夢小説 | ナノ




21:追体験

「お絹!?お絹じゃないか!!」
「はっ?」


女装での忍務の帰り、町を通った滝夜叉丸は急に腕に縋られ素っ頓狂な声を出した。
滝夜叉丸の右腕に縋る男はどうみても年配の一般人で、この老人の言う「お絹」という名前に心当たりはない。
人違いだろうと当たりを付けた滝夜叉丸は、若い女性らしく困ったような笑みを浮かべた。やんわりと腕の拘束を解きながら、


「私はお絹という名ではありません。どなたかとお間違えでは?」
「そんな…そうか、そうだな……お絹は二日前にあそこで死んだんだ。お絹がここにいるはずがない………」


落胆した表情でそう呟いた老人は申し訳ない、と頭を下げた。
どうやら孫娘を亡くしたらしい。お気になさらず、とそのまま行こうとした滝夜叉丸は、しかし老人の手によって再び阻まれることとなった。


「重ね重ねすまない。君は死んだ私の孫にそっくりだ。だからどうか、お絹の気に入っていた着物を貰ってはくれないだろうか。その方がきっとお絹も喜ぶ」
「はあ……」


あまりの必死さに、滝夜叉丸はその着物を受け取らざるを得なかった。
加えてそこまで難しいものではなかったとはいえ忍務帰り。さっさと帰って化粧を落としさっぱりしてしまいたい。適当に話を合わせ、着物を受け取った滝夜叉丸は、三度目が起こっては堪らないと足早にその場から退散した。








「なにそれ?」


任務の報告を無事に終えた滝夜叉丸が部屋で着物を広げていると、穴掘りから帰って来たらしい喜八郎が首を傾げて尋ねた。


「これは町で見知らぬ老人からもらったのだ。何でも死んだ孫娘に私の女装姿がそっくりだとか。それで私にこの着物を是非着て欲しいとせがまれてな。あまりにもしつこいので受け取ったと言う訳だ。それにしても私にそっくりということはその娘はさぞかし美しかったのだろう!まあ私には及ばないだろうが、こうなると美人薄命という言葉もあながち嘘ではないのかもしれんな!!」
「へえ」
「お前が聞いたから答えてやったと言うのにへえとはなんだ!そして風呂で泥を落としてから来いと何度言えば分かる!」
「うるさい」
「うるさいとはなんだ!」
「うるさい」


ブツブツと文句を言う滝夜叉丸を綺麗に無視し、喜八郎が着物を覗き込み、「どうするの?これ。着るの?」と問いかけた。
お絹という娘の着物は赤地に菊の花が描かれており、華美な模様を好む滝夜叉丸には好みではない品だ。かといって売ってしまうのは気がひけるし、物が物だけに誰かに譲ることも出来ない。


「あの老人には悪いが処分してしまうことにする。そもそも私は男だから意には沿えんしな」
「ふうん」


もう興味はないとばかりに鋤をしまい込み、夜着を手に取った喜八郎は「お風呂」と一言呟いて部屋を出ていった。













月が綺麗な夜だった。
明々と照らすそれは普段ならば賞賛に値するが、姿を隠したい今は邪魔なだけだった。
着物の裾を掴み、息を切らしながら橋を駆け抜ける。そのまま山道に逃げ込み、後ろを振り向いた。誰の姿も見えないが、気を抜くわけにはいかなかった。
・・・
あの男がこのくらいで諦めるとは思えない。
ガサガサと足下の草を鳴らしながら奥へ奥へと進んでいく。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。そんな場合でないことは重々承知だが、それでもついつい考えてしまう。
大きな木の幹に手をつき、息を整える。とりあえずこのまま山の中にいるわけにはいかない。機を見て抜け出し、近くの町へ逃げ込もう。その頃には太陽も出ている頃だろう。さすがに人目のあるところでは危害は加えられまい。
再び走り出そうと顔をあげようとして、


