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床に描かれるのは点々と続く水。

右、左また右へと描かれる水の塊に、普通の人ならば水漏れ叉はポケモンかと思うだろう。
しかし、長年このギアステーションの清掃員として働いているカマナリからすれば、またかい。とため息を付いては水が続くその先へと足を進めていく。
ふと鼻をかすめたのは嗅ぎ慣れたある煙草の匂い。やはり、と苦笑いを浮かべ、作業カートに入っていた綺麗なタオルを一枚抜き出した。
角を曲がり見えてきたベンチにはグレーのジャケットを羽織る人物。
腰に巻くマントはベンチに広がり、くまれた長い足のつま先からポタポタと滴る水。よく見れば彼が腰掛ける周りには水が溜まり、未だに滴る。ジャケットや靴やそして髪の毛に制帽の鍔から雫は落ちる。

少し丸まった背中。全身びしょ濡れのジンの姿が其処に有った。
普段ならばくわえているだろうタバコは無く。変わりに近くに設置された灰皿から上がる一本の線。
ああ、これだったか。清掃員のカマナリは静かに歩み寄り、彼が腰掛けるベンチの隣へと静かに腰を下ろした。

それでもジンは反応を示さなかった。
未だに滴る雫に、カマナリは持っていたタオルを膝の上へと乗せる。


「これで最後だったのか?」

何を指しているのか分かりきっている。
灰皿から上がる煙が細くなり、その存在の主張がどんどん薄れていく。
全身ずぶ濡れでいつもくわえている煙草が湿気ったのだろう。水を含んだ煙草は使えない。今灰皿に投げられたら物が唯一残っていたのだとしても、いつもの様に吸えたものでは無い。
煙草が吸えないのがイラつくのか、鋭い歯が唇から顔を覗かせるもののこれと言ったリアクションを取らないジン。


「何だ、負けたのかい?」

からかう様な口調で投げてやれば、んな事あるかよ。とつまらなさそうに棘付きで返ってくる。
ならば、どうした?
と棘を抜いてまた投げてみせるも、ジンはキャッチしたままで返す様子が無い。
変わりに膝の上へと置かれたタオルを片手で掴んでは、空いた片手で制帽を取ってみせる。
鍔を掴んではカマナリとは逆の方へと数回振ってやれば、含まれていた水が上下左右と好きな方向へと軽々と飛んでゆく。それに清掃員は誰が掃除すると思っている!と眉を寄せる物の、ジンは全く気にもせず制帽をまた再度振る。

そして空いた小さなベンチのスペースへと置いた所で、掴んでいたタオルを広げ自身の頭へと乗せた。
ワシワシと豪快に拭えばやはり水はとぶものだ。隣に居るカマナリにもそれは飛んでゆき、ハァと明らかなため息を付いた所で駅長代理はその手を止めやしないだろう。

露わに成ったジンの素顔。
目深く被る制帽によって、普段は見ることの出来ないジンの瞳の色などが明らかに成った。
異様に長い右前髪はジャケットの中に着るベストの胸元まで伸びる。しかし逆に後ろ髪は短く、重力に逆立つように立つ髪の毛はまるでレントラーを連想させる。両耳を飾るのはリング式の幾つもピアス。
耳朶だけでは無く軟骨にも連なって続く輝き。若い者の間ではヘリックスやインダストリアルなどと呼ばれているが、歳がいったカマナリからすれば全て同じ様にしか見えない。
よくもまぁ、そんな所に穴を開け付けたものだと思う。
ライモンを行き交うギタリストでも、此処までは付けはしないだろう。

それ程までにジンのピアスは目立ち目を引くものがある。ジョウト地方特有の焦げ付いた茶色の髪。しかし、毛先は飴色へと脱色しており、以前聞いた話によればギアステーションへ派遣されて以来、毛先がどんどん脱色してきているのだと言う。
もしかしたらあちらジョウト、カントー地方と此方のイッシュ地方の気候の違いのせいからだろう。ガラリと変わった気候に追い付けず毛先が脱色したんだろうとジンは話していた。

ジョウト、カントー地方に住む人たちは小柄な身体付きだと聞くが、ジンにはそれが一切感じられない。

ふと、飛び散っていた水が止まる。
やっと終えたか。と、ちらりと見てやれば頭にタオルを乗せたまま、ただ静かに座るジンが其処にいる。
今日の駅長代理殿の様子はどこか変だ。そう気付くも、影と成っている片手で腹部を支える仕草を見てカマナリは悟った。


