謳えない鹿 | ナノ



聞き覚えのあるその声は確かに六年生のものだ。だけど、声に含まれている感情はどこか残念そうなものがあった。
私は静かに顔を覗かせれば、其処には困った様に頭をかく食満先輩の姿があった。


「久々知じゃないんだよな…」


他を探すか…と立ち去ろうとする先輩を、私は何故か先輩を呼び止めてしまった。
相方の井村はおい!と声をかけてきたが、私はそのまま続けた。


「先輩の相手って………」


俺へと振り向いた食満先輩。
先輩は苦笑いしながら俺の捕縛相手は鉢屋なんだよ。と困った様子で言う。
鉢屋を捕まえると言う食満先輩だが、その様子は見つからないと言わんばかりのもの。
鉢屋の変装は酷く完成度が高く、その実力は六年生を上回ると言われている位である。この課題実習が始まる前に鉢屋とは話はして居なかったが、変装得意な彼の事だろう。なかなか見つからない様に何かしら手を打って息を潜めているに違いない。

そして、未だに食満先輩に見つかっていない所を聞いた私は、胸のどこかでホッとしていたのに気が付いた。

それをみた食満先輩はおいおい。と苦笑し私達へと視線を向ける。


「そんなに簡単に、六年生の前に姿を出すもんじゃないぞ久々知」


食満先輩の言う事は確かだ。だけど、自身の捕縛相手である五年を見つけ出した時の先輩達の姿を何回もみてきた私達だが、食満先輩にはそれらしいといった行動や雰囲気は全く見受けられ無い。
多分、その雰囲気に流されたのか、私はつい姿を表してしまった。
私はすみません。
と、小さく謝るも先輩はまぁこんなにピリピリしてちゃ仕方ないよな。と小さく笑った。


「しかし、今日の五年生はいつもに増してやる気が有るな」


私のクラスメートでもまだ2、3人しか捕縛できた位だから。と言う話は、ドキリと焦りが胸を支配するも五年生と六年生の全体数を比較すればかなりの数の五年生が逃げ延びているのだと知る事が出来た。

その中には編入してきた彼、亮が含まれているのか否かと脳裏によぎった。
今は五年生だが、やはり三年生だったと言う話を聞いてしまえば亮は上手く隠れているのだろうかと心配する。

勘右衛門からは亮君はあいかわらず落ち着いていた様子だけど、一緒に組む相手の名前を聞いていないから何だか不安で…。と勘右衛門は言っていた。
何せ、ほんわか五年は組へと入ったのだ。いくら組み手で勘右衛門に勝ったとは言えど、組み手と実技は違う。実技嫌いなは組には今回の課題実習は最悪なものでしか無い筈だ。
無事だと良いな。

クラスが異なるせいも有るが、彼とは色々な話しをまだしていない。この課題実習が終わったら5人で話をしたい。



と。

だが、ふと食満先輩がクスクスと普段は決して使わない様な笑い声を上げた時には、私と井村はかなりギョッとした。

其処に居るのはどこからどうみても食満先輩であり、いつも委員会の後輩へと向けられる優しい笑みは酷く歪(いびつ)で面妖だ。

背筋を続々としたものが這い上がった。


「食満先輩?」


井村が食満先輩の名を呼んだと同時に、ガサリと自分達の後ろの茂みから音が鳴った。
私達は咄嗟に振り向けば、何故か其処にはぐったりとした三郎を抱える……








「っ!食満先輩?!」

「ん?久々知か?」



其処に居たのは少しだけ泥だらけな食満先輩。
食満先輩は何だ?といった困惑した様子で私達を眺めていた。






刹那、地を蹴る音を拾った私達はすぐさま臨時態勢へと入るも、やはり六年生。守りに入ろうとした私達の腹へと深い蹴りを一発叩き込まれ、一瞬にして胃のモノがこみ上げてくる。

勢いのある蹴りは僅かに私達の体を宙へと浮かばせたものの、何とか態勢を崩すまいと片足で私は着地し構えた。
しかし、直ぐ隣では着地を失敗した井村が膝から落ち、胃液を吐く音がした。



「留三郎、間が悪いぞ」

「俺のせいかよ?!」



2人の食満先輩がその場で口論する姿は酷くシュールな光景だった。だけど、先ほど私達へと襲撃してきた食満先輩の声が変わった途端に、とある1人の六年生の声だと理解した時にはやらかしたと私は思った。


「だいたい何だその汚い格好は?こんな試験中にも関わらずもしや委員会の仕事をしていたのではないのだろうな?」

「馬鹿言うなよ!鉢屋にいっぱい喰わされたんだよ」

「最上級生の名が泣くな」

「仙蔵、そう言うのは合格してから言えよな」

「何、直ぐに終わる」


食満先輩と話をしていた食満先輩。彼は自身を纏っていたそれをバサリと払いのければ、予想した通りの人物が俺達へと真正面に向き直って居た。


まさか、自分の相手が彼、立花先輩だとは思っては居なかった。
唖然とする頭を何とか動かしながら私は、井村と2人で先輩に見つかった場合にどうやって播くかと言う作戦を思い出す。
しかし、未だに吐き続ける井村の様子からでは、その作戦はあえなく失敗と言う結果が私の目の前をちらついた。
立花先輩はあの艶のある笑みを浮かべては袖の中から、クナイを抜き出し静かに構えた始めた。





「さて、久々知。痛い目を見る前に降参しないか?」


















あいかわらずの挑発的なその言葉に、私はクナイで返事を返した。










機敏に攻撃してくる先輩のクナイとそれを防ぐ俺がもつクナイ。カキンカキンと擦れ合う音が空へと吸い込まれたその時間帯は、朝靄が満たされていた筈の早朝から昼時へと成り代わる頃合いだった。























100615

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