夢小説 | ナノ




05:紫の本

最近学園内がどうにもおかしい気がする。
作兵衛はなんとなくそう思った。
別に目に見えておかしい所はないのだが、何だか雰囲気が変わったような気がしてならない。

ふと上級生が話しているのが目に入った。
着ている制服から五年と四年だと分かる。比較的落ち着いていて常識的な五年生はともかく、アイドル学年と呼ばれる位派手で性格も尖っている四年生が仲良くしている姿は珍しい。
その四年の中でも特に派手なあの四人ではないなと何となく思いながら眺めていると二人の会話が自然と耳に入ってきた。


「先輩、これありがとうございました」
「ああ。ちゃんと読んだんだな。どうだった?」
「はい、すごく良かったです。何だか気分が晴々して…」
「そうだろう。それは俺に返すんじゃなくて誰かに渡せよ。その本の良さをもっと広めたいんだ」
「ああ、それはいい考えですね。それはいい。そうするべきですね」


どうやら本の話題で盛り上がっているようだった。
忍たまの友と授業で必要資料以外の本はあまり読まない作兵衛にとって大した興味のない話題だった。
話しこんでいる二人も作兵衛とは大した繋がりもないため興味もそこで尽き、さて部屋にでも戻ろうかと方向転換した直後に「富松」と声をかけられ振りむいた。
先程まで話し込んでいた四年生がにこにこと笑いながらそこに立っていた。五年生はもういない。
げっと思わず引き攣りそうになる頬を何とか自制することに成功した作兵衛は「何か用ですか」と返事をした。


「丁度良かった。俺達の話、聞こえていたんだろう?この本、貸してやるよ」
「え?いや、」
「遠慮するな。ほら」


受け取る気はさらさらなかったのだが、故意ではないとはいえ先輩の話を盗み聞きする形となってしまった引け目もあってなかなか強気に出れない。
半ば押し付けるように渡された本を受け取ってしまった。

まるで古書のようなその本を眺める。
古いのは紫色の表紙だけで中の頁自体は日焼けもしていない。
しかし題名が掠れてしまい読めない。そして普通の本に比べて少し厚い気がする。

「感想聞かせろよ」と言われてしまったため最悪でも斜め読みくらいはしなくてはならなくなった。
面倒くさい、としかめっ面をした作兵衛は部屋に帰り腰を下ろす。
見たところ三之助も左門もまだ委員会から帰ってくる気配はない。
懐から押し付けられた本を取りだし、さっさと読んでしまうことにした。


ぺら、ぺら、と紙を捲る音が部屋に響く。
文机に頬杖をついてたらたらと文字を追っていた作兵衛は段々と意識がぼんやりしてきた気がした。
頭の中に靄がかかったように鈍くなり、それに反比例するように目は忙しなく動いた。
普段の作兵衛には考えられないスピードで読み進めていく。手が勝手に動いているような気がした。

ぺら、ぺら…ぺら

そして半分程読み進めた作兵衛が頁の端をつまむと挿絵らしきものがちらりと見えた。
その頁を捲りきる直前、


「作兵衛」
「―――――っ!!」


ふいにかけられた声と肩に置かれた手に大きく身体が揺れた。
勢いよく振りかえるとそこにいたのは無表情のなまえだった。
いつもは豊かな感情表現をするなまえの顔がいやに怖く感じて作兵衛は息を飲んだ。心臓がバクバクとうるさい。


「な、なんだよなまえ。部屋に入るなら声くらい…」
「何回もかけたよ。でも部屋にいるのに返事しないから入っちゃった。ごめんね」


へらりと笑ったなまえに安心した作兵衛は「いや」と首を振った。


「俺こそ悪い。気付かなかった」
「すごい集中してたね。何読んでるの?」
「ああ、これは…」


作兵衛の手元を覗きこんだなまえはそのまま自然な動作で作兵衛から本を取り上げた。
無言で表紙を眺め、ぱらぱらと頁を捲るなまえの目は冷たい。


「あ、あの、それ。それな、四年の先輩がなんか貸してくれてさ。俺は別にいらないんだけど押し付けられて…」


何故だかいけないことをしたような気がして必死に弁明する。
言い募る作兵衛になまえは反応を返さない。その事に更に焦りを強める。
ぱらぱらと本を捲っていたなまえの手が止まった。その頁はどうやら先程作兵衛が捲ろうとした挿絵の頁らしい。
興味がある訳でもないのにその絵を覗きこもうとした作兵衛だったが、パシンと音を立ててなまえが本を閉じた。その音に再び身を震わせた。


「この本…」
「え?」
「この本の挿絵、見た?」
「え…なまえが今見てた頁か?…いや、まだ見てないけど」
「そっか」


じっと本の表紙を見つめたなまえがふいに口を開いた。


「この本、借りてもいい?」
「え?」
「だめ?」
「いい、けど…」
「ありがとう」


その本は四年の先輩から借りたものだから又貸しはいけない筈なのに、気がついたらそう答えていた。
はっとした時にはもうなまえはその本を懐にしまっていた。
前言を撤回するべきか迷っているとなまえが「あっ」と声をあげた。


「そういえば食満先輩が呼んでたよ。委員会の事で話があるから先輩の部屋まで来てほしいって」
「え!?食満先輩が?わ、分かった。伝言ありがとな!」


食満先輩が呼んでいる。
そう言われて本のことが頭から吹っ飛んだ。慌てて身支度を整えて部屋を出て行く作兵衛を送りだしたなまえは懐にしまった本を服の上からそっと撫でた。









