夢小説 | ナノ




23:返りの風

最初はただの風邪だと思っていた。

けほけほと空咳を繰り返す俺に早く寝なよ、と勘右衛門が気遣ってくれるから言うとおりに養生していた。それなのに風邪は一向に良くならず、むしろ悪化していくばかり。
三年生が学外実習で外泊している今、俺が欠けると三郎次の負担が大きくなってしまう。土井先生の胃に穴を開ける訳にもいかないし、早めに復帰したい。

逸る心とは裏腹に、体調はどんどん悪くなっていき、とうとう寝込んでしまった。

大丈夫か、と心配そうに見舞ってくれる勘右衛門達に平気だ、すぐに治るよと強がりを言うくらいしか出来なくなった。
呼吸する度にゼエゼエと変な音がする。息が苦しくって眠ることも難しい。咳止めも効かず、熱なんかないのにと新野先生も首を傾げている。


「お客さんが来てるよ、兵助」


体を拭くのに使った水を捨てに行った勘右衛門が、そう言いながらみょうじを連れて帰って来た。どうして、三年生はまだ実習中のはず。


「実習先の都合で日程が短縮されたんだって。善法寺先輩経由で三反田から兵助のこと聞いてお見舞いに来たんだって」
「でも…ごほっ、うつったりしたら……、げほッ、」
「感染症の可能性は低いって新野先生は言ってたでしょう」
「新野先生と約束して…三分だけ許可を頂いたんです。だめですか……?」
「……三分だけ、な……ごほっ、ごほっ」
「はい!」


うるうると心配そうに自分を見つめるみょうじに、甘いとは思うが条件を呑んでしまった。
みょうじは嬉しそうに俺に近寄り、ぺたっ、と俺の額に手をのせた。別に熱がある訳ではないが、ひんやりとして気持ちいいのでそのままにしてもらった。みょうじはいつも俺がしている真似をしているのか、額を優しく撫でてくれて、その優しさに苦しさも吹き飛ぶようだ。


「先輩、はやく元に戻るといいですね…」
「戻るよ、みょうじがこうしてお見舞いに来てくれたからな」
「ほんとうですか?」
「そういえば、ちょっと顔色良くなったんじゃない?大好きなみょうじが来てくれたからだね」
「えへへ」


腕を上げるのもしんどい俺の代わりに勘右衛門がみょうじの頭を撫でてあげた。みょうじは俺と勘右衛門を交互に見て、嬉しそうにはにかんだ。可愛い。元気出てきた。
ああ、うそ。気が緩んだのか瞼が重くなって来た。


「眠いの? 兵助」
「ん……」
「寝ちゃいなよ」
「…でも、せっかくみょうじが来てくれたのに…、」
「なかなか寝付けないって言ってたじゃない。みょうじなら兵助が元気になるまで何回でもお見舞いに来てくれるよ。ね、みょうじ」
「もちろんです!だから安心して寝てくださいね、先輩」
「……う、ん…」


なでなで、と。みょうじの手が額から頬に移動し、俺の体温で温かくなったみょうじの手が心地よくて、俺はついに睡魔に耐えきれずに意識を手放した。











夢をみた気がする。

俺は委員会をしていた。
その俺を誰かが陰から見ている。

陰になっていて顔が見えず、誰かは分からないが、俺と同じ紺色の制服を着ている。
その男は、俺を良く思っていない様子だった。
男は夜中に学園を抜け出し、大木に何かを一心不乱に打ちつけている。時折男から漏れる声は、憎悪と怨嗟に満ちている。何が男をそこまでさせるのだろう。

カン、カン、

特有の甲高い打撃音がする。夜中に金槌を振り上げて木に打ち付ける物と言えば、ひとつしか思い浮かばない。
荒い息を繰り返して歪んだ笑みを浮かべた男の目の前にあったのは。



想像通り藁で出来た人形だった。












あれから数日。
俺を襲っていた咳や倦怠感が嘘のように消えていった。
新野先生から床上げの許可をいただき、俺が部屋で遅れた勉強を取り戻すために机に向かっていると、よく知った気配が一つ。
「入ってもいいか?」という声に俺は筆を置いた。部屋に入ってきた三郎は徳利を持っていて。


