この腕の中だけでも 2
あり得ない話じゃない、おれだってこうするだろうよ。
誰かがそうひとりごちた。


先生が、の一言で彼女は全部わかってくれた。元同僚、いや彼女が上司でおれが部下だったんだ。とにかく、それだけでわかってくれるのは単に同僚だったからか、彼女が聡いからか。どっちもだ。おかえり、とだけ言ってこちらを見つめ、頬を撫でてくれた。帰ってくることができて心底よかったと思う。いつもそう思う。

肘の内側でかすかに感じていた規則的な動きが止み、ダルメシアンははっとして下を向いた。彼がぼんやりしているうちに、生まれて数ヶ月の娘はもうすっかり飯を終えていた。ああ、寝てしまいそうじゃないか。哺乳瓶を脇に置き、そうっと縦抱きにして小さな小さな背中をさする。しばらくすると可愛らしいげっぷの音。もう一度横たえて口元を拭い、穏やかな寝息を聞きながら丸められた柔い手を見つめた。ちっちゃな爪がちゃんとついてる。

「なんだ、スー寝ちゃったの?」
「ん、ああ」
「父さんに抱っこされるとすぐだよなあ、おれだと全然なのに」

二番目の息子が、父親によく似た顔を少し悔しそうにしかめて彼を見上げた。今年十三になる息子は年の離れた妹にいつでも構いきりで、今もガラガラを手に、しかし煩く鳴らしてしまわないように握りしめ、赤ん坊の寝顔を覗き込んでいる。これでも年季入ってるからなと父が笑うと、おれの方が一緒にいる時間が長いのに、とまたむくれた。ほんの数週間見なかっただけでまた一段と男らしくなってきたと思っていたのに、こういうところはまだまだ子どもに見える。実際子どもなんだけどな。

「そうだ、兄さんも今日帰ってくるって」
「へえ、珍しいな」
「へえ、ってなんだよ、もっと喜ぶもんだろ」
「生意気だなあ」
「あれ、スー寝ちゃったんだ」

上の娘が濡れた髪をタオルで拭きながら父の隣に座る。十六になったばかりの彼女は年頃の娘にしては父親を毛嫌いするようなこともなく、袖をまくった彼の太い腕に手を掛けながら妹の寝顔を見てにこにこと笑った。
タイミングよく聞こえるただいまの声。おかえりの大合唱で迎えられたよれよれの白衣の長男坊は、まだぎりぎり十代のくせに分厚い皮鞄を片付けながら年寄りみたいなため息をついた。科学部も相変わらず忙しいのだろう。上司があれじゃあな。

「よう、髭くらい剃れよ。おっさんみたいだぞ」
「父さんに言われたくはないですよ」
「髭についてか、おっさんについてか」
「両方です。ああ、スーは寝ちゃってるんだな」
「どいつもこいつもスーばかり気にして…久しぶりの親父にねぎらいの言葉ひとつないのかよ」

おかえりって言ったじゃん!赤ちゃんに妬いてるの?お疲れ様です。三者三様にやかましく声を上げる。いや、長男坊は多少話に聞いているのか、なんとも言えない表情でこちらをちらりと見た。誰に似たのかとても賢く、それだけでなくひとのこころの機微を鋭く感じ取ることのできるよく出来た子。
そりゃスーは可愛いもんね、とパーツは母親似なのに笑うと父親そっくりになる娘が末の妹の丸い頬っぺたをつんとつついた。ああちくしょう可愛いな。
次男坊は盛大にむくれさせた顔でそっぽを向き、腕まで組んで言ったじゃんか、とひどく心外そうにまだぼやいている。お前が優しいのはわかってるんだから、ずっとそのままでいろよ。間違っても海兵になりたいとか言うなよ。止めないけどな。

「よしお前ら、ちょっと来い」
「なんだよやめろよー!」
「パパちょっと時計が痛いんだけど!」
「父さん背骨折れっ…」
「賑やかね、ご飯できたわよ」
「ジョアナも!」
「それじゃスーが苦しそうだけど…」
「じゃあ君が抱けばいい」

いつの間にかぱちりと目を覚ました赤ん坊を差し出し、優しく受け取ったジョアナをひょいと抱え上げる。
膝の上に妻、その胸に抱かれた末娘。右腕の余ったところで長男坊、左腕は伸ばせる限り伸ばして長女と次男坊をまとめて抱き締める。
ああ重たい。重たくて心地よすぎて、どうにかなりそうだ。

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