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鍵を開けて、そっと家に入った。よかった。まだ帰ってない。靴をきっちり揃えて、鍵もかけた。すみからすみまで家を出る前の状態に戻して、ため息をつく。手慣れたもので、大した時間もかからない。ずっと手のひらに握っていたせいでしわくちゃになった紙には、数字が並んでいる。小さくちぎって、ちぎって、ティッシュにくるんで、それから、コンロで燃やした。じりじり焼けていく。火のそばにいたからか、顔が火照って、目が乾いた。ふいっと顔を逸らすと、じわりと目に涙が浮かんで、視界がぼやける。これならきっと、バレないはず。炭をきっちり取って、タバコの吸い殻と一緒にゴミ箱に捨てた。それからフライパンと、野菜と、包丁と、まな板と。とにかく夕飯を作るのに必要なものを全部だした。料理、もともとできないわけじゃなかったけど、それにしたって、我ながら上手くなったもんだなと思う。あ、エプロンつけわすれてた。テーブルにたたんで置いてあるエプロンをつけて、またキッチンに戻っていった。あぁ、こんなこと、本当はしたくなんてないのに。気持ちとは裏腹に、体はきっちり仕事をこなしていた。



「怪我は、もみあいになって」自嘲を浮かべて、気付いた。本当は、私は変わっていたのだ。昔はこんな顔、しなかったのに。できなかった、のに。「別れようって、今までありがとうって、言ったら、……」声が震えた。わざとじゃない。わざとじゃないんだ。取り繕ったように偽ることすらできなくて、私の心の悲鳴がだだ漏れていた。言葉にならなくて、つっかえて、ああほら、風丸が頭なんか撫でるから。「大丈夫だ」「……」「もう、大丈夫だから」顔を上げて見た風丸の表情は一緒に痛みを抱えてくれているのがよくわかってしまった。嘘をつくのが下手なのは、やっぱり変わっていないね。ほんとうに、やさしいひと。結局のところ私がどうしたかったかなんて、私にだってわからないのに。



スーパーの帰りに見かけたはり紙はとても懐かしくて、そういえば風丸以外の皆は今何をしているんだろう、なんてことを考えた。私は大して親しかったわけでもないけれど、それでも、優しくて温かい人たちだったのは、よく覚えている。「苗字?苗字じゃないか!」振り返ると、今記憶の中で笑っていた幼い顔がそのまま大人になったような男性が私の名字を呼びながら近寄ってきた。「円堂…?」「あぁ、久しぶりだな!」「久しぶり。よくわかったね」「監督、お知り合いですか?」円堂にちょろちょろ着いてきていた懐かしい校章をつけた中学生たちの中でも一際しっかりしていそうな少年が円堂に聞いたので、とりあえず少年たちに笑みを向けておく。「あぁ。中学のとき、たまにサッカー部のマネージャーをしてくれてたんだ」「ほんとうにたまにね。しかも大体は一緒にサッカーしてたし」「イナズマイレブンの皆さんとですか!?」「苗字は凄かったんだぞ!」「やめてよ、もう全然できないんだから」苦笑いで答えると、中学生たちから輝いた視線を向けられて、恥ずかしくなる。「そういえば、」ふと思い出したように口を開いた円堂に、その場にいた全員の視線が集まった。風丸の、ことだろうか。私について風丸から何か聞いているとか?さすがに中学生たちの前では言わない、よね?いや相手は円堂だ。油断はできない。どうやら言葉を選んでいるらしい円堂に嫌な汗が流れる。ごくり。暫しの沈黙に誰かが唾をのみ込んだところで、円堂が再び口を開いた。「随分まるくなったな!」円堂は円堂だった。「太った…と?」「いや、態度っていうか、雰囲気。昔はサボり上等とか教師に喧嘩売ったりとか…」「!?」「それ以上は教育と円堂によくないと思うよ……?」「すまない」「許す」戸惑っている子供たちの前で怒鳴らない私は確かに丸くなったかもしれないが、それにしたって円堂、お前ってやつは……。「まったく……まぁいいけど。練習頑張ってね。応援してるよ」「はい!ありがとうございます!」中学生たちは純粋である。



懐かしいな。思い出が鮮明に蘇る。今思えば、私の青春の大半は青い髪のあいつに捧げていたような気がする。思い出せる楽しかったことの8割は、あいつが傍にいた。少し温かい気持ちで家に帰ると、玄関には彼の靴が並んでいた。あ、やばいな。頭の中でけたたましい警鐘が鳴る。靴を脱いで、リビングにいる彼へただいまと声をかけた。彼はゆらりと立ち上がって、私へおかえりと笑う。「どこに行ってたんだい?」「買い物よ」「1時間も?」「最近運動不足だったから、散歩も兼ねて」「ふーん」できるだけ穏やかな声音で答えるけれど、恐怖はどうしても拭えなかった。あの日からずっと、彼は私を軟禁している。行き過ぎた束縛だった。元々、束縛されるのは好きじゃない。笑顔で私を押し倒す彼は、別れを告げたあの日から、変わってしまった。
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