「なんだよ、病み上がりの俺の目の前で酒を飲む気か?」
「勿論だとも。これは兵助の快気祝だからな」
「言ってろ」


得意げに言った三郎に座布団を投げつけるも、危なげなくキャッチされ、正しく使われる。
いつもストッパーになってくれる雷蔵はどうしたんだ。ハチもいないのか。


「雷蔵とハチは明日の準備があってな。私は自分の役目を終えたから先に失礼したんだ」
「雷蔵とハチにちょっかいかけるから追い出されたんじゃないのか?」
「………」


ちょっとした意趣返しのつもりで言った言葉は図星だったようで、三郎はどこぞを向きながら黙って持参したお猪口に酒を注いだ。
呆れた目で三郎をみていると、大きくゴホンと咳払いをして「そんなことより」と話題を逸らした。


「調子は完全に戻ったのか?ついぞお前の体調不良の原因、分からなかっただろう」
「それがすっかり。新野先生は過労だって仰っていたけど」
「過労なあ」


何か含みのある言い方に、兵助はひっかかりを覚えた。
こんな時間に一人で部屋に来たことといい、少しばかり不審な点が多すぎた。


「それで?三郎は何が言いたいんだ?雷蔵やハチにも言えないことか?」
「…ろ組にも、原因不明の体調不良者がいる」
「!」
「止まらない咳、倦怠感、食欲不振、それから精神的にも随分弱っているらしい。ずっと死ぬ、助けてくれと魘されながら繰り返しているらしい」
「症状は俺と一緒か。いつ頃からなんだ?」
「それが不思議なことに、兵助が良くなっていくにつれてそいつはどんどん悪くなっていってな。今じゃ自分で体を起こすことすら出来ないらしい」
「そんなに…」
「そこで質問なんだが、お前、ろ組の××って奴、知っているか?」
「××? ああ、顔と名前は分かるが話をしたことはあまりないな。勿論病気になる前や回復してからも特別接触した覚えはない。まあ、狭い学園内だからたまたますれ違った程度のことはあったかもしれないが」
「そうか。兵助は察しがよくて助かる」
「いや、感染する病だったらさすがに申し訳ないしな…」
「まあ、その可能性は低いだろうが…」


同室でずっと看病してくれた勘右衛門や保健委員の面々を差し置いて接触頻度の低い者に感染することはないだろうと。三郎のその意見には兵助も頷いた。


「そうなると、結局病の原因は分からずじまいとなるが、」


実は一つ、思い当たる節がある。

口調とは裏腹に、鋭い目をした三郎を見て、ようやく本題に入ったことを兵助は知った。
居住まいを正して続きを待つ。


「××は引っ込み思案の癖に惚れやすくて嫉妬深いという極めて面倒な性格をしているんだが、」
「面倒すぎるだろその性格!」
「まあ分かるが、最後まで聞いてくれ。そんな××の今の好きなやつっていうのが勘右衛門なんだが」
「えっ!?」
「今回は結構本気だったらしく、××にしてはアピールを頑張っていたように見えた」
「…そ、そう」
「そうだ。だが一向に勘右衛門は振り向いてくれない。勘右衛門が笑いかけるのは同室の兵助ばかり」
「………」
「兵助のことが邪魔になった××は、何とか兵助を勘右衛門から引き離そうとした。だが実力では兵助の方が上。悩みに悩んだ××は禁断の力に活路を求めた…」
「…嫌な予感しかしないんだが……」


何となく流れが読めてきた。
顔を引き攣らせる兵助に、三郎はとうとう答えを言った。


「××の部屋から怪しげな呪いの本といかにもな五寸釘、個人が持つにしては立派な金槌、ごみ箱に藁の残り滓が…」
「藁人形だろ!もういいよそんな遠回しに言わなくったって!」
「そうか?じゃあ、遠慮なく。あんまりにも怯えているもんだからこの数々の証拠を手に尋問してみたところ案外簡単にゲロった。兵助が寝込み始めるちょっと前から藁人形を使ってお前を呪っていたんだと」
「へえ……」


