「今は何をしてるので?」
『考古学者をしてます。現代に残された遺跡をまわって調査を…。ノボリお兄様は?』
「サブウェイマスターを…」
『サブウェイマスター!もしかして、ギアステーションの…!なんて凄い!もしや、クダリお兄様も?』
「……ええ」
まぁ、流石お兄様方です!
手を合わせ喜ぶのは私の妹、名無し。昔のように彼女を愚妹と呼ぶ思いは、今の私の中には存在しなかった。
何十年ぶりに再会しか妹は立派な女性へと変貌していた。
私達家族揃いの銀髪をひとまとめにし前へと流す。お母様の血が濃い為か大人の顔付きとなった今になり、とても似ていらっしゃる。目つきはお父様と同様の鋭いもの。一見、気の強い女性にも見えなくはないが、彼女が醸し出す柔らかな雰囲気によりそれらは消える。
こうも見れば名無しは普通の女性であり、人によって彼女を美人と呼ぶ方もいらっしゃるでしょう。それほどまでに彼女は成長していた。
しかしそんな名無しだが、誰もが好印象を抱く事は無いだろう。
『ノボリお兄様?』
「……………」
彼女の目の下に深く刻まれた青、いいえ、もはや黒と言った方が適切でしょう。
化粧では隠しきれなかったのか、逆にメイクの一種ではないかと思えるほどの隈が刻まれております。
私達兄弟も一年中多忙と言っても可笑しくなく、徹夜続きの日々も御座います。
だが、名無し。
我が妹まで酷く刻まれる事はないのです。
彼女の隈は遠目でもわかる位はっきりしている。
隈だけではない。
太陽の日を浴びていない、不健康な迄の肌の色。白衣の袖から覗く手首は骨と皮しか無いのではと思うくらいに細く気味が悪い。
やつれてみえる浮き彫りの鎖骨に、泥沼のように濁りきった瞳。
生気を感じられない。まるで病人叉は死人のようでもあります。
「随分、変わりましたね」
雇っている家政婦にいれてもらった珈琲だったが、湯気が薄れていくその様子に冷え始めているのだと気付く。
二口しか口をつけてないそれを再び飲む気が湧かない。
理由は何故だろうか?
ガリガリにやせ細った今にも死にそうな妹がいるからか?
それとも、過去に犯してしまった妹への事にたいする後ろめたさか?
口元に手を当て名無しがクスクス笑う。
お母様そっくりの動作で静かに笑うその姿に、体の中で何かが震える。
『なにも、変わってはいませんよ』
「そう、でしょうか?」
『ええ』
カップの縁をなぞりながら、名無しは目を伏せた。
『お兄様達に追い付こうと毎晩毎晩ポケモンの勉強をして湯に浸かる暇を惜しんで毎日毎日ポケモンバトルに明け暮れてお母様とお父様に誉めて頂こうとポケモンバトルだけではなくポケモンコーディネーターやポケモンドクターそしてブリーダー資格をとる為に勉強しお世話になっていた孤児院の園長様からイッシュ地方以外のジムバッチ全て取ってくるまで帰ってくるなと追い出され渡されたトレーナーカードが偽物で不法入国者だと警察に捕まり保護者であるお父様とお母様の名前を出してもそんな人は存在しないと切られ暫く牢での生活を続けていた事は全くもって変わりませんよ?』
にっこりと名無しは笑った。ひさびさに再会した友人へと笑いかけるかのような笑み。
元気だった?変わりはない?
