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▼ 夢の話 ver.3部

 夢を見た。
 灰色の街に雨が降っている。鈍色の空から落ちた透明な礫が、赤黒いトタンの屋根にぶつかっては喧しいリズムを刻んでいる。そんな光景を俺は薄汚れた壁の、四角く切り取られただけの窓から眺めている。ボロい木製の椅子に机。その上に乱雑に散らばった譜面。音楽の知識は無くはないが、そもそも人に読まれることを意図していないのではないかと思うほど激しく書きなぐられた音符達はさらに外の雨に滲んでしまって読めそうに無い。俺はその歪みに歪んだメロディーラインを指でなぞる。これは誰からのメッセージなんだろうかとぼんやりと考える。
 暗い空に閃光が走った。
 雷のようだが音はない。強烈な光に目が眩んで瞬きをする。瞼の裏に毛細血管のような稲妻の残像が残って、赤青緑と色を変えて明滅した。眼(まなこ)の裏を茨が這うような感覚に襲われる。むず痒くて涙が零れた。
 目を開けると、いつの間にか場所が変わっていた。廃墟の一室から、ごく普通の部屋へ。
 見たことのない文字のタイトルがならんだ書棚。鎮座する銀色の西洋甲冑。並べられた古いレコード。針の無い蓄音機。
 酷く生活感に満ちた空間に俺は思わず部屋の主を探したが、不在なのか人影は無かった。
 突然鐘の音がして振り向けば、そこには大きな柱時計があった。文字盤は割れ、もとは長針だったのだろう折れた針が申し訳程度にぶら下がっている。振り子は止まっていた。
 この部屋には時が流れていないのだ、と思う。
 時を止めるというのはとても労力のいることだ。そのことについては実感がある。時とは、言わば水の代わりに砂が流れる川のようなもの。そして、プロローグと結末が一緒くたになった運命の輪だ。俺たちはそのただ中に居て、押し流される。もがけどその速さは変わることはない。立ち止まろうにも足が掬われる。永遠に時の進まぬ空間など、その存在自体に無理があるのだ。
 途端に、四方を囲む壁が音を立てて軋み出した。どうやらここはハリボテらしい。外側からの強い圧力に弾けた壁は唯の木の板だった。走る亀裂からうねる流水が流れ込む。
 強い潮の匂いと共に、俺は飲み込まれた。

「面白い夢だね」
 先に起きていたらしい友人はそういって俺のベッドの上に腰掛けた。すっかり身支度を整えた後らしく、独特の前髪は相変わらずの形でその顔を半分覆い隠している。
「僕に夢診断の知識があればよかったんだけれど」
「あんな脈絡の無いもんに、意味なんてあんのか」
「きっとあるよ。夢は脳が見せるもの。そして、人は脳で考える生き物だ。深層心理が夢に反映されていてもおかしくはない」
 自分でもわからない心の奥底を、あんな支離滅裂な夢から知ることが出来るのだろうか。改めて思い出してみようと試みる。すると不思議なことに、鮮明だったはずの映像は擦り切れたフィルムの様に靄がかかってしまっていた。なるほど、夢とはそういうものだった。ボンヤリと頭の中に漂うそれを形にしようとすると、像が生まれるどころか消えていく。記憶に残るような夢など、その時見ていたものとは別物になってしまっている。
「……意味のわかんねえもんは嫌いだ」
 ごちゃごちゃ考えることを放棄して、再び毛布の中にもぐりこむ。
 出立まではまだ時間があった。
「二度寝なんて贅沢なヤツ……あ、でも、夢の続きが見られるかもしれないね」
 もし見たら教えてくれよ、という友人に適当な返事を返しつつ、俺は再び眠りについた。


20120910up

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