や体に纏わりついたモノ、辺りの状況が現実感のものになる

そこでようやく人を斬ったことを実感し、大切な人を失くした時のように胸に穴が空いたようになるが、すぐにそれを打ち払う


“すまない、ミクニ…”


何も悪くないのにエルシフルが謝ってくる

それはこの状況に巻き込んでいる事か、人を斬らした事か、それとも全てか

「何で謝るの?」そう問いたかったが、襲ってきた騒音と衝撃にミクニの声が消えた

何が起こったのかミクニにはわからない

全ての衝撃から守る様にエルシフルに体を包まれていた


「離して!エル!私はいいから、逃げて!」

「…わかっているだろ?私には最早飛ぶ力はない。だから、飛び出して来たのだろ?」

「っ…デュークが、…きっとデュークが戻ってきてくれる!」


エルシフルの青い瞳に、その対のような存在であるデュークを想う


(デューク、デュークッ!!)


心で必死に彼の名を叫んだ


(お願い、クローム!!聞こえて!!)


彼と共にいるはずの彼女に声が届くように祈る


「放て!!」


その声と共に再び衝撃が空気を揺るがし、エルシフルから呻き声が上がる

それを何とかしたいのにミクニには何も出来なかった


「そうだな…クロームがデュークを連れてくる…そうすれば、ミクニだけでも」

「変な事言わないで!!お願いだよ!お願いだから―――っ!!」


3度目の地鳴りが起こり、金と白と青の景色に赤が入り込んだ

エルシフルが声にならない声と共に喀血した

ミクニを優しくも強く包んでいた力が緩み、ミクニは這うようにその顔へ近づく


(うそ、うそ…うそっ…)


「…エル…しっかり、して…」

「………ミクニ…」

「エルッ!!」


重そうに瞼が持ち上がり、その双眼が自分を映しだす

ミクニを捉えた事が嬉しいのか、彼が幸せそうに瞳を細め、悲しそうに笑う

震える神経でミクニは彼に触れた

いつものような温かさは薄れて、冷たく感じる


「…ずっと、一緒に…いたかった…」

「い…いやっ……だめ…」


始祖の隷長の体が光に包まれだす

それがエアルによるものだとわかり、その意味がミクニの視界を歪める


「…私のために、泣いて…くれているのか……ありがとう、ミクニ…」

「…ッ…ぁあっ……」

「……すまない…私はもう、いられない…だから―――」


友である始祖の隷長の体から発せられていた光が強まり、彼の身体が、消えた


“どうか、ミクニとして生きてくれ”


その声は彼の口から聞かされず、ミクニの手に降ってきた美しい結晶から伝わる


さっきまで触れていた身体は、もうない

穢れても美しさを持った羽根さえ、ない

あの青い瞳も、目の前で霧と化した

優しく奏でた声も、聞こえない


震える腕でミクニはエルシフルの魂―――聖核を抱きしめた


(エルっ、エル、…エル…―――…)


友を失った事で胸に熱いモノが込み上げ続けようとしたが、今はその時ではないと言い聞かす


「小娘!それをこちらへ渡せ!!それは帝国で管理する!!」


悲しみや遣る瀬無さや喪失感よりも、醜い感情が次々とミクニを襲った

裏切り、友の命まで奪った挙句に、その魂まで寄こせと言ってくる声にミクニは体を起こし、面を上げる

憎悪に満ちた敵視で自身を取り囲もうとする騎士らを睨むと、血に濡れた剣を構えた


「構わん!殺せ!!」

「―――――――ッ!!!」


悲鳴のような、呻き声のような、鋭い叫び声を上げ、ミクニは突進した

人である事をやめたように、立ちはだかってくる騎士の腕を斬り落とし、体を貫く


(これは渡さない!!)

(エルの魂まで、失わせない!!)


力が溢れているようにミクニの体が発光しながら、人間離れした力と化していく

だが、それは全ての騎士を相手に出来るほどのものではなかった

ミクニは利き腕に痛みを覚えると、その隙を突かれて背中に太刀を浴びた


「っ…はぁ、はぁ、はぁ…」


息があがり、力が次第に失せていく

それでも友の魂を抱える腕の力は緩まず、ミクニは前を見据える

追い詰められ、逃げ場がなくなる

後退していた足が止まり、気づけば背後には崖だった


(デューク…クローム…)


彼らの気配は感じられず、代りにミクニに向けて矢が放たれようとしている


ここで自分は死ぬのだろうか?

エルシフルが守ってくれたのに


(…なら、せめて…)


幾人もの血を吸った刃を落とすと、ミクニは両手で聖核を包む


「矢を、放て!!」


矢が一直線にミクニに向かう為に音を立てる

それを合図にミクニは崖から離れ、空中へと舞った

自身を貫くはずだった矢が視界を横切る様子を眺める

そのまま重力に引きつけられるように、風を切る音を立てて海へと急降下していった



崖の際、叩き付けられた絶望と空の青



「……、ユーリ…ごめん、ね…」


空に帝都で待つ弟を想い、ミクニは体を蝕む痛みを味わいながら、底へと溺れていく

青い空が赤味を増していったのを最後に、ミクニの意識は、消失した―――




―――***
群青三メートル手前「濁音十八題」より

人魔戦争終結した直後
デュークは帝国の呼び出しでクロームと共にいなかった
だが、それは帝国の作戦であるわけで…
主人公は人魔戦争に参加していたわけではないが、エル達が心配でやってきた
他にも騎士の中に知り合いがいて、その情報も得たかった
初めて人を斬り、友を失い、主人公は死亡(えっ)
この後、デュークがクロームと共に駆けつけたはず
最後の赤味は主人公の血によるもの





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