そう、なにも混ざんない程真っ白な笑みだった。
名無しの話した内容に私は耳を疑う。
私達の知らない場所で、目の届かない遠い場所で、名無しは……いや、だが、それをつらりつらりと言った名無し本人が不思議な位不自然で可笑しかった。
名無しの言葉の中に、憎悪、が込められて居ない。
私を映す瞳の色も口調も仕草も雰囲気も全部に変わりはない。
彼女は変わらず、淡々としている。
不気味だと、私は抱く。
絞り出した声が、震える。
「……名無しっ、その、」
『あるポケモンと出会い、今の私はイッシュに来れたのですよ』
「ポケモン?」
『はい』
合図を待っていたのだろう。名無しの背中からゆっくりと現れた一体のポケモンに私は驚く。
まさか、このポケモンは
『ポケモンに詳しいノボリお兄様なら、ご存知ですよね?』
ジョウトのある遺跡に生息するポケモン、アンノーンです。
『釈放されて、迷子になった時にこの子に出会ったんです。とても人なつっこくて可愛いでしょ?』
名無しの背中から姿を現したアンノーンですが、すぐさま背後へと隠れてしまう。そして背中越しにじっと私を見ては視線を外す様子がない。
ふと気がつく。
アンノーンが一体だけではない事に。
どこから現れたのか分からないアンノーン達が、名無しの背中越しで私を見ていました。いいえ、見ていた。と言う言葉使いは間違いでしょう。
睨んでいる。
が正しい。
纏う雰囲気が殺気に満ち溢れ、今にも飛びかかってきても可笑しくない。
そんな場の空気に気づいたのでしょう。
腰元のボールがガタガタと震える。
一触即発。
そんな空気がロビーを埋め尽くす。
『スミマセンノボリお兄様』
「っ、なにが、です?」
『夜遅くに押しかけてあまつさえ私の世間話に付き合って頂き…』
「いえ、その様な事は……」
後に続く言葉が見つからない。
そんな事はない。
そこまで気にしなくていい。
何故なら、私達は……
名無しがにっこりと笑った。
びくりと震える気持ちをバレないように押し殺す。
『私、そろそろ帰ります』
「…………え?」
『ノボリお兄様も明日はお勤めで忙しいでしょう。夜遅く来てしまい、本当に申し訳ありません』
「名無し、何を言っているのですか」
『え?』
席を立ち上がる名無し。
名無し、何を言っているのですか?と続けて私も立ち上がれば、彼女はキョトンとした表示で私を見つめた。
『何をって…部屋を借りているセンターに戻るのですが……』
「あなたの家はここですよ」
可笑しな事を言う。
そう抱いた瞬間。
名無しは広いリビングを見渡す。
『正直、この邸に戻ってこれるとは思っていなかったです』
「……………」
『ねぇ、ノボリお兄様』
「……はい」
リビングから私へと視線が戻される。
綺麗な顔に刻まれた深い隈が毒々しく、痛々しく感じた。
営業スマイル。そんな単語がぴったりな笑みを浮かべた彼女は、背中で腕を組みカツリとヒールを鳴らす。
『私の部屋は、いつ用意されるのでしょうね?』
ガタンと椅子が倒れた。
名無しのものではない。
私が腰掛けていた椅子だ。
私は名無しの隣を抜け、リビングから飛び出す。
家政婦が一生懸命綺麗にしたであろう階段を二段跳びし、二階へと登っては昔名無しが使っていた部屋の扉を開ける。
乱暴に開けられた扉に空気が揺れた。
「ノボリ様っ!」
部屋を用意していたであろう複数の家政婦の姿。
白いエプロンをし慌ただしく一礼をする彼女達だが、私は声をかける間もなく目の前の光景に唖然とする。
「なんですか…これは」
自身の家だと言うのにも関わらず、今になって知らない部屋を見るかのようだ。
いや、実際その通りで、彼は妹の部屋の入り口でその景色にただ呆然とするしかない。
何も無かったのだ。
椅子も机もクローゼットもマットもカーテンそしてベッドも。
何一つその部屋には残されていない。
確かに此処は名無しの部屋です。
当日彼女がこの邸から居なくなった事を聞いた私が、その真相を確かめようと何度も訪れていた。
確かにあの時は家具があった筈。
それは何年も前の話であり、手付かずのままそこにあると思っていた。
私は立ち尽くすしかない。
埃まみれで家具一つもない部屋で、家政婦達がどうすべきかと頭を抱えていた。
ベッドもカーテンも無い部屋に、泊まらせる訳には行かない。
しかしこの部屋は紛れもなく名無しの部屋である。
彼女達は頭を抱えながら掃除をしていた。
「これでは……」
扉が閉まる音がした。
音は遠く、それが玄関の扉なのだと理解した瞬間、すれ違った名無しの言葉が脳裏をよぎる。
『また、お邪魔しますね?』
扉の向こうで、名無しが笑ったような気がした。
了
131008
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