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▼ HONEY?

 俺の部屋の扉は年季が入っていて、かつ木製だというのを全く考慮に入れない。そんな強烈な蹴りによって、どこぞのギャングが抗争でも始めたのかと勘違いするような轟音が鼓膜を揺らすとき。
 幾枚目かわからない書類に筆を走らせていた俺は、漸くここのところの睡眠ゼロ生活を振り返って、反省する。
(ああ、またやってしまった)
 徹夜は二日に一回だと言われていたのに、気が付けば朝のスズメたちは四回目の合唱を始めている。
 集中していたのだから、仕方がない。と言うのが正直なところだが、任務から帰還してそうそう部屋に乗り込んできた目の前の男は、そんな俺の弁解を毎度毎度容赦なく切って捨てる。今回も、また、多分。
 仲間の一人はいつか、寝ずに雑務をこなす俺をこう評した。「そりゃあ中毒だ。あるいは病気だ。リーダーは良いカラダしてるけど、不健康だよね」
 そんなはずはないと、自分では思う。なぜなら俺は風邪を引かないからだ。
 この事に関しては別の仲間から意見を貰っていたような気がする。「それってただ自分が風邪を引いてることに気が付いてないだけだろォ?しょ〜がねぇなあ〜」
 そういって苦笑いする仲間の顔を掻き消すように、男の手のひらがダンッッとデスクを叩いた。
 顔を上げると、心なしか普段よりも濃く見える青の瞳と目が合って。
 思う。
 プロシュートがこんな顔をしている時、その拳は猛烈に痛い。
「表に出ろ」


