Wアンカー 乗車編 | ナノ



1ヶ月に一回しかこないその日は、仕事を手にする人々からすれば待ちに待った日。この日の為に汗水垂らし働いて来たと言っても過言ではない。

待ちに待っていたこの日が来た。

月々の支払いに回す者も居れば家族と美味しい物を食べにいく者も居れば、自身のご褒美だと買いに出る者等様々だ。

誓約書にサインしたその日から変わらない給料額だが、貰わないよりかはマシ。
先月は沢山働いたと零し、さほど変わらないだろう給料明細を開いたと同時に悲鳴が上がった。

それも一つ二つではない。

明細表を開いた彼らは隣に並ぶ同僚の肩を掴めば、相手も自身同様に戸惑い目を丸くする様子。
自身と目の前の同僚だけではないと気付くきっかけは、周りにいた仲間達の悲鳴によるものだった。

いやまさかそんな筈は!これ明細表記間違いじゃない!事務に問い合わせろ!
と慌てふためく駅員達。だけではない様だ。
廊下を飛び出せば、明細表を片手に事務員を取り囲む清掃員に作業員。そしてインカム越しに事務員を探している同僚の声にも気付く。

パニック状態である中、同僚を落ち着かせようとする古株駅員の姿があった。
自分自身も信じられないものの、周りがあまりにも騒ぎ立てるものだから一人だけ落ち着いてしまう。

一人一人声をかけるが耳を傾ける様子はない。
ザッと室内を見渡せど落ち着いて居るのは自分一人しか居ないらしい。
ここは数人の古株駅員を呼んで宥めるしかないと、慌てて廊下に出た所でそれに遭遇した。


『クラウドか、丁度いい。駅員達にインカムを新調する件で書類のコピーをーー』

「それどころやない!あんた、ワイらの明細表に何してくれたんや!!」


ガツガツと歩み寄った古株駅員事クラウドは、頭一つ分高いジンを睨みつけた。
当の本人は眉間にシワを寄せ何言ってるんだと、普段の表情より三割増しの不機嫌オーラを醸し出す。肩越しにエテボースが顔を覗かせ、ジンの変わりだろうか小さく首を傾げる。


『何だ。文句があるのか』

「文句以前の問題や!こう言うのは前持って言うてくれんとーー」

見ろあの現状を!
クラウドが指を指した先には相変わらず騒ぎ立てる駅員達の姿がある。
一瞥したジンは、阿呆かと零し手元の書類へと視線を戻した。


『この書類をコピーして駅員共全員に渡しとけ、それからーー』

「聞いとんのかワレ!」

舌打ちが聞こえた様な気がしたがそれどころじゃない。
イライラした表情で手の中の書類を丸めながら、ジンが、んで?とウィンディ牙を覗かせた。


「明細表にこれを入れた理由はなんや」


『は?てめーらが働いた結果だろうが。自分の働きに不満があるのか』

「そう言う事やない。あんた言うとったやないか!残業代はつかないって」


駅員達が騒いでいたそれは給料明細の事で間違いない。
悲鳴をあげたと言ったが、歓喜の悲鳴だった。
予想していた額より数倍の数字に誰もが目を疑う。何故こんなにもの数字が記載されているのか?誰にもわからない。

記載されている日付。それは近くの川の水が地下鉄へと流れ込んできたあの月である。
あの日は酷くめまぐるしい1日だったと誰もが記憶していた。同時に後処理による業務が更に増え、ギアステーションに勤める全ての従業員はバタバタした毎日であった。
今は地下鉄内の劣化部分を強化、及び補給作業を行っている為同じ事故は発生しないだろう。

やらなければならない事は山積みで、従業員達は自主的に残業をするようにした。
勿論サービス残業で、だ。
ここギアステーションでは残業を行った際書類を揃えなければならない決まりがある。どういった残業内容を行っていたか、何時に上がったかを記載する書類。
最後にその書類をジンに提出しなければならない。
只でさえ近寄りがたいジンが、事故により書類を処理する姿はどこか恐ろしく仕事意外の件で従業員達は無闇に近寄ろうとはしなかった。

