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ずびー、と鼻をかんでから、私の前の席に姿勢正しく座っている風丸に小さく、けれど不機嫌そうに「おい」と声をかけると、訝しげな顔で振り返り、それから驚いて目を見開いていた。「顔真っ赤だぜ、どうしたんだよ」小さく呟かれた言葉に、髪切ってこい、なんて噛み合わない返事をして、この季節になると私の机に鎮座する箱ティッシュから乱雑に数枚抜き取って、ずびー、と鼻をかんだ。それから追加でとろうと箱に手を突っ込んだが、そこにはダンボール紙の感触しかない。くそ、今年は一段と酷い。未だにこちらを向いて心配そうにしている女顔に「花粉症だよ」と吐き捨てると、頷いて、それからやっぱり「大丈夫か」と問うのだから、私が髪を切ってこいと言ったことはスルーされているようだ。私は、こいつの無駄に綺麗で長い髪のせいだと睨んでいる。苛立ちを隠そうともせずに舌打ちをしてふんぞり返ると、先生が一瞬だけこちらに顔を向けて、それからまたすぐに前を向いて黒板やら教科書やらに書いてある文の解説をはじめた。マンモス中であるここで、教師たちが唯一敬遠したがる生徒。問題児。不良。それが私。まったくありがたくない評価だ。私はちょっと自分の感情に正直なだけなのに。「ねぇ、風丸」ずび、と鼻をすすりながら声をかけると、「はい」と苦笑いつきで差し出されたポケットティッシュを受け取った。「ありがとう」皆まで言わなくてもわかることがちょっと嬉しくて、思わず笑ってしまった。



しかしよくできた彼氏であった。人より付き合っていた人数の多い私が、今でもたまに思い出すくらいにいい彼氏だった。中学生のころに付き合っていたあいつは、今では画面の向こうの遠い人になっていた。その容姿や性格その他もろもろで世の女性の心をわし掴んでいるのだからそのままアイドルになってしまえと思いながらジャンクフードを機械的に口へ運ぶ、なんて簡単なお仕事。風丸は多分そんなに変わってないと思う。変わる必要の無いくらい、よくできた人間なのだ。あいつは。私は変わる必要のある人間だが、変わる気はない。向上心がまったく無いわけではないが、まぁ人よりはない。断言。今から変わったところで私に何の利益があるというのか。新しいポテトチップスの袋を開けながら、あいつの出ている試合を見ていた。また会いたいなと思う。こんな、冷たい画面越しなんかじゃ無く、直に。もし会えるなら。そうだな。もっと、女らしくなりたいと、変わりたいと、思う。涙目で、ずびずびと鼻をすする。まったく。ひどい、花粉症だ。



いつも通りの少し露出の多い可愛らしいドレスを着て、にこにこと上っ面だけの笑みを浮かべておもてなし。私は如何わしいことはしないけど、他の子は何人かそういうことをしているらしい。らしい、であって、噂である。本当かどうかなんてわからないし、もしかしたら私もそんな噂をされているかもしれない。女の世界はいつだって怖くて、嘘ばかり。本当はそれだけじゃないことを、中学生のとき、サッカー部のマネージャーをしていた彼女たちに教えてもらったけれど、高校生になって彼女たちやサッカー部から遠ざかると次第に忘れていった。忘れざるをえなかった。最初からそういうものだと思い込むようにして、周囲から距離をとった結果がこの様。笑えてくる。別にこの仕事を貶める気はないが、私は、向いてない。それだけだ。暖かい店から外に出ると、まだまだ冷たい空気に体が震えた。あぁ、あいつよりいい男、いないかなぁ。震えた携帯に、涙が出そうになった。



にこやかに近況を伝える男に笑顔で返しながら、賑やかな公園のベンチに座り寄り添っていた。端から見れば仲がいい恋人どうしなんだろうななんて思う。緑の多いこの場所は私には辛いから、普段近寄りもしないし正直今も早く帰りたいな、なんて、一生懸命話している彼に失礼かな。「大丈夫か?」「え?」「花粉症、なんだろ?」「大丈夫」「そっか、よかった」そのまままた話し始める彼に違うよと心の中で訴えても、伝わるはずなんてないのに、大丈夫じゃないんだから気付いてよなんて無茶なことを思っては、取り繕うように彼の話に笑顔で返した。疲れる。けれど、私みたいなロクデナシを好きになってくれて、仕事を理解してくれて、大事にしてくれる彼を、そう簡単には傷つけられなかった。でもだからこそ、別れなければいけないのだと思う。こんなに優しい人なんだから、私と一緒にいてはいけないのだ。それに、中途半端な優しさは誰一人幸せにできないことを、私は、知っている。今までありがとう。そう言って別れを告げた私を、彼は。



「名前」「え?」雑誌をめくっていたらふと影がかかった。呼ばれた名前に反応して顔を上げると、会いたくて会いたくて仕方なかったあいつがいて、でも今は会いたくなかったと、思わず変な顔になった。「久しぶりだな」「うん。久しぶり」「…その怪我」「ちょっと、事故で」「大丈夫か?」「大丈夫」「…相変わらず、嘘つくの下手くそだな」「…風丸だけだよ、気付くのなんて」…10年。10年も会っていなかったのに、風丸は私の嘘を見つけてくれた。思わず泣きそうになったけれど、今の私は風丸を頼れないのだ。必死で、我慢をした。「…この後、暇か?」ティッシュを差し出しながらさりげなく誘われて、思わず頷きそうになってしまった。私が今泣きそうだって、困ってるんだって、助けてほしいんだって気づいてるんだなと思って、また泣きそうになる。久しぶりの優しさにすがってしまいたくて、でも怖くて、だからこんな自分なんて嫌いなんだと唇をかみしめる。私、やっぱり、風丸が好き。じわり、血の味がした。
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