 * * *


 取られた腕に引きずられるように歩く。
 途中、窓から差し込む光の眩しさに呻く俺に構わず、プロシュートはずんずんと廊下を進んだ。まるで嫌がる子供を無理やり歯医者に連れて行く母親の様だ。容赦も遠慮もカケラも無い。
 連れてこられたのは、アジトの裏手にある庭だった。
 庭と言っても、誰かが整備している訳では無く、おざなりに刈られた芝生に、伸び放題でボサボサになった常緑樹の垣根があるだけの、ただの空きスペースだ。ホルマジオやソルベ、メローネなんかは時々バイクだの自転車だのをいじくっているようだが、それ以外には特に使われていないと思う。俺自身はここに足を踏み入れることは稀だ。
(何故こんな所に?)
 不思議に思っていると、突然足を止めたプロシュートが俺の腕を強く引いた。
 体勢を崩した所に、さらに追い打ちを掛けるように突き飛ばされる。今更ながら寝不足の疲労感に襲われ、抵抗も出来ずに倒れ込んだ重たい体を受け止めたのは、まるでこの庭の主役だと言わんばかりに中央にででんと置かれたガーデンベッドだ(何時の間に、誰が買ったんだこんなもの)
「おい、プロシュート。一体なんなんだ。何をする気だ」
 訳が分からず慌てて身を起こす俺に、振り返ったプロシュートは眉を顰めると、ポケットの中から何かを取り出し、俺に向かって投げて寄越した。
「見てみろ」
 受け取ったのは手鏡だった。
 プロシュートの私物なのだろう。特に装飾も無いシンプルな物だが、フレームにさりげなく刻まれたロゴは、それほど詳しくもない俺でもわかるような有名なブランドのものだ。
 黙ったままジッとこちらを見つめる視線に促されるように鏡を覗き込めば、一見して寝不足だとわかる、疲労感たっぷりの男の顔があった。無精髭も出ている。人前にはとても出られないような顔だ。まあアジトの中でなら髭くらい長い付き合いなのだから見慣れてるだろうし、今更見栄えも何もないだろうが、それでも少し、みっともないとは思う。
 ざらついた顎を摩りぼんやりとする俺を見て、何処からか白の小さなテーブルを持ってきたりと着々と準備を進めるプロシュートは、これ見よがしにため息を吐いた。
「どうだ。感想は?そのちっせぇ鏡の中に、思わず隣に連れて歩きたくなるような色男は居たか?」
 向けられる視線に非難の色が混じるのを感じて、俺は黙って頷く。
「……お前が居ないと思うのなら、居ないのだろうな。残念なことだが」
「ああ、実に残念なことに、目元にくっきり隈をこさえた、四日は寝てないって顔をしてる暗殺チームのリーダーさんが見えるはずだぜ。一応聞いておくが、顔は洗ったか?」
「?ああ、眠気覚ましに、一度」
 それがどうかしたのだろうか。腕を組んだプロシュートはふむ、と頷いて、
「なら問題は無ぇな」
 これ被ってろ。そういって投げ渡されたのは、何故かベットシーツだった。
 洗濯したばかりなのか、空気を巻き込んで体の上に落ちてきたそれはふわりと洗剤の匂いがする。ぽかんとする俺をプロシュートはシーツごとガーデンベッドの上に押し付けると、不機嫌だったのが一転して、まるで鼻歌でも歌い出しそうな様子で俺の後ろに回り込んだ。
「今から俺が、テメエのその情けねえ顔を綺麗にしてやるよ」
 そういって、ニッと不敵に唇を釣り上げる。
 楽しげに俺を見下ろすその両手には、剃刀とシェービングクリーム。俺の部屋にあったものだ。何時の間に、と驚きつつ、
「……いきなりこんな所に連れてこられて、一体何をされるんだと思っていたが……はは、まさかお前が床屋になるとはな」
 事態を理解した俺は、間を置いてつられるように笑った。
「ハンッ、テメエがそんなひでえ面してるからだろ。無精だな。ヒゲを剃る暇もなかったのかよ」
「そういう訳じゃあないが。残りの仕事が終わるまではずっと部屋に篭っているつもりだったからな、放っておいてもいいだろうと思ったんだ」
「残りの仕事?おいおいなんだよ、まだあんのか?」
 自分のことでもないのに、うんざりだと顔で語るプロシュートに苦笑する。
「いいや、もう少しで全て終わる。ああでもお前が帰ってきたのなら、一度報告書に目を通さないと……」
「俺が書いたモンに間違いなんてあるわけねーだろうがよ。パスしろパス」
「フフ、それもそうだな……」
 実際プロシュートの書いたものは出来が良い。普段はそれでも念には念をとチェックしているが、ほとんどが手直しをせずにそのまま上に渡すことが出来るほどのものだ。咄嗟の判断を勘に頼るような大雑把さがありながら、そうした作業じみた仕事ではプロシュートは意外な位の几帳面さを見せる。部下としては十二分に優秀な男なのだ。
 他愛のない会話に口を動かしている間に、シェービングクリームが頬に乗せられ、その上を剃刀がゆっくりと滑りだす。
 普段はじっくりと見ることの無いプロシュートの指が頬の上を動き回っているのが不思議で、また、時折触れるその体温が心地よかった。まだ昇って間もない太陽の光もまた、疲れ切った体を温かく包んでくれる。
 こんなに穏やかな空気は何時振りだろう。
 眠らない四日間。ひたすら自室の壁に向かいながら、時計の針音だけが淡々と鼓膜を揺らす時間。任務に赴き、切り裂いた人間の皮膚から溢れる血と暗闇が、妙に寒々しく感じる夜。
 それらがまるで遠い昔の様だ。
 不意に閉じかけた瞼に、自分がまどろんでいることに気が付く。
 眠っちまえよ。額に落ちてきた声に首を振る。
 いいんだプロシュート。俺はまだ眠らない。いや、眠りたいのはやまやまなんだが、このまま意識を手放すのは、なんだか勿体ないような気がする。
 ……なんて思いはするものの、疲れた体は素直だ。開きかけた口は上手く動かず、瞼は段々と重みを増してくる。
 目をしばたたかせる俺に、プロシュートが笑った。
 剃り終わった頬を、少し骨ばった、形のいい指がそっと撫ぜる。
 ゆっくりと視界が陰って、降りてきた唇が瞼に触れた。
「テメーの体はテメーだけのモンじゃないんだぜ、リゾット」
 囁くような声と共に、目尻、鼻、頬と、祝福のような口づけが降る。
「忙しいのはわかるけどな。もう少し楽していいんだ。仕事漬けで目元にでっかい隈をこさえてるようなテメーを、心配してるやつがいるんだからな」
 なにより、と、額に温かな感触。
「この俺が心底惚れる位、テメーはいい男なんだぜ」
 くたびれた顔なんてしてんじゃねえよ。
 喉の奥を鳴らして笑うプロシュートに、俺もまた笑みを浮かべた。
 落ちて行く意識の中で、低く囁く声が、甘く溶けて消えていく。
 その感覚に身を任せながら、ゆっくりと長く、ひとつ、息を吐いた。



 リーダーの無精髭をじょりじょりし隊。20121215up

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