謳えない鹿 | ナノ







わぁぁ!と叫びだした小松田さん。しかし亮はすぐさま彼を脇へと抱き上げ、廊下の向こう側へと走り込んだ。

後ろからダッダッダ!!と迫り来る音に小松田さんは来たぁぁ!と顔を真っ青にし、実況中継をしてくれる。
そんな呑気な事を考える亮に、待て!亮!と言う台詞。
女者の着物を着ている亮に此ならば捕まえやすいと思った文次郎だが、何故か目の前で廊下を駆け抜けるその存在は難なく走り行く。男物の着物とは違い何枚も重ね着をし帯をきつく縛る女物の着物は、激しい運動には不向きすぎる。

しかしそれを苦労する事なく成し遂げる五年生の亮。が、どれだけ彼がそうであっても人を抱き上げての疾走にはやはり難しいのか、一歩一歩僅かではあるが確実に亮と小松田さんに近付いては居る。
もう少し、あともう少しに腕を伸ばせば、靡くその髪の毛を掴む事が出来る。

しかし、それは亮がいきなり此方へと振り向いた事に不可能となった。伸ばそうとした手は引っ込められたが、変わりにその手は構えられた。

亮は小松田さんを抱き上げて居ない方の手で、着ていた着物の肩をいきなり掴みだした瞬間に文次郎の視界にいっぱいの着物の柄が埋められた。


「っ!!」


構えた腕で視界を邪魔するそれを払い、腕で払いのけた。
やっと視界がクリアになったと思えた時には、腕を伸ばせば届きそうだった存在は其処には居ない。
刹那、キラリと黒光りする何かが文次郎目掛け空気を裂く音に、咄嗟に懐に仕舞っていたいたクナイで弾き返した。


「っち!」


ガチン!と文次郎のクナイによって弾き返されたそれは、投げられた際の威力を失い脇へと転がる。同時にザグリ!と廊下の壁に深く食い込むクナイに、冷や汗を掻いた。

「待ちやがれ!」


視界がやっとまともなものとなった。
そして、其処で亮の本来の姿を捉える事が出来た。

薄桜色の髪に長身。
面白い組み合わせであるそれは、此方に背を向けてパタパタと遠ざかっていく。結われた髪の毛は形が変わって居て、尻尾部分となる毛先が左右に揺らめく。
そして、その後ろ姿を見た瞬間に先日の出来事が脳裏をよぎった。


「(あいつ、あの時の?!)」


あの時。それは先日の風呂場での事。
確かにあの時は軽く挨拶を交わす程度でしか無くちゃんと亮の姿を覚えては居なかった。確かその時の亮は頭にタオルを乗せていた為に、印象的である薄桜色の髪の毛が隠れて居た。
だからだろう、あの一瞬で会った彼を記憶して居なかった自分を酷く恥じた。再試験が始まった時に亮と言う名前を聞いた瞬間に思い出して居ればと…。


「待て!!亮!」


自身に舌打ちを遠ざかっていく背中を全力で文次郎は追いかけた。
バタバタと走るお互いの足音が響き渡り、辺りには一定の足音で埋め尽くされる。間を空けられた文次郎は更に速度を上げては亮を追いかけるも、それより更に早い亮にはなかなか追いつかない。

場所が五年生の教室がある階らしく、脇へとよける生徒は全てが五年生。亮の様に走る姿を見受けられるが、凄い形相で追いかけてる文次郎の存在に気が付く五年生達はヒッと小さな悲鳴を上げては脇へと避難する。そんな彼らへとスミマセン。と笑って過ぎ去る亮に、余裕からみせる態度なのかと感に触る。
文次郎は再びクナイを取り出し亮の足元へと投げつけるが、どこからともなく取り出した白い布に包まれた何かで簡単に弾き返した。

クソ!!

なかなか詰まらないこの距離。再試験終了の時間は足元まで迫り来る。
不合格と言う文字が文次郎の中でチラついた。

すると、小松田さんを担ぐ亮はいきなり角を曲がりその姿を消した。
文次郎は驚いたが、此処で姿を見失うわけには行かないと廊下を蹴った。そして、2人が曲がった方向へと自身も向かおとした時だった。


「どわ?!!」




新たな視界が捉えたのは廊下ではなく真正面に立つ亮の姿だった。まさか、其処に彼が立っているとは思わなかった文次郎は驚きの声を上げ、ピタリとその場で停止しすぐ目と鼻の先に居る亮を凝視するしか出来なかった。

すると、目の前の亮がふわりと笑った。
厚い前髪で瞳を捉えるのは不可能だが、亮は確かに笑っている。それもどこか楽しそう。



『やはり、最上級生は足がお早い。捕まるかと本気で思いました』


言葉はあえて申し訳ないものを、されどウキウキとした何かが垣間見える。
亮が入り込んだ場所、其処は五年生は組の教室。教室内には数える程度の生徒の姿があり、目を丸くし此方を伺っている姿が見えた。



『先輩、見えますよね』

「っ……何がだ」

『狼煙が上がっていますの』



未だに亮から視線が離れられない文次郎だが、彼の後ろにある窓へと自身が向けられた。
橙色を切り取る様に作られたいくつかの窓。その窓から覗くのは遠くで上がる一本の狼煙。
が、その後を追いかけるかの様にもう一本の狼煙が、静かに空へと登っていく瞬間が文次郎の瞳へと映り込んだ。

その狼煙の意味。

それを知っている文次郎へと突かれたのは「不合格」と言う三文字の言葉だった。












『スミマセン先輩、僕にも単位が掛かって居るもので』










遠くで鳴った一つの鐘。
カーンと学園中に響きわたったそれは、夕刻が訪れた意味を示すものだった。














100616

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