それは叶わなかった。



「あっ…ぐ、うぅ……!」



ギリギリと耳元で縄が軋む音がする。
息ができない。苦しい。
食い込む縄をなんとか外そうと首を掻き毟るも、ただただ首に傷を作るばかりだった。


「がっ…うぐ、こ…の…っ!」
「うっ」


逃げ出そうと暴れた腕が、男の顔に直撃したらしい。縄が外れ、前に倒れ込んだ。ゲホゲホと咳き込むが、今はとりあえず逃げなければ。
震える腕に力を入れ、体を起こそうとした、が。
男に蹴り飛ばされ、悲鳴が響く。
転がった体は仰向けになり、背後の月のおかけで男の表情がよく見えた。


「やめて…」


男は馬乗りになり、ゆっくりと手を首へ伸ばす。


「いや…おねがい……」


痛々しく残る縄の跡に指を沿わせ、


「やめて…!×××……!!」


もう一度言うとした制止の声は潰され、代わりに呻き声となった。酸素が足りず、段々意識が遠くなっていく。

殺される。

抵抗する力が弱まり、瞼が重くなり、そして――――。








「滝夜叉丸先輩!」


自分を呼ぶ声と、揺さぶられる感覚に滝夜叉丸の意識が覚醒した。
状況が分からず、瞬きを一回、二回。
三回目で、部屋で布団に入っていたはずの自分が外にいることにようやく気がついた。


「え…?何故私が外、に…」


ふと、手元を見るとどこから持ち出したのか、丈夫そうな縄が握られていて。
目の前には滝夜叉丸がぶら下がっても折れそうにない頑丈そうな太い枝。
足場には踏み台。


「…………なっ!?」


慌てて台から降りた滝夜叉丸の肩から何かが滑り落ちた。
バサリ、と地面に落ちた赤は、何故か暗闇の中でもハッキリと視認出来た。


「これ、は……」


赤地に菊の花。
町で老人から譲り受け、きちんと仕舞い込んでいたはずの着物だった。
ドクンと心臓が嫌な音をたて、震える指先で着物を拾い上げようとした滝夜叉丸の手は、


「先輩」


なまえの手に捕まり届くことはなかった。


「先輩、手、冷たくなっちゃってますよ」
「あ…」


両手で滝夜叉丸の手を握り、はーはーと白い息を吹きかけるなまえ。
その温かさに触れて初めて、自身が冷え切っていることに気がついた。よく見れば夜着一枚で何も羽織っていないし、それに裸足のままだ。一度そう認識するとひたすらに寒く感じてしまう。ぶるりと身震いした滝夜叉丸は、なまえまで冷えてしまってはと思い、とにかく建物の中に入るよう促した。
素直にこくりと頷いたなまえは、滝夜叉丸の手をしっかりと握り先導していく。


「それにしても、一体何が起こったんだ…」


不可解なことの連続で、滝夜叉丸の頭の中で疑問がぐるぐると渦巻いている。
私は絶対に部屋で寝ていたはず。なのに何故あんな所に。しかもあのような状況で。あれではまるで、


「女装は、」


ぽつりと、なまえが言った。


「女装は、しばらくやめておいた方がいいです。するなら、一人での行動はだめです。あと、お化粧。お化粧の仕方を、変えるのがいいです」


自由な左手を指折り数えながらの助言に、滝夜叉丸は背筋が冷えていくのを感じた。

滝夜叉丸はなまえの『噂』をなんとなく信じていた。
主に三之助繋がりであるが、なまえと滝夜叉丸は思いのほか交流がある。それは三之助を探す時だったり、何気ない会話の節々に感じられることだったり。
ひどく感覚的ではあるが、『噂』を聞いて出た感想は、「ああ、やはり」だった。
それに加えて今回のこの騒動。滝夜叉丸が、なまえの助言を無下にする理由などなかった。「分かった」と頷くと、嬉しそうに笑うなまえ。


「それにしてもよく夜中に出歩くことを伊賀崎が許可したな」
「え?」
「……曲者に遭遇してから夜の一人歩きは禁止されていると三之助から聞いていたが?」
「………あっ」


滝夜叉丸の言葉にきょとんとした後、しまったという顔をしてオロオロとするなまえを見て、滝夜叉丸はふっと力を抜いた。
このまま帰すと孫兵にこっぴどく叱られるのは目に見えている。申し訳なく感じた滝夜叉丸が部屋まで送り届けることを提案しようとした時、「なまえ!」という声が廊下に響いた。
ぎくりとするなまえを見てから廊下を見ると、声の主は伊賀崎孫兵だった。


