静かに横たわるその青年。
彼の目元を隠すかの様にずり落ちる大きなそれは、本来の白鉢巻とは比べものにはならない。
白い布。
それが妥当だろう。
白い布の間から覗く鮮明な銀朱な髪の毛は細く、風が吹く度に揺れる毛先をいつまでも眺めていたいものだ。
形の良い薄桃色の唇が艶を含み、ついそれを吸ってみたいと喉が上下に動く。ゴクリとなるその音で自身が飢えているのだとあらためて感じると同時に、早く早くと急かす様に胸の底からふつふつと沸き立つ。
いつもは被っている天蓋は脇に寄せられ、彼の素顔は私の目の前でさらけ出されている。
育った薬草を積みに行くのが早朝の日刊。
その薬草を使った朝餉を作り終わり、寝ている彼を起こしにる部屋を覗いた矢先がこれだ。ちょっとラッキーだと思える。
そして、今の彼は眠りの淵に浸かっている為か、目を覚ます気配がない。いつもはピリピリして僕を寄せ付けない癖に、今日みたいにどこか抜けている一面に胸が高まる。
私がこんなに近づいているのにも関わらず、彼は起きない。因みに仰向けになる彼を上から真正面で眺める。
彼は私をあしらう。そのせいか、今みたいにこんなに近くに近付いた時なんて一度も無かったら。
同時に嬉しくもあり、うずうずとする。
更に彼に近づくも彼は起きない。深く寝てる様だ
寝てるんだから、軽く吸っても良いよね?
私は垂れ落ちる髪の毛を掬い、彼へと近づく。
バクバクと鳴る胸の音が煩く、寝ている彼が起きそうで怖い。
体を支える腕が震え、唇が酷く乾く。
眠る彼の唇を吸った事を、目が覚めた後の本人に言えばなんて言うかな?
いつもの様に私に殺気を飛ばすかな?それとも、何してんだてめぇ…。と呆れる様に普通に流す?淡い期待を持ちつつ、その綺麗な顔を真っ赤にして照れるかも。
ああ、そう思えば早く彼の口を吸ってみたい。
彼のリアクションを見てみたい。と。
あと、もう少し。
逆さまの唇に触れると言う瞬間だった。
いきなり顎を掴まれた私はそのまま上を向けられ、同時にグギャ!と変な声が出た。
悲鳴が上がる首が痛い。
痛い!ちょっ!本当にイタイ!!
「あだだだ!名前?!」
彼の名前を呼ぶ。それでも顎を掴む握力が弱まる所か、逆にミシミシ骨が音を鳴らす。ちょっ!これ虚無僧の握力じゃないって!
「ごめんごめん!本当にごめん!もう寝込みは襲わないから!?」
約束します。仏様に誓ってでも約束しますから!
すると、その言葉を聞いた彼の掌がピクリと動く。
そして、ゆっくりと離れていた手に私はすぐさま顎をさする。ヒリヒリと痛む皮膚にはきっと跡が残ってるに違いない。
どうしてくれるんだい名前。私の貰い手が居なくなってしまうではないか?
込み上げる涙を耐え、潤んだ視界に映り込んだのは鮮明な銀朱。
背中まで長く寝相で乱れた髪の毛は、所々に寝癖が目立つ。
目元を隠していた布をすぐさまに定位置の頭へと戻せば、いつもの彼が完成。
なんだかつまらないな。と、僕はつぶやくが寝ぼけている名前には聞こえていないみたいで安心した。
『目覚めの悪い方法で起こしやがって……胸糞悪いわ』
「こらこら、虚無僧とあろう方がなんて言葉使いをしているんだい」
『てめぇこそ、雲外鏡(ウンガイキョウ)の癖に何で森に住んでやがる。鏡の妖怪は都に居な』
「都が退屈だから一人のんびり森に来たんだよ」
そんな事を言っても名前の耳には入っていない。
無造作に頭をかきむしる彼の後ろ姿が大きく、ふわふわ揺れる髪の毛に一々胸が熱くなる。
そんな私に気が付いていない名前は、ゆっくりと起き上がれば首を回す。たまにゴギっとなるその音は痛々しいが彼は気にしないみたいだ。
「名前、名前」
『んだよ、雲外鏡』
「伊作だってば。名前お腹空いてない?今丁度、朝餉が出来たんだ」
食べるよね?
と、座ったまま彼を見上げる。
初めは、あ?ああ〜。と言った抜けた声しか出さなかったものの、そのまま部屋を出て行くのだから私は急いで立ち上がった。
「名前!」
『ああ?食べる食べる。だからさっさと支度しろや』
再びガサガサと掻く頭と広い背中。
彼はいつもの様にそのセリフを紡ぎながら、囲炉裏のある部屋へと向かう。
全く、もう!
そんな台詞を内心で呟くものの、やっぱり私が用意した朝餉を食べてくれるのが嬉しくてついつい頬が緩んでしまう。
ドンドンと足音を鳴らしながら廊下を歩く彼の背を、私は直ぐに追いかけた。
虚無僧と雲外鏡
了
100709