謳えない鹿 | ナノ







『新野先生はいらっしゃいますか?』


丁重なその声の主は襖の向こうで影を作り出し、静かに立ったままである。この場所に訪れる忍たまやくの一をよく知っている俺からして見れば、聞き覚えのないそれに無意識に首を傾げた。
でも、医務室に来たと言う事はどこかを怪我のしたからに違いない。
俺はどうぞ。と襖の向こうにいる人物へと言葉をかければ、彼は失礼致します。と入っていた。
着ていた制服が五年生のものから見て、誰だろうと疑問を抱くも映えた髪の色で俺は息を飲んだ。

薄桜色。でも、人によっては桜色にも見える。


そして、同時に思い出すのは以前起きた食堂での事。
五年生の鉢屋先輩と真正面からやりあった薄桜色の存在。


「あ………」

あの瞬間が脳裏を掠め遠くで鳴り響く警告音。まるで耳元でなるかの様に耳障りなそれに俺の体はピシャリと止まる。

だけど、目の前の先輩は何事も無かった様にふわりと笑う。




あれ?









『すみません、本当はただの切り傷なのですが……周りがどうしてもと言う事で………』五年生の制服を着ている先輩はよろしいですか?と丁寧な言葉で小さく首を傾げれば、どこか思考が跳んでいた俺は慌てて座布団を取り出し目の前の先輩へと差し出した。

先輩はありがとうございます。と丁寧な言葉使いで差し出した座布団へと座る。その仕草は以前食堂でやり合った時の物とは酷く異なっていた。
あまりの違いに俺は驚くが、目の前の先輩はどうされました?とまた笑うものだから、俺はいえ……。と言葉を詰まらせた。


「五年生………ですよね?」

『はい。亮と申します』

「二年の川西左近。です」


亮先輩……。と言うらしい。
編入生で本来は三年生だったらしいが何故か飛び級をした事で、二年生の間では有名な存在である。
すると、亮先輩は自身の頬を軽く指さしては、また笑う。
何だろう?と俺が首を傾げれば亮先輩は静かに唇を動かした。


『傷薬を頂けますか』

「え?!あ!」

亮先輩をよく見れば、先輩の白い頬には赤い何本の線が傷を作る。先輩は医務室に用があってここにきたのだ。
呆然とする自分が凄く恥ずかしいと思った瞬間だった。

「ちょっと待ってて下さい……」


俺は近くの棚から切り傷様の傷薬を取り出す。
ガサガサと指先に触れるそれを探る。

探りながらチラリと亮先輩を盗み見すれば、先輩はある方向をジッと眺めていた。
何だろうと思いながらその先の視線を追おうとすれば、探していた傷薬がやっと指先に触れた。

あった。

俺は指先だけでそれをつまみ出しては、先輩へと振り向いた。
先輩は未だにそこに正坐したままで、俺と視線が合ったのかにこりと笑う。

何だか、凄く穏やかな雰囲気を纏う先輩だな。と思った。近くにいるだけでどこか落ち着く。
本当に可笑しな先輩。

俺は近くに置いていた治療用道具を手に取り、先輩のすぐ目の前へと腰掛けた。


「あの!失礼します!」

治療用道具を手に持って、俺は先輩の真正面に座って更に近づけば宜しくお願い致します。と丁重な言葉で返してくる。

俺は綿に消毒液を染み込ませ、更に先輩に近づいた。
間近でみた亮先輩の肌は遠目でみた時の用に同様に白く、拭った跡のある赤い線はどこか痛々しい。
よく見ればそれはいくつもあとを残しているのがわかった。切られたにしては傷は浅く、あまり血が滲んだ後がない事から木の葉類のもので切ったのだと理解出来る。
しかし、着ている制服が汚れていない所からして、新しく着替えたのだろう。

そんな先輩へと消毒液が染み込んだ綿を頬にそっとつける。
綿越しに亮先輩に触れているのが分かって、少しは染みては痛い筈なのだが先輩はそのままで居る。痛まないのか?
ポンポンと切れている箇所に触れれば、綿へと染み込む赤く滲む血。
固まり始めていた傷口だが、こうなってちゃんと消毒していないのか滲むその後には所々に土が混じり合う。傷をよく負う普通の五年生にして見れば、亮先輩が負うそれは酷く軽い。

