百合籠 | ナノ


当時、彼に会いに行くのが怖くてたまらなかったのだけは今も尚記憶していた。
あの事件以来、彼は私を遠ざけるのかも知れない。と言う恐怖感が私の足を廊下へと深く縫い付け、彼が使用していた部屋の前で足が竦んだのだ。

唯一学園内で私が縋る眩しい存在は、輝く事を止め暗い暗い深い底へと呑まれるかの様に消えてしまうのでは無いか?彼の名を紡ぎ腕を伸ばした存在が、振り向く瞬間を今か今かと心を踊らせる。しかし、振り向く以前に私の存在に気が付かず、背を向けて遠ざかる光景が脳内でチラチラと顔を覗かせた。

怖かったのだ。

私が非力な為だけに失ってしまう、彼と言う世界の中心軸。
彼が真ん中に立つ事で動き続けていた鮮やかな世界は、まるで興醒めだと言わんばかりに軸を大きく傾ける。平行された世界は暗転。私は孤独と言う沼へと真っ逆様では無いかと……。

非力な私に気付いてくれた彼の優しさが未だに残る指先が、冷たく成り代わるのでは無いか?

野沢と医務室で別れて以来合わなくなった。
先生は怪我をした為、完治する迄は授業に出れない。と告げられた瞬間、隣の席の文次郎がまさか……、と息を呑むのが聞こえたものだ。
それほど迄に重体な状態へと追い込んでしまったのは、誰でもない当時非力な私自身の存在。
何事も無かったかの様に先生がチョークを持ち、説明しながら黒板に走らせる単発的な音楽は私の耳には入らなかったのだろう。
ただただずっと、呆然と先生の背中を眺めているしか出来なかった。


授業を終え隣で文次郎が何やら話しかけてくるも、左から真っ直ぐ右へ直進。情報は脳へと迂回してくる事は無い。
仙蔵?と肩を揺らされた事で授業が終わったのだと知った私の頭は、意志に関係なく静かに立ち上がり教室を出て行く。
後ろで何やらギンギン煩かった気がしたが、きっとあれは季節外れの蝉が鳴いていたに違いない。

まぁ、その頃の私は勝手に体が動き一歩また一歩と歩んで行き、絡繰り人形の如く、ギッギッと音を鳴らし顔を上げた先は野沢と書かれた札が掛けられた一室。
野沢……。
と、彼の苗字を呼ぶも声量が足りないらしく自身でも今何を言った?と分からなくなる位にそれはか弱かった。

野沢とは丸々2日顔を合わせて居なかった。
部屋の前を通る度に足が止まり、閉められた戸へと手が伸びるもこの先で私が一番に望まない結末が待っているのでは無いかと思う度、手は素早く引っ込められ慌ただしく部屋の前から立ち去って行った。

今思えば本当にあの頃は幼稚な考えしか浮かばないモノだったな?と笑いたくなる。


戸の前で立ち尽くす私は、目を伏せるしかない。怖くて恐くて、涙が溢れてきた。
水色の制服を握り締め、込み上げる嗚咽を噛み殺す。何故、こんな所で泣くのか?自分自身ですら分からない疑問。
早くしなくては……。野沢が離れてしまう。野沢が背を向けてしまう。野沢が、私を見なくなってしまう。

そう思った瞬間、胸を締め付ける痛みとクラリと目元に光る星に平行感覚を失う。
ぐらりと傾く視界の中、自身が倒れていく最中頭を打つのか?なんて、他人事の様に考えて居た。痛いのだろう。
受け身を取らなければ……。しかし、こんな痛み、野沢に比べれば…違う比べる程でも無い。こんな痛み程度で野沢が受けた傷とは………。

倒れていく途中だった。
傾いた視界が不自然に止まる。そう、宙で世界が静止。
何が起きたのか?
様々な事をぐるぐると考えていた私には、小さな世界に起きた事柄にさっぱり分からない。



「こらこら、危ないぞ一年生」



頭上から降りかかった声に私は涙を流しながら見上げる。
キラキラに輝いて居たのは綺麗な銀(しろがね)
砂浜の砂の如くサラサラと流れる長髪を、相手は耳へと掻き上げる。
艶を含んだ笑みとゆっくりと細められた黒真珠に、私の息は突如として止まった。





「こんな所で寝ると風邪をひくぞ」





一年生?










倒れた私を支えてくれた存在。
現、作法委員会作法委員長。
六年い組、伊達。

彼と私が出会った瞬間だった。
















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