ギアステーションを思えばの事。
お客様の事を思えば。

長時間のサービス残業の末、一段落ついた事故処理に従業員達は一安心した。

サービス残業なんてよくある事だと割り切っていた為、まさか残業代が入っているとは思わなかった。それも1日1日間違えずにしっかりと記入されている。

記載ミスかと思われたが、右下に書かれているサインは明らかにジンの物だ。ジン承認と言う事になる。


『てめーらが稼いだんだろ。何で私に文句を言う』

「あんたあの時残業代は出ない言うたやろ!」


クラウドの言うあの時と言うのは、ジンが義手を失い廊下でクラウドと駅員と会った時だろう。
丸めた書類を手の中でトントンと叩くジンが何言ってるんだと小さく零した。


『私はボーナスと手当ては出ないと言った筈だ』

「それの事を言ってーー」

『誰も残業代とは言って居ない』

「!」


ハッと思い出したクラウドは自身の口元に手を当てる。
確かにジンは手当てもボーナスが出る訳でもない。と言っていた。
その言葉の中には残業と言う単語はどこにも混じっていない。
片手の無い仮上司に仕事を任せていては、終わるものも終わらない。
手伝う訳ではない。とムキになり仕事へと取り込んだ自分の姿を思い出した。


『残業代が出ない程此処の経営が切羽詰まってる訳無いんだよ』

仮とは言え今の責任者は私だ。
それぐらい当たり前に出来る事だ阿呆。

丸めていた書類を緩める。瞬く間に紙は本来の姿へと戻ろうにも、僅かながら癖が残り丸みを帯びた紙が出来上がった。

『さっさと日常業務に戻れ。騒ぐのは休憩中にしろ』

丸みを帯びた書類を胸へと押し付ければ、つい受け取ってしまったクラウドがあ、と零す。

インカム新調の件は書類を見れば分かる。


そう言って来たばかりの廊下を戻る。
エテボースがじゃれつく様にジンの腕に尻尾が絡み付くが、当の本人は片手であしらい、後にしろと二本の尾を軽く叩く様子が見えた。


「ちょ…おいあんた待ち!!」


思っていた以上の大きな声が出てしまった。
バックパッカーが履くような大きなブーツが止まる。ジンを呼び止めてしまった事に気づき、クラウドは息をのんだ。
何故ジンを呼んだのか分からない。

つい勢いで呼んでしまった事に後悔する。
しかし、此処で「何もない」と引いてしまう程口は軽くもなく、どこか意地になっている自分が居る事に気付く。


「き、聞きたい事がある」


こちらへと振り返り面倒くさそうな表情を浮かべたジンが腕を組む。隣ではジンの足へとしがみつくエテボースの姿。


「そ、その…」

『…………』

「……何でワイらをクビせんのや」



今まで抱いていた疑問がポロリと零れてしまった。
ジンとギアステーションにつとめるスタッフの仲は悪く、ギスギスした空気で常に満たされていた。
陰口なんて当たり前で遠巻きに嫌がらせや仕事を増やしたり、押し付けたりする事は日常茶飯事。流石にトレインやバトルサブウェイ目的の人へは、迷惑がかからないような範囲内では有る。が、押し付けた仕事でジンが残業なんて事はよくあった話しだ。
クビを恐れてかジンに極力関わらないようにするスタッフも居るが、それは少数でしかない。

ここまでスタッフと仲が悪いのであれば、一人や二人見せしめとしてクビにし周囲に圧力をかける事だって出来る。
が、ジンが此処に勤めて以来自主退職意外、クビで切ったスタッフは一人としていない。


「あんたがワイらを嫌いな事位知ってる。その中の気に入らない奴一人や二人位クビすればいいのに、あんたはそう言う事をしない」

何でなん?


探るような視線がジンへと向けられる。
しかし、ジンからは、は?と怪訝な顔をされてしまい、逆にクラウド自身も怪訝な表情を浮かべる。


『私がいつお前達を嫌いだと言った?』

「……え?」


『被害妄想なら他でやれ』

呆けたような表情を浮かべる駅員に、ジンは舌打ちをしてはその場を後にする。

足にしがみつくエテボースを引き剥がしながら歩くその背中。クラウドは一人と一匹を見送るしかなかった。






141015




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