目の前に迫る業火。
彼は慌てて左へと避けて見せるも、回避先まで相手は予測していたのであろう。追撃の青い炎が迫り来る。
飲み込まれる。そんな思いが脳裏をよぎった瞬間、別の炎が壁を作り出した。激しく燃え盛る赤い壁は、迫る炎を防いで見せた。
が、それもつかの間。青い炎が壁を押しのける。
危ない!
後ろにいた彼が叫んだ刹那、炎が壁を粉砕。
激しく飛び散った火の玉が狭い廊下内へと飛び散った。
「ルババ!」
飛び込んできたのは一匹のポケモン、メラルバ。
メラルバは尻餅ついた彼を包み込むようにひかりのかべを展開。瞬く間に半透明に輝く壁が覆い尽くし身を守る。
「 !」
尻餅ついた彼が振り返れば、ミジュマルの水鉄砲で炎を打ち消すアレの姿を捉える。
自身の視線に気づいたのか、マスク越しに何かを叫ぶ。
大丈夫?!
声無きアレに、彼は頷いた。再び前へと向き直れば、ひかりのかべを必死に保つメラルバの姿が瞳に映り込む。
が、新たな業火がひかりのかべへと牙を向ける。
円を描く様に伸びた炎は、叩き込むかの如く次から次へと側面に衝撃を与える。
彼がハッと息をのんだ。
ミシミシと聞こえるそれはひかりのかべから。止まる気配の無い業火は容赦ない。ピシリピシリと壁に亀裂が入って行く。
マズい!
彼はすぐさまメラルバを抱き抱えては急いで後退した。瞬間、無数の亀裂が入った壁が砕け散る。半透明なガラスが無数に砕け、辺りへと飛び散る。後を追うかの様に容赦ない青い炎も舞い、それ等は悲鳴を上げた。
か弱い水鉄砲が飛ぶ。
メラルバを抱える彼を襲う業火へとヒットするも、威力を弱める程度にしかならない。炎と水がぶつかり合い水蒸気が発生。同時に衝撃波も生まれ、彼が吹き飛ばされてしまった。
「っ!」
ミジュマルをつれたアレが、吹き飛ばされたそれへと駆け寄る。腕を激しく打ったのか、苦痛に歪む顔に泣きそうになった。
廊下のあちこちに散らばる破片が淡く燃える。
ひかりのかべの破片だろう。飛び散る破片にこびり付いて離れないそれは青い炎。まるで飲み込むかの様に燃え上がる様に、彼の額にイヤな汗が伝う。
パチリ音がした。
とっさに顔を上げれば、狭い陽炎の中であれがグルグルと喉を鳴らしている。
「ルッバ!」
彼の腕の中から這い出たメラルバが勢い良く飛び出る。
影と対峙するメラルバは、全身を大きくみせるかの様に膨らませ低く唸った。
「ルバ!ババ!」
メラルバが何かへと叫ぶ。が、青い炎は未だに揺らめき続けるだけであり、それ以上のアクションを起こす気配がない。
炎が動く。
ゆったりと構えたそれに、2人はポケットにいれていたボールを取り出そうとした。が、何かは真上へと青い炎を翳す。
なにがある?
2人がその先へと視線を向けた瞬間、冷たい雨が降り出した。
直線顔に浴びてしまった雨、悲鳴を上げたと同時に無機質なブザー音が狭い空間を埋め尽くす。
スプリンクラーが作動したのだ。廊下に散らばる火の粉へと散水していく。名残惜しそうに消えて行く炎、歪み残された破片が無造作に転がる。
バタバタと騒がしい音が近付いて来るのが分かる。
2人はマズいと顔をしかめた瞬間、ボールの開閉音を耳が拾う。
見上げれば其処にいた筈の影が無い。天井から散水する雨により、視界がぼやける。
「大丈夫か!?」
廊下を曲がり現れたのは駅員。
ぜえぜえと肩で息する彼等は、目の前に広がる惨事に目を丸くする。
「一体何がおきた!」
座り込む2人の影。
研修生のユキとスミだ。着込む制服はなぜかボロボロで、所々擦り傷が見て取れる。
青ざめた駅員達が駆け寄る。バシャバシャと跳ねる水音。
君たち大丈夫か?急いでドクターを呼ぶから待っていろ。
その言葉に安堵した研修生が、たまり始めた水の中に座り込む。安堵したのだろう。引きつった表情が緩やかにほぐれていくのが分かった。
研修生の外傷からして、それほど深いものでもないらしい。
瞬く間に暈を増す水により、散らばる破片の姿を隠し音たてる事無く溶けて行く。あとから来た駅員には、何がおきたのかさっぱりわからない。しかし、このままにしておく訳にはいかない。
まず先にしておく事は……
『業者を呼んでこい』
バシャリ。
水を飛ばして現れた存在に、駅員達は肩を揺らした。ゆっくりと振り返れば、駅長代理ジンが立っている。スプリンクラーから降り注ぐ水を気にしてないらしく、纏わりつく水を払う気配がない。
「駅長代理、あの、これは…」
『迷い込んで来たゴーストポケモンを、2人が追い払った』
「へ?」
『メラルバの炎で装置が起動した。こうなっては新しい物を付け替えるしかない。さっさと業者呼んでこい!』
それから、清掃員もだ。
早くしろ!
