夢小説 | ナノ




04:開けてはならぬ

みょうじなまえが神隠しにあったらしい。
曰く、ふと目を離した隙に消えうせてしまった。見つかったのは三年の足では一日以上かかる森の奥。偶然そこに居合わせた五年生に保護され戻ってきたらしい。
本人も気づいたらそこにいたと証言している。これはどう考えても神隠しだ。

何が神隠しだ。馬鹿馬鹿しい。ただの誘拐なんじゃないのか?
どこぞの曲者がみょうじなまえを攫い、森に放置したんじゃないか。


噂が飛び交う学園内。その噂の中心人物であるなまえは絶賛風邪ひき中であった。


「すっごく心配したんだからね」


おかゆをなまえの口に運びながら数馬は言った。説教をしつつ、良く噛んで食べてねと体を労わるのを忘れない。素晴らしい保健委員会根性である。


「孫兵も左門も三之助も作兵衛も藤内も心配してあちこち探し回ったし、火薬委員会の人たちもずっと心配してたんだからね」
「数馬も心配した?」
「当たり前でしょ」


全部食べ終えたらしいなまえの口を拭いながら言った。なまえは「えへへ」と嬉しそうだ。


「もう、そんな嬉しそうな顔してないで反省してよね」
「はあい」
「次からちゃんと気をつけるんだよ?」
「分かった」


……神隠しって気をつけてどうにかなるようなものなの?
一連の会話をBGMに仕事をしていた左近はひとり心中でツッコミを入れた。
三年の先輩方が、このどこか浮世離れした先輩を甘やかし気味であることは何となく分かっていたが、これはちょっと過保護すぎるのではないか。っていうかもうおかゆくらい一人で食べれるだろ。
保健委員会のおかゆ担当である左近がなまえのおかゆを持ってきた時、受け取ってひと匙取り、「あーん」と差し出す流れがあまりにも自然すぎて突っ込めなかった。
差し出された蓮華を注視していたのでもしかしたらみょうじ先輩も疑問に思ったのかもしれない。

文句を言わずに飲み薬を煽り、その苦さに渋面を作るなまえに「よく頑張ったね」とお茶を手渡す数馬。素直にお茶を啜るなまえの額に手を当てて熱を測り、湯呑みを受け取って横にするとすかさず水で冷やした手ぬぐいを額に乗せる。甲斐甲斐しい限りである。
そのまま一言二言話し、しばらくすると寝息が聞こえてきた。朝に比べて大分熱が下がったとはいえ、まだ身体は休息を求めているのだろう。
さらりと前髪を撫でつけ数馬は仕切りから出た。


「今日は善法寺先輩も新野先生もいらっしゃらないから、頑張ろうね」
「はい。あんまり酷い患者が来ないといいのですが…」
「それは天に祈るしかないねえ」


数馬の言葉通り、今夜の保健室当番は数馬と左近の二人である。
夜勤当番には保健医である新野か委員長である伊作のどちらかがいることが多いのだが、生憎今夜はどちらも不在である。
きっと見つかった五年生の検死をしているんだろう。何となく左近はそう思った。

黙々と仕事をこなす数馬と左近。入院患者がいるため二人の間に会話は必要最低限しかないが、普段から喋り通す二人ではないので特に気まずさは感じない。
薬の補充の仕事をしながら、今日はあまり不運が起きないな、と左近は思った。今夜はまだ一回も救急箱をひっくり返していないし、薬をばら撒いてもいない。材料を少し溢したり少々のミスはあったが普段と比べると表彰物である。
少しだけ戸を開けて空を見上げる。いつの間にか真夜中になっていたようだ。まだまだ夜は長いが、この調子だと不足気味だった薬の補充が間に合いそうだ。
安堵から左近が息を吐き、戸を閉めて振りかえると数馬がなまえの様子を窺っていた。左近も静かに数馬の後を追う。
左近が額の手ぬぐいを水で冷やしている間に数馬が熱を測った。


「どうですか?」
「うん、もう大丈夫みたい。平熱に近いかな。でも一応手ぬぐいは乗せておこう」
「分かりました」


この分だと明日の朝には退院できそうだ。自然と頬が緩むのを慌てて引きしめると数馬が布団の中をまさぐっているのが目に入った。
出てきた数馬の手に握られていたのは湯たんぽで、触ってみると生ぬるくなっていた。


「ぬるいですね」
「夕方から入れてたから冷めちゃったんだね。お湯を換えてくるからなまえのことお願い。対処できない患者は待ってもらって。急患なら、」
「新野先生か善法寺先輩を呼びに行けばいいんですよね」
「うん。よろしく」


