部室の並んだ椅子に横たわる風丸さん、そして彼の上に覆い被さる私‥‥何故こんなことに。
多分20センチもない距離にある風丸さんの顔は、目を白黒して引きつった笑顔を浮かべている。


「え‥‥っと?」

「あ、ああああの‥‥」


困惑しているのは私も風丸さんも同じ、しかしその程度には圧倒的な差がある。
何といっても私は風丸さんの大ファンなわけで、その風丸さんとこんな状況になるだなんて思わなかったわけで。
でもまあ、原因は私にあるのだけど。

遡ること一時間、風丸さんが円堂監督を訪ねてサッカー部に現れたのだ。
前述した通り風丸さんを好きで好きでたまらない私は大興奮、部員のみんなが若干引くくらいに。

何とかお話できないかと機会を窺い続け、風丸さんが部室で一人になったのはさっきのこと。
マネージャーの仕事を装って一人で部室に行き、自然に自然にと言い聞かせながら風丸さんに話し掛けようとしたのは十数秒前。
そして緊張のあまりクラッとして、気付いたら今の体勢になっていた。


「す、すすすすみません!!いい今、どきます、から!!」


そうは言っても軽くパニックを起こしている私は、どうやってどいたらいいのかの判断すらままならない。

右手か左手か、はたまた足から床に下ろすべきか‥‥。
でも足開いたら見苦しいだろうし、はしたないとか思われたら立ち直れない。
いや、こんな押し倒すみたいなことした時点で思われてるかもしれないけど‥‥不可抗力だったんですごめんなさい。


「‥‥っ、」

「‥‥へ?」


小さな笑い声、だろうか。
風丸さんを見れば、にやにやとした口元を手で覆った。


「うろたえすぎ‥‥」


何がそんなに面白かったのか、声を出して笑う風丸さん。
この距離だから当然かかる息と響く声、あと笑われたってことで、耳がすごい熱くなった。


「‥すみ、ません‥‥」

「いや‥‥俺としては、こんな熱烈なアプローチされるのも悪くないけど」

「あ、ああアプローチだなんて‥‥!!」


必死に否定しようとしたのに、にやにやとは違った微笑みを浮かべる風丸さんがあまりに美麗で言葉に詰まる。
バックに花が見えた瞬間、背中‥‥否、腰にグッと力が加わった。
状況や感触や温かさから察するに、恐らく風丸さんの腕。


「っ!!?か、かか風丸、さんっ!!」

「どうした?」

「あ、あの、どきますので‥‥その‥‥」

「ああ、そうか」


そうかなんて言っても、一向に腕をどける気の無い風丸さん。
耳だけじゃなくて顔まで熱くなるし、心臓はドキドキとうるさい。


「ん‥‥?どくんじゃなかったのか、名前ちゃん?」

「そ、そうしたいのは、やまやまなのですが‥‥」


『名前ちゃん』なんて、そんな風に呼ばれたら卒倒しそうになる。
風丸さんの手がスルッと腰を撫でて、出掛かった変な声を押し殺した‥‥その時だった。


「風丸、いるか?」


円堂監督が、このとんでもないタイミングで現れた。
驚きのあまり頭が真っ白になり動けないでいる私を見て、円堂監督は固まってしまう。


「名字‥‥」

「え、円堂監督‥‥。あの、これはその‥‥事故といいますか‥‥」

「‥‥風丸、いくらお前でもうちの生徒に手を出したら許さないぞ」


何を言われるかと身構えたら、咎められたのはどういうわけか風丸さんの方。
円堂監督は私の腕を掴んで、風丸さんの上から引き上げた。


「ありがとう、ございます。あの、本当に事故で‥‥っていうかむしろ私が悪くて‥‥」

「大丈夫だ名字、ちょっと風丸と話させてくれ」


有無を言わさない円堂監督に、仕方なく引き下がる。
起き上がった風丸さんに詰め寄る円堂監督、風丸さんは目を合わせようとしない。


「え、円堂、彼女が言うように本当に事故で‥‥」

「風丸。俺、嘘はよくないと思うんだ」

「‥‥悪かった。言い訳はしない、でもふざけてやってるわけじゃないんだよ」


円堂監督の圧力に一度負けた風丸さんは、キリッとした表情で円堂監督を真っ直ぐに見詰めた。
その表情にみとれていたら、不意に円堂監督が私を呼ぶ。


「名字、本当に何もされてないか?」

「は、はい。私がふらついて風丸さんに倒れ込んでしまっただけです」

「いや、それは風丸が‥‥」


言いかけた円堂監督の口を、風丸さんが手で覆った。
それから何やら耳打ちをして、円堂監督は部室から出て行く。


「円堂監督?」

「大丈夫だから、ちょっと待ってくれ」


ポンと肩に置かれた風丸さんの手。
あったかくて大きくて何だか凄くドキドキする。


「あの、円堂監督は何て言いかけてたんですか?」

「それはまあ、何ていうか‥‥」


グイッと腕を引かれ、足がもつれて転けた。
そんな私を、風丸さんが優しく抱き止めてくれる。


「か、風丸さん!?」

「これでも鍛えてるから、名前ちゃんみたいに華奢な女の子にぶつかられたくらいじゃ倒れたりしないんだよ」

「それは‥‥あの、」

「ごめん、わざとだったんだ」


言葉の意味を理解するより先に、心身ともに限界を迎えた私は腰が抜けてしゃがみこんだ。
湯気でも出てるんじゃないかってくらいに熱い顔を、風丸さんが覗き込んでくる。
人生で初めて、この綺麗な顔を憎みたくなった。








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