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▼ 3

 ブリキ製のキャッシャーの中身を確認し終え、一息つく。
 今日の客は昼間の常連達の他に、年に一、二度のペースで顔を見せる近所の老夫婦と、店の事は何も知らずにここらに迷い込んだらしい一見の女子大生風二人組だった。
 常連ではない彼らにとってもプロシュートの料理は衝撃的だったようで、価格の割にあまりにも完成されたその味に感嘆していた姿が印象的だった。女子大生の二人など,
手と手を取り合い「穴場を見つけた」と始終はしゃぎ続けていたものだ。
 そのはしゃぎっぷりの原因は料理だけではない。黄色い歓声を上げる彼女らの視線を一身に受け、慣れたように完璧な笑みを返すプロシュートに、俺はだらだらと居座っていた常連達と一緒になって、感心半分呆れ半分といった所だった。
 ふと、昼間のジェラートの言葉を思い出す。
 彼の言った通り、この店の評判は今日の女子大生の様な客をきっかけにして、徐々に広まっていくことだろう。それを聞きつけた新たな客たちがこぞってこの店に足を踏み入れるのも時間の問題なのかもしれないと思った。他人が聞けば思い上がりと笑うかもしれないが俺からすればそれはもはや確信に近く、経営者兼雑務である俺と料理人一人という今の状態で一体いつまでやれるものかと、薄暗い店内を眺めつつボンヤリと考えた。
 店の外ではプロシュートが煙草を吸っていた。夜の暗闇にぼんやりと浮かんだ白いシャツの背中が窓越しに見える。俺はいつもよりも疲れた気がする重い腰を上げ、プロシュートの元へと向かった。
 木製の欄干に凭れるように体を預け、古びた照明の下、プロシュートは煙草の煙をくゆらせていた。店の周辺には荒れた空き地と薮しかなく、鑑賞に値するものは何もない。
 退屈なのか、それとも逆に気分がいいのか、聞こえてくるプロシュートの鼻歌の中に聞き覚えのあるフレーズを見つけた。確か有名なジャズだったと思う。だがタイトルが思い出せない。
 一瞬立ち止まったが、結局思い出せずに黙って横に並んだ俺の心を察したようで、プロシュートは小さく笑った。
「『私を月に連れてって』」
「……今日は月は出ていないな」
「うるせえ。気分だ気分」
 軽口を叩きつつプロシュートと俺は空を見た。月は無いが、それを補うように細かな星々が夜空を彩っている。街灯の光すら危うい街の僻地だからこそ見える小さな光だった。
 ふと、夜空を見上げるのは随分と久しぶりだと思った。頭を小突かれたような小さな驚きに、過去の記憶が蘇ってくる。
 こんな風に誰かと一緒に空を見上げたのはたったの一度しかない。
 今日の様にろくな明かりもない中、空に広がる星空が淡い光源となって暗闇に影を作る。無邪気な笑みを浮かべた、幼い横顔。
 近頃は思い出すこともなかったその思い出に少し胸が痛む。退屈な日常に埋没していたものは思っていたよりも多いのかもしれないと思った。
 小さな瞬きの一つ一つにに思わず目を細めていると、隣から再び先ほどのメロディが聞こえてきた。今度は歌詞を載せて。小さく、掠れた声で。

『私を月に連れてって』
『星達と一緒に遊んでみたいわ』

 流暢な英詞は夜の空気と共にすんなりと俺の体に入り込み、心臓のあたりで溶けるように消えた。
「……プロシュート」
「なんだ」
「これからもずっと、俺の傍で、働いてくれるか」
 口にしてから、俺は何を言っているんだろうと我に返った。
 プロシュートも同じ感想を抱いたらしく、窺うような視線が頬のあたりに突き刺さる。俺は動揺した。
「深い意味はないから、軽く答えてくれればいい」
 と、慌てて言い訳のようなものを口にする。そして後悔した。これではむしろ『深い意味』が増してしまう。
 しかしそんな動揺の裏で、もしからもっと違う言葉があったのかもしれないと、俺は思っていた。本当はこう言いたかったのかもしれないと。「これからもずっと、俺の傍に居てくれないか」……これでは深い意味が込み込みである。
 完全に沈黙した俺にプロシュートは何を思ったのかふむ、と考え込むように腕を組んだ。軽く考えてくれと言ったのにまさかの熟考に入ってしまっている。
「……ずっと、は無理かもな」
「む、無理なのか」
「料理人の最終目標つったら自分の店を持つことだろ。前の店で働いてたのだって、名前を売るのと経営のアレコレを知りたかったからだ。まあアレがあって予定より大分早く飛び出しちまった訳だが」
 そういってプロシュートは吸い終えた煙草を草むらに紛れるように立つ錆びたドラム缶に放り入れると、欄干に腰かけた。目の高さが俺のものと並ぶ。膝の上に肘をついて、プロシュートはニヤリと笑った。
「そんな俺が、なんだかんだで新しい店に転がり込んだ。ラッキーだったぜ。場所は地味だし建物は古いが、これでなかなか俺好みで悪くねえ。しかも経営者は料理の知識がゼロな上、お人よしなのか考えなしなのか、そこら辺で知り合っただけの見ず知らずの料理人をあっさり受け入れちまうような人間ときた」
 どういうことだろう。いまいちピンとこない俺に、プロシュートは指を突き付ける。
「つまり、この店が俺のものになるのも時間の問題ってこった」
 唖然とした。この男は、雇い主を前にして店の乗っ取りを宣言したのである。
「俺がここのリーダーになって、店を盛り立てる。つっても店も土地もお前のモンなんだ。追い出すなんてことはしねえよ。だがな、それで胡坐をかいて居られるかと言えば大間違いだ。俺は気に入らない奴と一緒に仕事が出来るような人間じゃない。やっていけないと思ったら出ていくまでだ」
「……確かにそうだろうな、お前は」
「兎に角、俺は俺の力でこの店を盛り立ててみせる。俺の名で売出し、俺の料理で客を唸らせてみせる。俺はこの店で必要不可欠な存在になるんだ。テメエはその後ろで店の運営の仕方でも研究していればいい」
 そこで言葉を切ると、プロシュートは不意に手を伸ばした。引き寄せたのは俺の頭で、コツンとぶつかった額同士が小気味よい音を立てる。吐息が互いを掠めるような距離で、プロシュートは不敵に唇を歪めた

「精々捨てられないように、頑張るんだな?」

 ……俺はもしかしたらとんでもない男を拾ってしまったのかもしれない。
 俺は今更になって、じわじわと鳩尾にせまるような不安と後悔のダブルパンチをあじわっていたのだった。


 一応これでラウンドアバウトは終了です。遅くなって大変申し訳ありませんでした。兄貴色々ひどいがしかし兄貴が振り回してリーダーが振り回されるのが好きなんだと私は主張したい。逆でもウェルカム。
20141007up


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