音をたてないように出ていった数馬を見送りながら、なんとなくなまえの顔を見た。
腹が立つくらい幸せそうな寝顔で、なのに酷く安心した。











「………遅い」


湯を換えに行った数馬が帰ってこない。どこかで何かしらの不運に見舞われているのだろう。怪我がありませんように、と誰に向けてか祈った。


フッ


部屋の隅に置かれている火が一瞬だけ消えた。
突然の暗闇に驚いたのも束の間、すぐに光が戻ってきた。きっと火が揺れて消えかけたのだろう。風なんかないのに変なの。
そう思った左近が行灯の火から視線を外すと、いつの間にか起き上がっていたなまえが視界に入った。


「みょうじ先輩?起きたんですか?」
「……みず」


ぐしぐしと目をこすりながら掠れた声で出されたなまえ望に苦笑しながら患者用の竹筒を手にとって側に座る。
どうぞと手渡し水を飲むなまえを見ながら、「気分はどうですか?」と尋ねた。


「寝る前より大分いいよ。川西が看病してくれたおかげだね」
「べ、べつに、好きでやってるわけじゃ…仕事ですから!」
「ありがとうね」
「は、はい」


左近はなまえのこういう所が少し苦手だった。
こっちがいくらツンツンしてもへらりと笑っているため毒気を抜かれてしまう。同級生の四郎兵衛も同じような面があるが、接点が少ない分なまえの方が苦手だった。
苦手と言っても別に嫌いではないけれど。ただ、ちょっと、少しだけ照れてしまうだけで!
誰に聞かれた訳でもないのに心の中で言い訳をしていると外に気配を感じ、戸に視線を向けた。


「さこーん、夜食を持ってきたよ」
「善法寺先輩?」


何で先輩がここに。
いるはずのない先輩の声に驚いた左近は思わず戸をじっと見つめていた。
もしかしたら、件の先輩の"用事”が終わって様子を見に来てくれたのかもしれない。
ぼんやりとそう考えていると再び外から声がかかった。


「さこーん。あけてよー」
「あっ、すみません!今、」


開けます。
そう続けようとした左近だったが立ちあがる時に床に着いた腕を握られその場から動けなくなってしまった。勿論その犯人は左近の目の前にいる。


「えーと…みょうじ先輩?」
「…………」


声をかけてもなまえが手を話す様子はない。左近はどうすればいいのか分からず困惑した。


「さこーん」
「すみませんが、」


そこに置いておいてください。


そうなまえが言い放った時、左近はぎょっとした。
せっかく先輩が心配して夜食まで持って来て下さったのに!善法寺先輩は優しい方だからきっと怒ったりしないだろう。だからと言ってその対応はあんまりだ。
左近がなまえに抗議しようとした時にはもう、外の気配は消えてしまっていた。きっとなまえの言葉の通りに置いて言ったのだろう。


「ちょっとみょうじ先輩!なんてことするんですか!」
「だって」
「だってじゃないですよ。せっかく先輩が厚意で夜食を持ってきて下さったのに、追い返すような真似して!大体、」
「さこーん」


ぷんぷんと怒る左近の説教を中断させたのは先程と同じ声だった。
一度帰ったものの、やはり心配になって戻って来てくれたのだろうか。今度こそは立ちあがるが、未だ左近の利き腕はなまえの手の中だ。一歩も動けない。


「さこーん、お茶持ってきたよ、あけてー」
「そこに置いておいてください」
「なっ!」



この先輩、また言いやがった!
絶句する左近を尻目になまえはじっと戸を見つめている。その目があんまりにも真剣だったものだから、思わず左近は黙ってしまった。
やがて戸の外の気配も消えてしまい、はっとした左近は再びなまえに文句を言い募る。


「もう、みょうじ先輩!いい加減にして下さいよ。善法寺先輩が可哀相じゃないですか」
「…善法寺先輩?」


きょとんとした様子のなまえに左近は眉を寄せた。
もしかして熱が上がって自分でも何をしているのか分かっていないんじゃ…。
そういえばさっき起きた時に熱を測っていなかった。保健委員としての性分がうずき出した左近はなまえに断って熱を測ろうとした。
しかし、