ジッと亮先輩の傷を睨み合う形の今。
目が見えないから先輩と視線が合う事は無いけど、前髪越しに俺を見ている様な感じがして凄く恥ずかしい。


「……先輩」

『はい。なんですか?』

「先輩は、痛く無いんですか?」


ポンポンと切り傷に触れる度に綿へと染み込んでいく度に、じれったい痛みが走り出す。
でも、先輩にはそれらしい様子は全く見受けられない。
どんな人間でも小さな切り傷でも僅かに痛む筈だ。俺の直ぐ目と鼻の先には亮先輩の顔。前髪ではっきりとした顔つきは判断出来ないけど、普通ならピクリと口端が歪むのだが……。

使っていた白い綿が汚れて来る。俺は近くに置いてあった救急の中を探り、染み込んだ綿を新しいものへと変えれば、先輩はフフ。と笑った。



『可笑しいですか?』

「え?」

『痛がらない。のが』



口元に手を添えては穏やかに笑う。苦笑なのか本当に笑っているのか分からない。
でも、相変わらず纏う空気は春の日差しに似ていて、焦る俺の胸を静かに落ち着かせてくれる。



「いえ…、その。我慢強いって事ですよね」



五年生となれば、実技や演習を行う授業が増しその分傷が絶えない。その度に医務室に来ては軽く治療する回数も増えて来て、傷に対する耐性が体に染み付いていくのだろう。

俺はまだ二年生だから、塀越えや座学といった授業しか受けて居ないから分からない。だけど、上級生になるに連れここに来る数は少なくはなっている。

傷を負っても治りが早くなり、医務室に来なくなるのだろう。流石に打撲や捻挫といった症状を出した場合は来るけど、深い傷を追わない限りはあまり先輩方は来ない。

まぁ、五年は組と言う例外はあるけど。





「えっと…、終わりましたよ先輩」




固まり始めていた黒い傷口は、消毒液で拭き取った事により間近で見ない限りは全く気が付きはしないだろう。
本当はちゃんと絆創膏といったもので、ばい菌が入らない様に処置をしなくてはいけないのだがやんわりと柔らかに先輩に断られてしまう。

でも、先輩はありがとうございます。とまた笑ってくれた雰囲気に、どこか落ち着くものを感じた。先輩は音を立てずにスッと立ち上がり、何故か焦りだした胸のざわめきを悟られない様に顔を上げた。



「あの!もしまた………痛み出したら、来て下さい!」

『?』

「っんと……炎症を起こして、悪化すると大変だから………」



せっかくの綺麗な肌が。そんなセリフが出かけた所で、俺は息を飲んだ。
とっさに脳裏に浮かんだそれは、無意識に言葉として出ようとした瞬間に俺は驚く。

何、バカな事を……。と思った瞬間に、頭上で再び笑う亮先輩の笑い声が掠めた。



『ありがとうございます。川西さん』







では、失礼しました。
軽く一礼した亮先輩は襖を静かに閉じ、向こう側に黒いシルエットを作り出す。だけど、直ぐにその姿を消してしまった。







訪れたのは静粛。

まるで初めから何も無かったかの様な、不思議な感覚が医務室いっぱいに満たされていくのが感じた。









「亮先輩。か……」



一度だけ遠目でしか見た事が無かった。
その時の場面が場面だった為に、俺は亮先輩を怖い感じの人なのかと思い込んでしまった。確かに飛び級したって事は凄いと尊敬する所は有ったが少しだけ上級生は怖い思う。
だけど、先ほど数回でしか無かったけど、先輩とのやりとりはどこか落ち着く所があり居心地が良いと思ってしまう。

そう思えば第一印象で先輩に抱いた印象に申し訳ないと思う反面、気になるなと思う。


「(今度有ったら、いっぱい話をしたいな)」



次に亮先輩と出会う事を期待し、楽しみにする俺は出していた治療用の道具を片付けに入った。















100621

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