謳えない鹿2 | ナノ



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誰もが寝静まった時間帯。世界を包むのは黒一色しかない。
風もなく外からのざわめきは室内へと入り込んで来る事は無かった。
深い何かに飲まれる空間。あまりにも深過ぎるこの時間帯ですらどんな人間も脚が竦む。
そんな時間に鳴るとある音。
一体どんな音だろうかと耳を澄ませば、パシャリと鳴る音。それはどう聞こうが水であった。

白い湯気が立ち込め、視界を遮る。そんな世界の中に渡るのは浸る音。床につくのは裸足となった脚である。ヒタリヒタリと湿った床の上を歩くのは一人の生徒。腰に布を巻き、持っていた桶を近くに置けばカコンと音が更に響き渡る。
長い髪を纏め前へと流す。

場所は男子湯浴み場。
しかし、本来そこにいるのは男では無く異性である女がいた。
亮である。
いくら男装しているとは言え、女湯に入る訳には行かない。今の所、彼が「彼女」だとは気付かれていない。
筈である。
相手にそれらしい仕草や態度を取られていない所からみて、今はまだバレてはいないものの警戒する事には越した事はない。それらしい言動に出た生徒には気をつけなければならないのだから。

一人で入る入浴。希に尾浜や不破といった彼等から共に入らないか?と誘われるが、男装して居る亮は女である。
しかも年頃の男子と入れる訳ではない。勿論断るしかない。既に入ってきた、一人の方が落ち着くから。と……。

そして、亮は出来る限り人が寝静まったこの時間帯に入浴をする様にしていた。たまに違う時間にも入るが、この学園に来て深夜の学園内を一人で歩き回って居れば皆が寝静まる時間が分かる。

今日も長屋内が静まり返った隙に亮は入浴していた。
今日はたまたま風呂のお湯が新しいものに変るのが早かったらしく、こみ上げる湯気の濃度は濃い。亮が入る時間帯は湯は覚めており、ぬるま湯に浸かる回数が多かったが今日は少しラッキーの様である。

しかしふと亮の格好で何故?と疑問を抱く点がある。亮は女であるが下は布一枚のみか?本来は女性特有の上半身も隠さなければ成らないが、今の亮には長い髪の毛がある。
逸れを前へと流せばなんとかごまかす事はできる。とは思う。
実際にこの現状で誰かと遭遇なんてした事はない。だから答えなんてものは無い。

気配に探りを入れ、人が居ないのを確認。

まだ、大丈夫である。
以前、ギリギリでは有るが危なかった時があったのだ。それは六年生の潮江文次郎。彼との接触だった。向こうは気配を消しては居らずそれにいち早く気づいた亮が、慌てて湯から上がり制服に腕を通した。

頭は濡れたままで、滴る水が制服の中に落ちてきたあの感覚は今でも忘れられない。
幸い風呂場の扉前で接触。と言う形で事は済んだものの、これが風呂場内だったら転倒ものである。

まだ、大丈夫。

亮は近くに置いてある棚から石鹸を取り出し、静かに泡立てる。モコモコと立つ泡を眺めながら今までの学園の事を思い返す。

次々と脳裏を掠める騒動は濃いものばかりで、出会う後輩達は可愛らしいものだ。


『(向こうは、僕だけ。でしたからね)』


最後の三年生。
同年代の子は当初の入学試験で半分以上消え、残った半分は一週間後の演習で絶える。
僅かに残った者は二年の進級試験で亮を残し、全て全滅した。

完璧な忍を育てる忍者育成学校。とある一部の金持ちや有名な武家達の間では有名で、亮がいた学園に入学する子供達の数は半端ないのだ。しかし、だからこそ、生存率は酷く低く自身の子供、有名な血筋である子が入学試験と言う最初に落とされてしまえば文句を言うものである。
しかし、あの学園に入学する際には……と言うある書類を書かされるのだ。
内容は至って簡単。

「何があろうと、口出し無用」

と。


そして、残ったのは自身を含みたったの3人。
今思えば、あの学園の毎日が酷く濃すぎてこの忍術学園での穏やかな日々に、本当に此処は忍者を育成する場所なのかと疑いたくなる。
しかし、内容は忍術の事をちゃんと学び学年にあった実技が行われる。

以前、三反田と共に食堂で学園内の流れを一通り聞いた際、この学園を去る生徒達の数を聞いた。
それは実際に亮自身が見てきた数より遥かに少なく、三反田側からすれば多い。と言う。


泡立った逸れを自身の体につけ、ついていた汚れを落とす音が風呂場内に寂しく浸透する。


ハァ……。



こぼれたのはため息の他でもない。いつの間にか止まっていた手は水分を含み湿った前髪をクシャリと掴む。
泡がついた体から、ポタリポタリと作ったばかりの泡達が落ちていくのが、嫌に耳に触る。
前髪が崩れた事によりいつもよりクリアになった世界は湯気しかなく、掴む事の出来ない逸れを隠れていた瞳がジッと見詰めた。





『………狂ってしまいそうですね』




何が?とは言わない。
自身でもそれがはっきりとしているから。
でも、そう思う度に向こうの学園で得た古傷がズグリと痛み出した様な感覚が襲う。
無傷で生き抜く事なんて出来やしない。それが忍者の世界だから。


モヤモヤと胸に掛かる霧に、自身が苛立っているのが分かる。


止めよう。深い感傷に浸ってしまう。


その隙に誰かが来るかも知れない。
亮は置いた桶とは別にある桶へと手を伸ばす。中身のお湯がこぼれない様に両手でもち、胸に掛かる霧を払うかの様に頭から逸れを被ったのだった。
















100629

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