「さこーん」



三回目の呼びかけに何だか左近は不審感を抱いた。
何か、変だ。
何が変だ?
よく分からない。


「さこーん、甘酒持ってきたよー」
「あ、甘酒?」


保健委員は何かと怪我の絶えない生徒と不運が原因で毎回予算はカツカツだ。
そんな保健委員に甘酒を買うような予算はない。善法寺先輩の個人的なお金だろうか?それにしても、何故そんなにまでして。


「あけてー」
「そこに置いておいてください」
「…………」


・・・・・・・・
そんなにまでして、何なのだろう。
さっきまで怒っていたのに何となく左近はなまえに文句を言わなかった。
何も言わず、なまえと戸を交互に見ていた。


「………けて」
「善法寺、先輩?」


ガタン!ガタ、ガタ、ガタンッ


「あけて、あけて、あぁけえぇてぇぇええええ!」
「ひっ」


激しく戸を叩く音と豹変したその声に左近は思わず悲鳴を漏らした。
戸がガタガタと音を立てる度に行灯の火が揺れる。
あまりの光景に絶句していると強い力で引き寄せられた。


「みょうじ先輩……」
「大丈夫」


そのままぎゅっと抱きしめられる。いつもならそんなことされれば顔を真っ赤にして拒否する左近だが、今はこのぬくもりが途方もなく心強かった。
縋りつくように衣を握りしめる。
外では何もかもが更にエスカレートしていた。


ガタンッ ダン! ダン! ガタガタッ


「あけろ!あけろ!あけろって言ってんだろ!あけろよ!」



「あけろ!あけろってえぇぇええええええええ!」



「お願いだからあけてえ……あけてよぉ………ちょっとだけでいいから……」





どの位続いただろうか。
果てしなく長く感じた恐怖だったが、実際に時間にして十分もないだろう。
いきなりピタリと止まったガタガタと叫び声に左近は戦々恐々としていた。


「終わ……った?」


しばらくしても何も起こらないのを確認してようやく肩の力を抜いた。
何だったんだアレ。マジ怖い。善法寺先輩こわい。


「みょうじ先輩、あの、ありがとうございました。夜着を握りしめてしまってすみません。さっきのアレは一体何」
「ただいま」
「きゃああああああっ」


いきなりガラリと戸が開けられ左近は絶叫した。
勿論、真夜中の保健室で騒いだ左近は数馬から怒られた。















「善法寺先輩が?」
「そうなんです!さっきすごい勢いで戸をガタガタ揺らしてあけろあけろって怖かったんです!」
「善法寺先輩ならさっきまで僕と一緒にいたけど」


ピシリと左近が凍りついた。
じゃあ…あれは……何?決まっている。そう、あれは――…。


「ゆゆゆゆゆゆ、幽霊…」
「まさか。誰かのいたずらでしょ」
「へ?」
「保健室に下級生しかいないのを聞きつけた上級生が先輩の声色を使って驚かそうとしたんじゃないかな。なまえがあまりに冷静に対処するもんだから面白くなくなって帰ったんでしょ」
「……そ、そうですよね!それにしても保健室にいたずらなんて、許せません!」
「僕から先輩と新野先生に報告しておくよ。丁度このあと先輩がいらっしゃるし」
「善法寺先輩が?」
「うん。さっき会った時に左近と委員会かわるって言ってたよ。左近は昨日も夜勤だったでしょ?」


そういえばそうだった。
しかし先輩に代わってもらうなんてことしてもらっていいのだろうか。悩む左近に数馬はすかさず声をかけた。


「遠慮しないで、休みなよ。先輩もすぐいらっしゃるから、部屋に帰って大丈夫だよ」
「でも…」
「いいからいいから。明日は朝から実技なんでしょ。寝不足で怪我したら大変だよ」
「先輩…。はい、分かりました。ありがとうございます」


ようやく折れた左近がお辞儀をして帰っていくのを見届けた数馬は、にこにこと左近に手を振っていたなまえに「それで?」と詰め寄った。


「左近が『善法寺先輩』って言ってたのは何だったの?」
「分かんない。川西はずっと『善法寺先輩』って呼んでたけど、僕には全然善法寺先輩の声に聞こえなかったよ」
「どんな声だったの?」
「男とも女とも取れない、しゃがれた醜い声だったよ」
「うわー」


ぺらっとなまえの布団を捲り湯たんぽを押しこむとなまえが「あったかい」と笑った。
そのまま横になるように促され、布団に潜ったなまえは最後にぽつりと呟いた。



「もしも戸を開けていたら、連れていかれてたかもね」



沈黙が降りる保健室に、外から数馬を呼ぶ声がいやに響いた。
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