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▼ 料理兄貴

 その日、ホルマジオは暇を持て余していた。
 誰も居ないリビングで足をテーブルに乗せ、面白くもなんともないバラエティー番組を欠伸交じりに見ているのも、思わず暴れ出したくなるほどの退屈をどうにか紛らわせる為である。
 ついさっきまで手の中で弄り回していた猫は、小さくなりすぎてしまったためにリビングの片隅にある花瓶にシュートインしてしまった。もう能力は解いたからきっと猫は狭い花瓶の中で身動きが取れなくなっているだろうが、その存在はすでにホルマジオの脳内から消え去ってしまっている。そういったいい加減な部分が彼の欠点であり、後に今日の掃除当番を任されていた某巻き毛の彼に発見されキレられてしまうことになるのだが、テレビから流れてくるつまらない話をただただ聞き流しているホルマジオには知る由もなかった。
 画面の中の、美人には違いは無いがどうも特徴のない女子アナがにこやかに笑って、CMに入ることを告げている。そして近所のスーパーが新商品の紹介をし始めたところで、突然画面は暗転した。
「……あ?」
 故障かと思って椅子に預けていた体を浮かす。停電かと思ったが照明は相変わらずついたままだし、買い換えてから大分経つとはいえ寿命にはまだ早すぎる。とりあえずもう一度スイッチをつけてみようとリモコンを探したが、先ほど置いたはずのテーブルの上にはなかった。
 キョロキョロと首を回すホルマジオの背中を、突然バシリと衝撃が襲った。
「ってぇ!?」
「欠伸かましてるくらいなら見るなよ。電気代の無駄だろうが」
 背後にいつの間にかプロシュートが立っていた。その手には探していたリモコンの姿がある。
「ってて、ちゃんと見てただろうがよぉ〜」
「暇で暇で仕方ありませんって顔してた癖によく言うぜ」
 言っていることに間違いはないがそれにしたって容赦のない一撃で背中がヒリヒリと痛んでいる。
 涙目になりながらもしょうがねぇな〜といつもの口癖を零すホルマジオを鼻で笑って、プロシュートはキッチンへと向かっていった。
 そういえば今日の料理当番はプロシュートだったな、とその後姿を見送る。
 リビングと一体になったオープンキッチンはこの古いアジトの中では比較的綺麗な部類に入る。明るいクリーム色のタイル壁を背に、プロシュートはさっそく準備を始めた。棚の中からパスタの入ったボトルを取り、必要な量だけ出して、今度は冷蔵庫へ。プロシュートの手によって着々と運び出される食材達から、ホルマジオは付け合せのスープはミネストローネだろうかとあたりをつける。プロシュートの作るものは大抵美味しいが、その中でもミネストローネはかなりのものだったので、ホルマジオはそうだったらいいなと期待しつつ背もたれに頬杖をついた。
「今日は誰が居るんだ」
 言いながらプロシュートは共用の紺色のエプロンを身に着ける。その手慣れた動作はいっそ嫌味なほどに様になっていた。
「俺に、メローネ、ペッシ、ソルベ、ジェラート……あとはギアッチョだな。昼飯までには帰ってくるって言ってたぜ」
「七人か。全く作り甲斐があるこった」
 言いながら腕まくりをして、プロシュートは作業を始めた。
 大き目の鍋に水を入れて火に掛ける。沸騰するまでの間に野菜を洗い、手際よくカットしていく。
 何故かガタガタと椅子を引きずって来たホルマジオに、プロシュートは手を止めた。
「……なんでこっち来るんだよ」
「いやぁ〜誰かさんにテレビ止められちまったせいで暇でよぉ〜。見学させてもらおうかなって思ってよぉ〜」
「手伝う気はねえんだな」
「して欲しいかよ?」
「いや、一人でやる方が楽だ。……邪魔すんなよ」
 背もたれを抱えるように座り完全に観戦モードのホルマジオに呆れたように返しつつ、プロシュートは作業を再開した。
 二つのボールに刻んだ材料を入れていく。片方はパスタの具で、カットされたレモンの皮と朝食に出たバケットの余りを千切ったもの、そしてチーズが入る。もう片方はホルマジオの予想通りミネストローネの材料だった。
 嬉しそうに口笛を吹くホルマジオにプロシュートが口角を上げる。チームの誰もがプロシュートのミネストローネを喜ぶことを知っているのだ。
「わかってるぜ兄貴ぃ〜」
「ペッシのマネすんな。きめぇ」
 そういってプロシュートは顔を顰めたが、喜ぶペッシの姿でも想像したのか、直後にフ、と笑った。
