謳えない鹿 | ナノ



「ここが君が使う部屋だよ」

そう言われ、ガラリと開かれた戸の向こうに存在する空間は、差し込まれた太陽の光を浴びては空気中の埃がチカチカと僅かに輝く。
かなり年期の入ったおんぼろ部屋を想像して居たが意外にも綺麗なその室内に、僕は僅かに目を見開くもボサボサの前髪が逸れを遮り自身の表情を彼に悟られる事は無かった。

床へと視線を落とせば埃の後も無く逆に綺麗な所を見ると、どうやら誰かが掃除していってくれた様子。

有り難い事この上ない。

「本当は2人で一部屋なんだけど亮君の入るクラスは、丁度良い具合に部屋と人数が調整されているから、空いている部屋を使うしか無くて…」

でも!すぐ二部屋隣には君と同じ学年の子が居るから、困った時には訪ねると良いよ。

ニコニコと絶やすことの無いその笑みに、はい。と返した僕はとりあえず荷物を近くの壁際に置いた。
その傍らでは部屋に用意されているものに関して、詳しく説明してくれる彼の声を左耳で聞き流し部屋をぐるりと見回した。
少し大きな机に何枚かの座布団、壁に傷つけられたその傷跡は大方苦無いか手裏剣でも刺していたのだろう。一歩踏み出せば足元からはギシリと悲鳴が上がり二歩三歩、四歩に五歩目辺りで音が鳴らなくなる。

すると、どこか遠くで違和感のある鐘が鳴れば、説明中の小松田さんがもうこんな時間か!といきなり大声を上げた。

「亮君!急いで食堂に!!」

『は?』

後ろへと振り返れば彼はいきなり僕の手首を掴むなり、ドタバタと騒がしく廊下を走り出した。
一瞬足がもつれては転びそうになるも、すぐさま姿勢を戻す。

「あのね!放課後の授業終わりの食堂は人が込み合うから、早くいって席を取らないと座れなくなるんだ!」

ほら!ほら!と焦りながら走る小松田さん。しかし、彼が先頭をきって走った事が災いしたのか入門表と書かれた紙が、バインダーのクリップからパラリと剥がれ落ちてしまい、上手い具合に風が吹き出し宙へと舞っていった。

そこからはまるで早送り状態。

彼はコントをするかの様に紙を追いかけしまい、自身は取り残されてしまいぽつんとその場で唖然とする。

背中に背負う包みが落ちそうになり、それを持ち直した所で自身は彼に置き去りにされたのだと理解した。

なんでまたこんな……

こぼれ落ちそうになるため息を思考の中で殺し、この長屋までやって来た道筋を歩きながら思い出す。

先ほどきた道を戻ればとりあえずなんとかなるだろう。問題は彼が言っていた食堂だ。

何せ初めてな土地。しかも忍術学園と言えば有名なプロの忍者を世へと送り出している、いわば名門校と言っても過言ではない学園。絡繰り仕掛けの学園でもあると、嘔戸先生は言っていた。
無闇に歩き回れば学園仕掛けの絡繰りに足元を掬われる。

此処は、屋根を伝い食堂らしき場所を1つ1つ当たるしかないか?

こんな事なら彼の話をちゃんと耳へと入れとけば良かった。

後悔はなんとやら。

自身がお世話になる長屋の廊下から、少し見通しの良い広い廊下へと出る。

確か、この先の廊下を右、右の順で行けば学園長先生のお部屋がある。
だが、いま行った所でご迷惑をかけると言う答えしか見えない。

『(1日目から面倒な事に)』

少し大きな上級生の制服の袖で口元を押さえ、前髪によって狭まれた視界を眺めていた。時である。
再びパタパタと賑やかな振動が、廊下の板を伝いその存在を自身へと気が付かせてくれた。

自身は其方へと視線を向ければ、明らかに気配を消しきっていない存在が走ってくるのが分かる。


数は2つ。


下級生だろうか?


そんな事を思いながら、とりあえず此方へと向かってくるその2人に聞けば良いか。と思っていた矢先である。

角を曲がりその2人を瞳に映し出す瞬間と同時。2人のうちの一人が黒い影の残像を残し、悲鳴を上げては視界からログアウト。

隣にいたもう一人が驚きの声を上げたのが聞こえる。



「わぁぁ!!数…」


大方彼の名前を叫ぼうとしたのだろう。
しかし、語尾までしっかりと言う筈だったそのセリフは静かに消え、一瞬の静けさがその場に生まれた。



「あれ?」

疑問系のセリフが紫色の髪の子から生まれる。

それもその筈。転倒した筈なのにも関わらず痛みは一向に訪れず、むしろ見慣れた制服の色が目の前にいっぱいに広がる。

これは、六年生の制服。
僕とした事が!
いつもの不運で藤内を巻き込まずに済んだらしいが、まさか六年生を巻き込んでしまったとは!
ああ、僕はこの六年生にフルボッコにされる運命なのだろう。富松並ではない位の妄想を描いた僕は、自身の制服に触れている相手に触れてはゆっくりと顔を上げた。

「すみません!すみません!!」


せめて、痛くない位に力は押さえて下さいと言葉がこぼれそうになった僕は、その六年生の姿を瞳に映し出しては驚いた。



『……えっと』




鮮やかとは酷く正反対な色合いを持つ前髪は顔の半分を隠しており、様子を伺えるのは前髪で隠されていない口元だけ。

薄桜色の髪をした六年生。
今の今まで様々な六年生と接して来たが、こんな上級生は居ただろうか?記憶の全てを思い出そうとしても、やはり今目の前にいる彼の姿はどこにも見当たらない。

誰?

と、出掛けたセリフが、突如として自身を襲った浮遊感により粉砕。一体何が起こったのだろうと、思考を巡らせればストンと自身の足が廊下の上に付いた事に気が付く。
そして、目の前に居る彼はお怪我は?なんて、まるで保健委員みたいな事を言うもんだから、大丈夫です。と返せば良かったです。と口元を隠して穏やかに笑みを零した。

もしかしてこの六年生、僕が転ぶ瞬間を支えてくれたのか?

と、藤内へと視線を向ければ意図を読み取ってくれたらしくコクコクと頷いた。
そうすれば、次なる行動はただ一つ。


「「ありがとうございます!!」」

そして

「「すみませんでしたぁぁぁぁ!」」


感謝と謝罪の言葉。
庇ってくれた事は本当に嬉しい。だけど、上級生に手間をかけた事に変わりは無い。
それは藤内も同じらしい。

しかし、相手の六年生からは一向にこれと言った返事が返って来ない。

ああ、激怒してるのかな?



『なんで謝るのですか?』

「へ?」

『普通に前者のセリフだけで充分かと思われますが……』

下げていた頭を上げては見かけない六年生へと視線を向ければまた、口元を隠して笑みを浮かべる。

『とりあえず、どう致しまして。ですね』



と穏やかに笑ったその六年生に僕と藤内は安心した。まだまだ三年生である僕達ですら読み取れる位の彼が身にまとう、緩やかな気にフルボッコされるのでは無いかと抱いていた思いが嘘の様にきえていった。














100414

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