「作兵衛、最近変わったことはないか?」


留三郎からそう言われたのは翌日の委員会の時だった。
一瞬考え込んだ作兵衛だが特に心当たりはなかったので首を振った。留三郎は少し安心したような表情をして「そうか」と言った。


「何かあったんですか?」
「ああ。今朝からいなくなった奴が何人かいるんだ。学年も委員会もバラバラで特に共通点もない。忍務でも実習でもないんだが、同室者の話によると朝起きたら消えていたらしい。荷物も手つかずで財布すら置いていっているらしくてな」
「それは…不思議な話ですね」
「一応上級生と先生方で捜索するらしいんだが…。おかしな話を聞いてな」
「おかしな話、ですか?」
「なんでも失踪した奴らは最近様子がおかしかったらしいんだ。顔も体もそのままなのにまるで別人なんじゃないかって位性格が変わったらしい。おかげで鉢屋が疑われて怒っていたな」
「鉢屋先輩は災難でしたね」
「自業自得だがな」
「そういえば誰がいなくなったんですか?」
「ああ、」


留三郎が指折り数えて挙げていった名前の中には作兵衛に本を貸し付けた四年生と、その四年生と直前まで話していた五年生も入っていた。
そこまで考えて作兵衛はあっと声を挙げた。本、返してない。っていうかそもそもなまえから返してもらってない。
不思議そうな顔をしている留三郎にそのことを話すと苦笑され、顔に熱が集まった。恥ずかしい。


「本かあ。そういえば失踪した奴の中に六年も何人かいたんだが、そいつらも何か本のことで盛り上がってたなあ」
「え?」
「あんまり本とか読まない奴らだったから珍しいって仙蔵が言ってたな。貸し借りしてたらしくてなー」
「そ、その本って、もしかして表紙が紫色の…」
「おっ、よく分かったな。遠目に見ただけだが、確かに紫の表紙だったな」


作兵衛はごくりと、唾を飲み込んだ。















「なまえ!」
「作?」


煙硝蔵からひょっこり出てきたなまえを見つけた作兵衛が一目散に駆け寄ってくる。
良かった!いた!とがっしり両手を掴んだ作兵衛を兵助とタカ丸が不思議そうに見ている。どうやら一年と二年は既に帰ったらしい。こんなところを池田に見られればからかわれていただろう。危なかった。
とりあえず火薬委員の目が気になった作兵衛は人気のない所までなまえを連れ出し、先程の留三郎から言われたことをなまえに聞いた。


「変わった事?別にないけど…なんで?」


きょとんとしたなまえに安心した作兵衛は実はと事情を話した。
あれからさりげなく情報を集めてみると、留三郎の言った通り失踪した人たちは皆一様に性格が豹変していた。更に詳しく話を聞くとその直前にあの本の話が必ず出ていた。
思わぬ共通点を発見してしまった富松はそれを先輩や先生に伝えるよりもまずなまえの安否が気になった。
留三郎が上げた名前の中にはなまえの名はなかったが、もしかしたら同級生である自分に気を使ったのかもしれない。朝は大丈夫でも、もしかしたらいなくなっているかもしれない。
つい先日なまえが行方知れずになり遠い地で先輩方に保護された事実もまた作兵衛の妄想に火が着いた原因のひとつである。
しかしそれも取り越し苦労だったようで心から安心した。


「心配してくれたの?ありがとう、作兵衛」


ほわほわと笑うなまえに照れる前に癒される。
癒された直後に本の存在を思いだした。いくら行方知れずとはいえ借り物だ。本人に直接とはいかなくとも、部屋に戻しておくくらいはするべきだろう。


「なあなまえ。あの本、一応先輩の部屋に戻しておこうって思うんだ。もう読み終わったか?」
「燃やしちゃった」
「は?」
「燃やしちゃったの」
「はぁ!!?」


言われた言葉が理解できず、聞き返す。しかしもう一度帰ってきたのは先程と全く同じ内容だった。


「燃やしたって何で!?焚き火にでも落としたのか?」
「あの本借りた日ね、食堂の当番だったんだ。だから釜戸に投げ込んだよ」
「故意かよ!信じらんねえ!普通先輩の本を燃やすか!?」


もしかしてあの四年生となまえは仲が悪かったのだろうか。そう聞くと「喋ったこともない」と帰ってくる。作兵衛はますます何が何だか分からなかった。


「じゃあなんで…」
「だって困るもの」
「は?困る?何が?」


「作兵衛が入れ替わっちゃったら、困るもの」


そう言ってじっと作兵衛の顔を覗き込んだなまえはしばらくして「作は大丈夫みたいだね」と笑った。


「……………え?」


入れ替わる?
誰が? 俺が? 誰と?



『失踪した奴らは最近様子がおかしかったらしい』
『顔も体もそのままなのにまるで別人なんじゃないかって位性格が変わったらしい』
『この本、貸してやるよ』
『作兵衛』
『この本の挿絵、見た?』
『燃やしちゃった』
『だって困るもの』


『 作 兵 衛 が 入 れ 替 わ っ ち ゃ っ た ら 、 困 る も の 』




ごくり、と唾を飲む音が聞こえる。
掠れそうになる声を何とか絞り出した。


「いなくなった人たちは…」
「うん」
「いなくなった人たちは、どこにいったんだ?」


目をぱちくりと瞬いたなまえは困ったように笑いながら、


「さあ。分かんない。でも多分、帰っては来ないと思うよ」






作兵衛はもう、何も言うことが出来なかった。
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