 きっとこ俺たちというよりペッシを喜ばせてやりたいんだろうな、とホルマジオは思う。普段は「鍛えてやってるんだ」とか言いながら蹴り飛ばしたり殴り飛ばしたりと容赦ない分、この男はこうしたところでしっかり甘やかしているのだ。そんな兄貴の愛情表現をペッシもちゃんと理解しているのだから、二人の関係はどこまでも良好であると言える。ホルマジオはへっ、と肩を竦めた。
 テレビを消されたリビングは静かで、プロシュートの立てる音だけが広い空間に響いている。
 椅子に頬杖をついて眺めていたホルマジオは、なんとなく目の前に並んでいた香辛料入れの一つをひょいと摘まんで手の中で転がした。
「他の奴らは皆仕事らしいけどよ〜、どこ行ったか知ってるか?」
「リゾットはお偉方の所に行った。イルーゾォは任務でスペイン旅行中」
「……あーそうだったけか。あいつも大変だなぁ」
 ホルマジオは壁に貼られたホワイトボードを見た。
 イルーゾォの日程を示す青いマーカーは今週の始まりから終わりを横切っている。ひょろひょろと雑なそれを見て、ホルマジオは数日前のことを思い出した。
 それはスペイン行きの任務が与えられた時のこと。
 数枚の書類を手に現れたリゾットに誰が行くかを決めるように言われ、その時アジトに居た人間で話し合うこととなった。 遠征で時間を取られる上に内容もハードだと聞けばそれはそれは壮絶な押し付け合いになった訳だが、ふとプロシュートがマン・イン・ザ・ミラーなら交通費が浮かせられると言い、行きたくない他の奴らが一斉に頷いた。
 実際の所無賃乗車が出来るというのはホルマジオにも言えることで、窮地に追い込まれたイルーゾォは必死に主張したものの、ホルマジオに比べて言い負かしやすいイルーゾォは恰好の標的となってしまった。そしてイルーゾォは翌朝泣く泣くアジトを出発することとなったである。
(俺も行きたくはなかったけどよ〜、やっぱりちょっと悪いことしちまったなって、その時は胸が痛かったぜ)
 すっかり忘れていた尊い犠牲に、ホルマジオは今度奢りで飲みにでも誘おうと心に決めた。
 他のメンバーの日程は、皆それぞれポツポツと書かれているものの空白が目立った。
 いくらギャングとはいえ暗殺という仕事はそうそうあるものではない。パッショーネが巨大な組織だからこそ多少なりとも仕事があり、なんとか生活が出来ている訳だが、悲しいことにそれでもチーム・アサッシーノの経済状況は慢性的に逼迫していた。それこそ飛行機代さえもケチりたくなる程に。
 思わず憂鬱になるがどうしようもない。ホルマジオは早々に考えるのをやめてボードに意識を戻した。
 ぱっと目に入ったのは濃いピンク色で書かれた『ヒ・ミ・ツ』の文字。ご丁寧にハートで囲まれたそれは実に異彩を放っている。誰のものかは言うまでもない。よく見ればその周りに微かなインクの跡がある。どうやら邪魔に思った人間がハートを消したらしいが、その上からまた書いたようである。みみっちい攻防戦だ。
 ホルマジオがボードを眺めている一方で、着々と七人分の野菜を刻むプロシュートは実に不機嫌そうな顔をしていた。
「リゾットの野郎、くそ真面目にご挨拶に行きやがって。活動報告なんざ紙切れ一枚送っちまえば事足りるってのによ」
「はは、リーダーらしいぜ」
 メンバーの中でも一番仕事の多いリゾットはリーダーとしての仕事から暗殺任務まで実に多忙で、アジトを離れていることも多い。さらにその「くそ真面目」の為にどうも仕事に打ち込み過ぎるらしく、早朝にふらつきながら帰ってくることもしばしばあった。プロシュートはそんな彼を誰よりも心配し、そして苛立っていた。
「いくら気に食わないからって、またジャーマンスープレックスでお出迎えすんなよ。リーダー今度こそ死ぬからな」
「あの程度で死にかけるほど弱って帰ってくるあいつがわりーんだよ」
 ハンッ、と勢いよく材料を鍋に放り込むプロシュートに、ホルマジオは苦笑した。
「もっと素直になればいいのによ〜」
「あぁ?この上なく素直な感情表現だぜ」
「渾身の怒りをぶつけて瀕死に追い込んじまったら駄目だろうが。心配してんだろぉ?ならよぉ〜、こう、労わってやるってぇの?玄関で迎えてやってさ、『今日もお仕事お疲れ様』って優しーく言ってやればいいんだよ。そんで、『ずっとお前の帰りを待ってたんだぜ』ってな、ハグでもかませばなお完璧だ」
「……なんか新妻みてぇだな」
「そんな嫌そうな顔すんなって。リーダー喜ぶぜ?それこそ仕事サボってでもアジトに帰りたくなるくらいにはよ」
「……」
  想像したのだろう。何で俺がそんなことをと言わんばかりに眉根を寄せたプロシュートは、しかししばらく考え込むように手を止めた後、ため息をついた。ホルマジオが言わずともわかっているのだろう。仕方がねえなあと表情が物語っている。