「なまえ?夜は一人で外に出ないってこの間と約束したよね?なんで約束守ってくれないの?」
「ごめんなさい……」
「本当に反省してるの?すごく心配したんだからね」
「うん……ごめんなさい…」
「伊賀崎」


淡々と責める孫兵に身を小さくして謝るなまえ。その様子を傍観していた滝夜叉丸だったが、なまえの声が震え始めたことに気付き思わず待ったをかけた。
「関係ないやつはすっこんでろ」と言わんばかりの視線に怯みかけたが、曲がりなりにも滝夜叉丸は四年生。上級生に分類される。素知らぬ顔でなまえの擁護を始める。


「そう叱らないでやってくれ。なまえは私を助けに来てくれたのだ」
「…滝夜叉丸先輩を、助けに?」
「ああ、なまえが来てくれなかったら大変なことになっていたかもしれん」
「……そう、ですか」


なまえを見て、滝夜叉丸を見て。事情を悟ったのだろう、苦言を飲み込んだ孫兵は一瞬の沈黙の後、両手でなまえの頬を軽く引っ張った。


「今度からは黙って出ていかないで、僕も一緒に連れて行くこと。約束できる?」
「ふぁい」
「よし」


子を躾ける母親のような孫兵に少し笑みがこぼれる。
先程の滝夜叉丸と同じく、なまえの手を取った孫兵は「それでは僕たちはこれで」と会釈をして歩きだした。
しかし数歩も行かぬ間に振りかえり、


「気付いてないようだから言いますけど、保健室に行った方がいいですよ」
「保健室?確かに体は冷えてしまったが、保健室に行くほどのことでは…」
「でも先輩、首、真っ赤ですよ」
「え?」


思わず首を触ると、何かに圧迫された後のようなぼこぼことした手触り。
どういうことかと顔を上げた時には二人は角を曲がってしまったらしく、視界の外だった。


「………保健室、行くか」


思い出したように腕を擦り、滝夜叉丸は後ろへ方向転換した。
保健室は、すぐそこだった。















翌朝、滝夜叉丸が昨日の場所に行くとそこに赤い着物はおろか、縄も踏み台もなかった。
なまえが片付けたのだろうか。唯一残っている枝を見上げながら、滝夜叉丸はあの悪夢を思い出す。
あれはきっと、死んだお絹とかいう娘の記憶だったのだろう。追われて森へ逃げ込み、捕まり、首を絞められ殺された。そして彼女は自殺に見えるように木に吊るされたのだろう。

首に巻かれた包帯をなぞる。
保健室には伊作が夜の番をしており、滝夜叉丸を見て驚愕の表情を作った。そして自身の現状が把握できていない滝夜叉丸に、「索条痕があるけど、一体何があったの?」と問いかけた。
索条痕、つまり首絞めの痕と言われ、まず思い立ったのは数分前の出来事であったが、滝夜叉丸は首を吊っていない。
それならば心当たりはあの悪夢以外にはあり得なかった。濁しながら夢の話をした滝夜叉丸は、なまえのことは一言も漏らさなかった。悪夢をみて、起きたら首が痛んだので保健室に来たのだ、と。伊作は何か言いたげな顔だったがそれ以上の追及はせず、黙って包帯を巻いてくれた。
不思議と痛みはないその痕は、けれどもくっきりと残っている。


「やはり、美しすぎるというのは罪なものだな」


冷たい風になびいた髪をかきあげ、踵を返す。
ビュウビュウという音が、首を絞められた時の呼吸音と重なり、顔を顰める。
     ・・・・・・・・・・・・
まったく、これだから人間は恐ろしい。











「やめて…」


馬乗りになった男の顔を、大きな月がくっきりと照らす。


「いや…おねがい……」


力なく抵抗する娘に般若のような形相で手を伸ばすその男の顔は。


「やめて…!お爺様……!!」


町で会った老人にそっくりだった。
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