いきなり現れたジンに戸惑う駅員達。だが次々と指示を出すその存在が声を上げれば、彼等は裏返った返事を残して来た廊下を戻ってゆく。
『………………』
残されたのは研修生のユキとスミ。
2人はビクビクとポケモンを抱き締めながら、ジンを見上げる。
が、まるで興味ないかの様に座り込む2人の隣を通り過ぎた。バシャバシャ跳ねる水を蹴りながら、廊下のある一点でその足を止める。
静かに屈めば、腰に巻く黒白マントが水へと浸かる。
水の中に沈む球体。
ボールだ。
緩やかにすくい上げれば滴る雫が、水面へと様々な弧を描く。
透明なパネルが浮かび上がる。ボール内のポケモンの情報だろうが、2人の居る位置からそれが見えない。
パネルを閉じ、ボールをしまい込んだジンが振り返った。被っている制帽が邪魔で、どんな表情をしているのかが分からない。
だが、2人はわかっていた。
ジンが何を思い、どんな表情をしているのかが。
「………ルー」
研修生に抱きかかえられていたメラルバが鳴いた。ジンへと向けられたその鳴き声に、研修生はビクッと体を震わせる。
『……………』
メラルバの前でジンが止まる。が、メラルバへと伸びた手が、赤い角をいきなり掴み強引に持ち上げた。
突然の出来事にメラルバは悲鳴を上げ、小さなその体を揺らし離せと抗議する。
『育て屋に預けるのも悪くないな』
「「!!」」
水に浸かり立ち上がれないユキとスミが顔を上げた。
『いつかお前を引き取るトレーナーが来ると思い放置して置いたが、余計な事をしてくれたなメラルバ』
「ルバッ!バッ!」
『なぁ、メラルバ。育て屋にポケモンを預け何年経っても、トレーナーが引き取りに来ない場合そいつらはどうなるか知っているか?』
メラルバが更に暴れた。角を掴まれもがいているのか、それとも育て屋の件を知っているのどちらかはわからない。
悲痛な鳴き声をあげるメラルバにジンは目を細めるだけだ。
「っ!!」
そんなジンの足へとしがみついた存在がいた。研修生のスミ。
散水により濡れたジンのズボンを掴み、必死に首を振る。後を追うかのように駅長代理の腕へとユキがしがみつく。
フルフル、フルフル。水を飛ばしながら、2人はジンへとしがみつくしかない。
ハイライトの無い隻眼が見下ろす。感情の色が無い瞳に、2人と一匹を映し出した。
『うざったいな』
しがみつく2人を突き飛ばした。
水に守られ激しい衝撃は免れたものの、水が傷口に触れ苦痛を浮かべる研修生。涙を浮かべる瞳がジンを捉えた。
『私の邪魔立てしない限り、てめーが何をしようが関係ない』
だがな、
『このボールに触る事だけは、絶対に許さない』
これは、
私のものだ。
震えるしかなかった。
自分達だけに何かと優しかったジン。そんなジンを怒らせてしまった。胸の底からこみ上げるそれは恐怖。水とか異なる冷たさが体中を支配していくのが分かる。カタカタと歯が鳴った。
怖い 怖い
怖い
上手く呼吸ができず、ヒュッ、ヒュッと、喉が鳴る。
『次は無いと思え』
震える研修生の横を通り過ぎる。
未だにメラルバは掴まれたままで、何も出来ずに声をあげる。今すぐにメラルバを助けないと……。しかし、恐怖に竦み震える両足が動かない。
「っ…!っ……」
隣にいたユキが涙を流す。気付いたスミが背中を撫でるも、その手が震えている。情けなく、みっともなく、同時に無力な自分が悔しい。
ユキと共にスミも涙を流す。
散水は未だに止まない。
駅員達が戻ってくるまでの間。2人は声が出せないまま泣き続けた。
了
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