 リゾットがこの男に弱いのはチームの中では周知の事実だが、この男もまたそれなりにリゾットに甘いのである。流石にハグは無いかもしれないが、少なくとも今度のリゾットの帰宅は穏やかなものになりそうだった。
 パスタが茹で上がったことを知らせるタイマーがなり、ホルマジオは皿を準備するように指示された。そして手の中で弄んでいた香辛料入れを奪われる。
 均等に盛り付けられたパスタに用意していた具とブラックペッパーがかけられ、パングラタットのパスタが完成した。ミネストローネの方もトマトのいい香りが立ち上り始めている。
 ホルマジオが思わずなりそうになる腹をさすっていると、廊下の方からドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「あ、やっぱり今日の当番プロシュートだ!いいねぇいいねぇ」
 勢いよく扉を開け放って現れたメローネはすぐさまキッチンに駆け寄ると、身を乗り出して鍋の中を覗き込み、歓声を上げた。
「ディ・モールト・ベネ!」
「……ったく、飯が出来た途端に現れやがってよぉ」
 喧しい登場に、プロシュートはお玉を手に持ったまま片眉をあげて腕を組んだ。
「いつもは手伝いたくないから近づかないけど、この匂いにはついついつられちまうんだよなあ。んふふふ」
 ぐつぐつと煮え立つミネストローネに髪が入らないように手で避けながら、メローネはすんすんと香りを嗅いだ。
 メローネの部屋はアジトの一番端にあるから、この香りは相当広がっているに違いない。しばらくすれば他のメンバーも自然と集まってくるだろう。
 気分がいいのか大仰にくるりと回ったメローネからパスタの皿を渡され、ホルマジオは仕方なくそれを食卓の上に運んだ。七人分の皿が並び、白いクロスが掛けられただけのテーブルが一気に華やかになる。
「ほんっと、プロシュートは料理上手だよねえ」
 言いながら、メローネはつんつんとプロシュートの腕をつつく。
「料理なんざレシピさえ頭に入ってれば簡単だろうが。あとは、いかに手際よくやるかだ」
 さっすがーと褒めちぎるメローネに、悪い気はしないらしいプロシュートは得意げだ。機嫌が良いプロシュートは気前もいい。これはもしかすると後でデザートをつけてくれるかもしれないな、なんて呑気に考えていたホルマジオはしかし、後に続くメローネの言葉に顔を青ざめさせた。
「……これで夜もちゃんとしてくれれば、リーダーも幸せだろうにねぇ」
「……なんだって?」
 途端、急激に部屋の空気が凍りつくのをホルマジオは感じた。
 思わず扉の方を見たが、そこに某巻き毛の彼の姿は無い。
 劇的な空気の変化にも素知らぬ顔で、長い髪を指でくるくるといじりながらメローネは続けた。
「最近してないんだろ。え、なんで知ってるか?この間ふざけてリーダー泥酔させたらなんかいきなり語りだしたんだよ。寂しいんだってさ。もしかして倦怠期?マンネリしちゃった?二人ともまだ若いんだから、枯れたら駄目だぜ」
 親切のつもりなのか知らないが、下世話なことをぺらぺらと捲くし立てるメローネはプロシュートの背後に渦巻きはじめたどす黒い気配に気が付いていない。ホルマジオは冷や汗をかいた。
 チームの誰もが(命惜しさに)敢えて触れないプロシュートとリゾットのディープなプライベートを土足で踏み荒らした上にブレイクダンスを披露するようなメローネの無謀さというか空気の読まなさには思わずよくやるなぁと感心してしまうが、しかしホルマジオも居る前で要らぬ恥をかいたプロシュートの怒りもまあ当然である。そしてその怒りは、酔っていたとはいえメローネ相手に不覚を取ってしまったリゾットにも、おそらくは向けられるわけで。
 嫌な予感にホルマジオは黙って身を翻し、その場を離れた。
(頼むから今日は帰ってくんなよ、リーダー……)
 折れたはずの死亡フラグが完全復活を遂げた悲劇に、ホルマジオはため息をついた。


 しばらくして帰宅したギアッチョは、額にくっきりと青筋を立てたプロシュートと、がっちり顔を固定されて血の池地獄のごとく煮立ったミネストローネを無理やり口に流し込まれるメローネ、そして一人パスタをもぐもぐやっているホルマジオという奇怪な光景を目撃した訳だが、
「……腹減ったぜぇ〜」
 賢明な彼は大体の事情を察するとキッチンで繰り広げられる拷問から目を逸らし、助けを請うメローネの必死の視線も華麗に無視して、ホルマジオの向かいの席に腰を下ろしたのだった。


20120910up

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