壁ドンが書きたかった。


「いいか、いくつかテメエに聞きたいことがある」
「答えよう」
 月明かりが入るだけの暗がりに、リゾットの奇異な瞳は何よりも馴染んでいる。真っ直ぐに向けられる視線。真摯な姿勢、という言葉が浮かんだ。昼間のテレビ番組で、取材を受けた銀行員が言っていたのだ。「困っているお客様を助けるのにはまず真摯な姿勢が大事なのです」今の俺にとってはくそくらえな言葉だ。腹が立つ。
「今の時刻は」
「午前3時前だな」
「俺の明日の予定は」
「任務だ。詳細も把握している」
「出来る男だと褒めてやる。で、行先は、ここから結構かかる場所だよな」
「ああ」
「なのに到着時刻は早い」
「そうだな」
「つまり俺は、早起きをしなきゃならないわけだよな。玄関のポストに朝刊が投げ込まれる前に。この間契約した牛乳販売のオッサンが朝一の牛乳を届ける前に。俺はここを出て行かなきゃならない。だよな」
「随分饒舌だな。その通りだ」
 淡々とした回答に俺は心の底からため息をつくと、迫り来るリゾットの顔を両手で押さえつけた。「なにをする」「ふざけてんのかテメエ」想像以上に力が必要で思わず声が震えるほどだった。なんなんだ。なんなんだこの勢いは。
「頭でも打ったのか?酒の飲み過ぎか?なんでそんなにヤル気なんだよ」
「そういう日があってもいい」
「なにも今じゃなくてもいいだろうがよ」
「思い立ったが吉日という諺があるらしい」
「新しい趣味でも始めようかなって話じゃねぇんだぞいいから退け発情野郎」
 追いつめられた壁際から逃れようと体を横に滑らせれば顔の横をリゾットの腕が遮る。反対側へ身を捩れば腰に腕が回って完全に身動きが取れなくなった。諦めきれずに彷徨っていた手が当たり、デスクの隅に置かれていたボトルが転がり落ちる。飲み残されていた水が床にぶちまけられた。隠さず舌打ちをするのにも構わず首筋を唇の温かな感触が滑りだす。
「おい、ホントにやめろ。仕事のあとならいくらでも相手してやるから、なァ?」
「今が良い」
「無理だっつってんだろ」
「今だ」
「だから……ッ!ああクソ、テメ、ホントに、許さねえからな。テメエのせいで任務に失敗して死ぬとか、ホント、ッ!!」
「大丈夫だ。お前は死なない」
 プロシュート。耳元を吐息がかすめて、ほんの一瞬、呼吸がおかしくなる。
 ――ああ死んでたまるかよ。帰って絶対、一発殴らなきゃ気が済まない。そのあとに飯をおごらせる。一日休暇も作らせる。そしてこの男の顔が見えない噂にも聞かないような、どこか遠くへ、ペッシでも連れて出かけるのだ――心中で捲し立てる反面、力強い両腕に妙に動揺してしまった自分を自覚する。らしくなく気恥ずかしくてなって、死にたい気分を味わった。ああもうくそったれ。


 牛乳の訪問販売っていつのまにか無くなりましたよね。

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