じゃあ、あの夢は本物だったのか。
口に出したつもりのなかった言葉はばっちり三郎にも聞かれていたらしい。何の話だと目で訴える三郎に、夢でみた話をする。


「それは、みょうじが見舞いに来た日にみたんだな?」
「そう、だが」
「そしてその日から兵助の体調は快方へ向かい、呪いをかけた××は体調を崩していった」
「……何が言いたい」
「まあ、そんなに熱くなるなよ」


勿論兵助には三郎の意図が分かっている。だがしかし、みょうじの先輩として、ここは黙ってはいられなかった。ギッときつく睨むと兵助の事情も分かっている三郎が宥めに入る。そしてそのまま黙ることなく続けるのが、三郎である。


「××がな、あの日みょうじに会ったんだと。時間からして兵助の見舞いの後だな。その時にみょうじにこう言われたらしい。『お返します』、と」
「返す?…何を、ってまさか」
「そう、今の状況から考えると、
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 兵助にかけられた呪いを××に返す。ということだろう」


それは、十分にあり得ることだった。
今までの出来事から、みょうじに不思議な力を持っていることは明らかだ。それを誰も声に出して確認しないのは、それが認め難い力であること。そしてその力への言い知れぬ恐怖からだ。知らぬが仏。真実を知ることで、守るべき小さな後輩が、恐怖の対象へなることを回避するための無意識の行動。本人が何も言わないことに甘えていた行為だ。


「……少し前に、伊賀崎にちょっかいを出した六年の先輩が毒虫に噛まれて死んだだろ。あれにもみょうじが関わっていたと聞く。だから××は怖くなったんだろう。自分も死ぬんじゃないかって」
「…随分、勝手だな。人を呪い殺そうとしておいて」
「そうだな。だからここから先はお前次第だ、兵助。お前が××を許せないならこのまま放っておけ。自業自得だ、私だってそう思う。だが、もしも許してもいいのなら。お前から、みょうじに頼んで欲しい」
「…………」


頼む、と頭を下げた三郎は、立ち上がる前に何かを床に置き、退室した。
部屋に残された兵助は、床に転がった折鶴をただただ見つめていた。











「××、忍術学園やめるそうだ。幸い例の病もすっかりよくなって後遺症もないらしい。ここを出た後は家業を継ぐそうだ。元々忍になるつもりはなかったそうだから、まあ、これはハッピーエンドと言って差し支えない終わり方だろう」
「へー」


眺めていた本から顔すら上げずに気のない返事をした兵助に、三郎は苦笑した。


「へーってなんだよ、もうちょっと何かないのか?」
「ない」
「あー…その、試すようなこと言って悪かったよ」


不機嫌そうにそっぽを向いた兵助に三郎は先日の無礼を謝罪した。
確かに××のしたことは冗談では済まされないし、その後のことは自業自得だ。だが、三郎にとっては同じ組の仲間であり、ましてや三郎はろ組の学級委員長だ。何かと接点も多かったのだろう。だから××にも死んでほしくはなかった。そこで兵助に生殺与奪権を託した。兵助の性格からして、見殺しにすることがないのは分かっていた。

謝罪を受けて兵助はようやく本を閉じ、横に置いた。その表情は複雑で、なんとも言えない顔をしていた。


「みょうじに頼んだ時、みょうじはじっと俺を見て、頷いたんだ。他は何も言わなかった。だから別に、みょうじが本当に何かしたという確証は、ない」
「ああ」
「でも、」


偶然で済ますには出来すぎている。
黙ってしまった兵助に、三郎は少しだけ罪悪感を抱いた。
そしてそれから、わざと茶化したような声と表情で、


「…それで?これから兵助はみょうじのこと、どうするつもりなんだ?」
「どうするかって?」


わざとらしくニヤニヤとしている三郎に軽い苛立ちを覚えながら、兵助はそれでも挑戦的に笑って見せた。口の端をにやりと上げ、瞳には勝気な色を宿して。


「何も変わらないに決まっているだろ。今まで通り、委員会の後輩として精一杯可愛がって、守っていくさ」


その答えを聞いた三郎は、満足そうに笑いながら、「それは良かった」と呟いた。
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