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わたしの濁った瞳はざあざあと強い雨に降られ人気のない街を写していた。先程まで隣にいた土門はわたしが一人になりたいと少し強く言えば後で迎えに来るからと言って去っていった。久しぶりに会ったと言うのに、中身はあまり変わっていないものだと少しおもしろかった。大学の卒業旅行。同じサークルだった友達と、1日目は楽しく観光をした。わたしと同じようにアメリカと日本という国を隔てた遠距離恋愛をしていた彼女は今頃彼に会いわたしとは全く違う州で全く違う状況にあるのだろう。わかれよう。彼からきた最後のメール。最後なのに、素っ気ない。最後だから、だろうか。今日の朝にきていたそれを、妙に勘のいい友達にきづかせないようにするのは少し大変だった。一哉には今日わたしがアメリカにいることは言っていなかった。だからなにも知らないのだ。土門とわたしが一哉を驚かせようとしていたこと、わたしがこの日を心待ちにしていたこと、なんて、知るはずがない。もはや虚しすぎて声も出ない。土門もいっそのこと笑ってくれればよかった。とても驚いていた彼には、かなり、難しい話だろうけど。ぱしゃぱしゃと音をたてて走ってきた土門がわたしの腕を掴んで「行こう」と言った。行くって、どこへ。微かに眉を寄せて、虚ろな瞳で訴えた。一瞬怯んだ土門は、けれどすぐわたしの腕を離すものかと強く握って、再び言った。「行こう」

わたしは土門にひっぱられるまま雨に濡れるのも構わずに走り続けた。キャリーががらがらと雑に引きずられる音が雨音と混じって、なんだか変だった。なんで走ってるんだろう。酸素の足りない頭でもうどうだっていいことをぽつりぽつりと考える。もうすでにわたしの視線は絶えず動く自分のびちゃびちゃに濡れた足と地面に釘付けで、どこかの家に飛び込むようにして入ったのにも、体にたたき付ける雨が消えたことで顔をあげ、ようやく気づいたくらいだった。
「あら!飛鳥くんと…名前ちゃん?美人になっちゃって!」
「あと、苗字のことお願いしてもいいですか?」
「わかったわ。飛鳥くん、風邪ひかないようにね」
よろしくお願いしますと頭を下げて外へ出ていった土門くんを見送ってすぐに風邪ひいたら大変だからおシャワーあびちゃってと言う女性にうまく動かない頭でありがとうございますと控えめに呟いて、案内されるまま入ったシャワールームからは軽く体を温めてすぐに出て、昨日買ったばかりのワンピースにのそのそと着替え、簡単に化粧をして、そこで、ようやくここはどこだろうという考えに至った。
「苗字ちゃん、ごめんなさいね。せっかくアメリカまで来てくれたのに…まったく一哉はどこで何してるのかしら」
「一哉…」
「どうかした?」
「あっ、いえ、あの、シャワーありがとうございました!ホテルにチェックインしないといけないので!」
「あらあら、それなら泊まっていったらいいじゃないの。遠慮しないで、ね?」
目の前の女性は一哉のお母さんで、ここは一哉の家なんだと気づいたときにはもう遅かった。有無を言わせぬように語りかけてくるおばさんは、知らないのだ。わたしと一哉が、別れた、ことを。さあ、と青くなるわたしの顔色なんてどこ吹く風。ほらほらあの子の部屋で待っていて。なんて、ぐいぐいと押し切られ一哉の部屋にいること数十分。どたどたと走る音がどんどん近づいてきて、いよいよ血の気が引く体と、それに不釣り合いすぎるくらい体中がどくどくと大きく脈打つ。わたしは部屋の真ん中でぎゅっと身を縮め、扉から背を向け、泣きたくなるのを抑えてそのときを待った。そして背後から大きく扉を開ける音と、微かな息切れと、息とともに小さく小さく吐き出されたわたしの名前が聞こえて、どきりと体がはねた。おわった。頭の冷静な部分が冷たく言い放った。

がちがちに冷えた体がどんどん温もりを取り戻していく。耳元には微かな呼吸音。息とともに小さく小さく吐き出されたわたしの名前に、体がはねた。なんで。震える声で、必死に言葉を紡ぐ。
「なんで、こんなことするの。しつこいって、言ってくれたら、少しでも、嫌がってくれたら、そうすれば、諦めた、のに」
「ごめん」
「それは、どういう、」
「不安になってた。名前はもう俺のこと好きじゃないんじゃないか、とか。名前は優しいから、付き合っていてくれてるんじゃないかとか」
「…だから別れよう、て、メールしたの?」
「来てくれてるとは思わなかったんだ。」
「ごめんね」
「謝らないで。悪いのは俺なんだよ」
「不安にさせたのは、わたしだもん」
「それ、名前は悪くないだろ」
「そんなこと…」
「後悔してた。ずっと言いたいこと言えないままで、別れようなんてメールで送って」
「言いたいこと?」
「今って卒業旅行なんだろ」
「うん…土門くんから?」
「聞いたよ。だからとんできた。それでさ、」
「うん」
「俺と結婚してくれませんか」
「え、」
「今凄く慌てて来たから、指輪とか何もないんだけど。それでもよかったら、」
「…」
「俺と結婚してください」
喜んで。そう言うと、すごく嬉しそうに笑って、ぎゅっとわたしの体をさらに強く抱きしめた。そろそろ離してくれないとわたしの心臓は爆発してしまいそうだけれど、なんだかぎりぎりで、幸せで、満たされているこの空気を、もう少し感じていたい。温かな雫が、人知れず頬をつたって、おちた。
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テーマ「人外ファンタジー」
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