「今日は重い日だったか」

『黙れじじぃ』


その口、縫合してやろうか?
とまたもや棘付きボールを難なく受け止める。
いくら周りに人が居なくとも、そう言った話を職場でするのをジンは嫌っていた。
勿論それを知っている清掃員だが、言ってしまったものは仕方が無い。ジンもインカムを切っているらしく慌てている様子は無い。



「二日目かの?」

『分かってんなら喋んな』


ジンが彼では無い事を清掃員は知っていた。本来ならば"彼女"と呼ばれるべき存在なのに、ジンは"彼"つまり男としてギアステーションへとやってきた。
何故それをただの清掃員でしかないカマナリが知っているのか?
ジョウト地方にあるリニアステーションの駅長と古くからの知り合いと言う線で、ジンの話を聞いていた。カマナリも長くこのギアステーションに勤め働いている。歴代の駅長やサブウェイマスター達も様々な問題やトラブルを抱えてきたが、性別を偽って派遣された件については初めてだ。
ただ、向こうの駅長からは支えになって欲しい。それしか伝えられて居ない。話せない理由があるのだと清掃員は抱く。

だから、こうやって人気の無い所でジンとの会話には、注意を払っては居るが……。


「調子が悪い時に、身体を冷やす馬鹿が居るか!」

『私に言うな。ダブルに挑戦してきたトレーナーに言え』


シングルでは砂パーティー、ダブルでは雨パーティーを使う事で有名なジン。天候パとは空を自在に操ってこそ呼ばれる名前だ。それを使わなければただのパーティーとなり、最終目的地である七車両目で待ち構えている意味は無い。
癖があるパーティーだからこそ攻略法を考えバトル戦法を組み、対戦し勝ちを得た瞬間ほど嬉しいものは無い。

其処に自身の体調まで考えて居ては意味がない。
ならば仕事を減らすようにすれば良い?
無理な話だ。

ギアステーションで働く従業員達はジンをよく思っていない。もし、経験の浅いのサブウェイマスター代理が居ると話を持ちかければ、皆揃ってそちらへと偏るのは目に見えている。
従業員だけで処理出来る仕事をわざわざ駅長代理のジンへと回し、残す事も暫しある。そんな関係を持つ相手に休ませて欲しい。なんて言えるものじゃない。

更に甘く見られてしまうか、叉は駄目な駅長代理だと思われるのがオチ。
だったら、始めっから何事もなかったかの様に過ごせば良い。

まぁ、そう考えるジンだが、きっと意地も混じっているのだろうと思われる。

全く。どいつもこいつも意地を張り居ってからに……。

しかし、可笑しいものだ。体調が良くないとは言えにしては纏う雰囲気が異なる。
ダブルトレインに乗車したトレーナーに何かあったのだろうか?

「相手のトレーナーは?」

『ベテラントレーナー』

「何か言われたのか?」

『…………………』


その問にいきなりカラカラと笑い出したジンに、カマナリはただ静かに座るだけだ。


『よくある話だ。"マルチトレインはまだか?"だと』


四代目駅長から途切れてしまったマルチバトル。
駅長とサブウェイマスターの仕事を両立し、一人で切り盛りしていた為マルチトレインの運行が出来なくなっていた。
駅長とサブウェイマスターの二人三脚で行うマルチバトルは、バトルサブウェイの目玉でもあったがトップに立つ人間が一人になってしまいマルチトレインの運行が無くなってしまった。
マルチバトルをしたくてわざわざ地方からやってくるトレーナーも多く、それが無くなってしまってはギアステーションの切り盛りが上手く行かない。
其処で前回の四代目駅長は、試行錯誤の末なんと経営出来る位に回したものの事故により死去。
派遣されたジンにこれ以上利用者の足を遠ざけない様にと提案されたのが天候パだと言う事を知るのはごく一部の関係者しか知らない。


しかし、それを知らないのがトレーナー達。
彼らはただスリルのあるバトルをしたいのだ。それを提供するのが此処バトルサブウェイ。そして答えるのがトップの人間。

勿論叶えてやりたい。
しかし、自身は駅長やサブウェイマスターなどでは無い。あくまで代理。立つべきトップが現れるまで空白と成ったその席に浅く座り、一時的に埋めているにしか過ぎない。



『私だってマルチトレインを走らせたいさ』

しかし、自身の隣には誰も立っていない。
駅長とサブウェイマスターの二両編成で行われるマルチバトル。それが歯がゆいのはジンとて同じだった。

二重にも三重にも重なる重み。

くしゃりと自身の頭をかき回すジンがポツリと零した。











『じじぃ、煙草あるか?』



ホームに設置された電子パネルに表示されるデジタル文字に目を細め、清掃員のカマナリは瞼を閉じた。


「忘れたか?ワシは禁煙中だ」





















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