謳えない鹿 | ナノ



やっと作業の半分を終えた所で休憩するの一言に僕は救われた気分。
目覚めかわりのお茶を入れてる田村先輩と隣に座っていた僕だが、突然の尿意に我慢出来なくなり団蔵に厠に言ってくると一言残し会計室を出て行く。
何歩か歩いた先にある厠へと付いた僕は用を足し、いざ会計室へと戻ろうとした所であれ?と、自身の周りを見ては困惑した。

「ここ何処だ?」

さっきまで僕は厠の所にいた筈なのに、其処から数歩歩いただけで知らない場所に居るような感覚が俺を襲う。
外は夜から更に深い暗闇へと成り代わり、瞳にうつる先の廊下は昼間とは異なる世界を作り出す。それは不気味であり恐怖でもある。胸の奥底からじわじわと込み上げ、風が撫でる草木の擦れ合う音すらまるで人の悲鳴に聞こえてしまう。

このまま居ると奈落へと引きずり込まれそうな気がして、僕はその場から一気に廊下を駆け抜けた。

バタバタと木の廊下の上を騒がしく走るが、今居る場所はどこかの校舎であって長屋と言った人の気配が感じられない。
もし、近くに忍たまの長屋があれば、僕は誰かに会計室までの道を聞くのだが何故か僕が行く先は全て勉強する為の場所ばかり。人の気配が全く無かった。

走れば走る程、僕の後ろから何かが迫ってきて来る様な錯覚を生み出し、胸の高鳴りがドンドンと早くなっていくのが分かった。
耳元で鳴るかの様な何かは風であって、クスクスと笑う目には見えない何かでは無い。

オバケなんて居ないととっくの昔に言い張っていた筈なのに、今の僕は後ろを振り向けば追いかけてきているのでは無いかと思ってしまっている。

誰でも良い。

誰でも良いから、僕を見つけて欲しい。

いつの間にか上がっていた息は酸欠状態になり、ヒュウヒュウと喉が鳴る。背中には変な汗が浮き上がる。


「(誰か!!)」


二手に別れる廊下の内、咄嗟に右と判断した僕は右側へと曲がり、その先が窓すら無い長い長い暗闇しか無い事に心の底から終わった!と思った瞬間だった。


しかし……





『どうされました?』

「?!」


どこかで聞いた事のある声に、僕は驚きながら後ろへと振り返れば暗闇の中で揺らめく気配に凍てつきそうになった。


「あ……っ……」

生理的に込み上げる涙に震える指先。
どこかで聞いた事のある声だが、上手く頭が回らずなかなか思い出せない。それを更に彼の精神を追い詰め行く。
だが、


『一度、明るい所に行きましょうか』


冷たいと思っていた周りの空気が一気に暖かなものへと変わり、彼はえ?と抜けた声を出してしまった。
そんな彼に対して、暗闇の中にいる相手はクスクスと小さく笑う。


『向こうの校舎に行きたいと言うのでしたら、止めはしませんが……』


相手が言う向こうの校舎とは、多分今自身の目の前の先にどこまでも続く暗闇の世界の事を言っているのだろう。むしろ、その逆方向へと向かいたい。
向こうには行かない!と言えば、相手はでは、僕と行きましょう。と言っては僕の手を取った。

初めはひんやりとしていて、それが怖いと思ったが僕は無意識に相手の手をぎゅっとすれば相手は返すかの様に小さく握り返してくれた。

「……………」

それにどこか安心した僕は、竦んでいた足が自然に前へと進んだ居た。

ギシギシと鳴る廊下の音と、ドクドクと鳴り続ける胸の音が酷く耳障りだ。だけど、今こうやって触れる相手の手がちゃんとした人間の温もりでいて、耳障りだと音がまるで何も無かったかの様に無音と化していく。

なれた筈の暗闇の中で揺らめくのは相手の背中。背が高い事から相手は上級生だろうが、俺はやはり目の前にいるであろう彼の顔がパッと浮かんでは来ない。
どこかで会った気がした。だけど、どこで?

そんな事ばかりがぐるぐると脳内で回り続けていると、見えて来ましたね。と相手の呟く声に伏せていた視線を静かに上げた。
漆黒色の世界の先に隙間からこぼれるかの様に注ぐ光は、夜の唯一の光である月の輝きだ。
口元が自然と緩み、やっとこの世界から抜けれると思うだけですごく嬉しくなった。

「あの!」

それが本当に嬉しくて、僕はこの人に言葉をかけた。

『どうしました?』

彼が言葉を紡いだ事と暗い世界から出た瞬間は同時だった。

月の淡い光を浴びたその人は僕へと振り返る。
白に近い薄桜色のフワフワした髪の毛が、穏やかに吹き出した風で静かに揺らめく。口元に描いたその微笑みが優しくて、釣られて僕も笑いそうになる。

其処で、僕は相手が一体誰なのか理解できた。


あの時の六年。


だと。だけど、今彼が着ているのは五年生の制服で、以前この人と出会った時の様に少しブカブカの袖を翻す様子は無い。
もしかして、本当は五年生なのか?

そんな疑問が浮かび上がり、僕は先ほど出かけた言葉をすっかり忘れてしまう。
薄桜色の先輩はキョトンとするが、それでも僕の手を引いてちゃんと歩いてくれるから本当に安心する。すると、先輩は歩いていた足をふと止めては先に続く廊下をジッと見つめる(多分だけど)。いきなり止まった先輩に、僕はどうしたのだろうか?と思えば、先輩はお迎えですかね?なんて、僕へと問いかけて来る。

お迎え?誰が?

と、同時にバタバタと向こうの廊下から誰かが走って来る。驚いた僕は咄嗟に先輩へとしがみつけば、先輩は僕の背中を静かに撫でてくれた。

「せ…先輩」

『大丈夫ですよ』

見上げた先輩はやっぱり静かに笑っていて、そのおかげで俺は再び安堵する。そして、向こうからやってきた一人の先輩の姿に僕は胸をなで下ろした。


「田村先輩!」

「神崎!こんな所に居たか!!」


かなり探したんだぞ!とぜぇぜぇと息を切らす先輩に、申し訳ないと思う反面、酷く安心した。
田村先輩は僕から隣の五年生へと視線を向けては、慌てて頭を下げてありがとうございます!と言う。
だけど、先輩は構いませんよ。とまた笑っては僕と繋いでいた手をソッと離した。

『では、僕は失礼します』

先輩は僕達に一礼し、そのまま翻す。月明かりが照らす廊下を進む先輩の背中を、ただジッと眺めていた僕だがゴツンと叩かれた感覚により僕は隣に立っていた田村先輩へと視線を向けた。


「お前、私達だけじゃ無く五年生の先輩に迷惑かけるな!」

「……はい」

「急いで会計室へと戻るぞ!委員長がお怒りだ」

想像するだけで顔が歪む。ゲッとした顔付きの俺を田村先輩はお前のせいだからな!と言い、僕の手を引いては歩き出した。


僕は五年生の先輩が歩いて行った廊下へと振り向けば、其処には先ほどの先輩の姿はどこにも見当たらなかった。










「(お礼、ちゃんと言っていない)」

















100524

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