図書委員会の仕事として、本の整理をしていた時のことだった。
怪士丸は見たことのない本を見つけた。
それは普通の本と同じ白い表紙で綴じられているものの、題名は何も書かれていなかった。劣化で擦り切れてしまったのだろうか。だとしたら図書委員として修繕をしなければならない。本を開き内容を確認しようとした怪士丸は、中を見て首を捻った。
「怪士丸?何してんの?」
「どうかしたの?」
「きり丸、不破先輩」
不思議そうに聞いてきたきり丸と雷蔵に、怪士丸は手元の本を見せた。
「この本、題名が真っ白なんです」
「ホントだ。こんな本あったっけ?」
「しかも、中を見てください。ほとんど空白ページで、一ページ目に…」
「なんだこれ。『交換ノート』?」
<交換ノート>
一、ひとつのページに書いて良いのは二人まで。
二、返事を書いたら元の場所に戻す。
三、こちらへ返事を書くのは最初に内容を見た者に限る。
四、質問には必ず答えなければならない。
五、図書室から持ち出してはいけない。
「これは…図書館の本じゃなさそうだね」
「文字通り交換ノートっぽいっスね。誰かが入れたんでしょうか?」
「中在家長次先輩に報告しますか?」
「一応ね」
長次と久作はまだ委員会に来ていない。長次が来たらこのノートを見せてどうするか考えよう。
自分には処分を決定する権限はないし、あれこれ迷ってしまう。雷蔵はきっぱりと判断を諦めると一年生二人の背を押し、本の整理に戻った。
「おっ、返事書いてある」
「質問もあるからきり丸、返事書かなきゃね」
小声で楽しそうに例のノートを囲むきり丸と怪士丸。開かれたノートの残り枚数は、大分少なくなっていた。
結局、交換ノートは廃棄されることはなかった。
全寮制のこの学園内で、友人同士ならまだしも誰とも知らぬ相手に交換ノートをする理由はあまり考えられない。ただの暇つぶしか、交友関係に不自由しているかの二択だ。
前者ならば別に構わないが、後者の場合放っておくのも忍びない。相手が低学年の場合は尚更だ。
気が向いたものが適当に相手をしてやればいいだろう。一冊分も埋まれば相手の断定もそう難しいものではない。長次と松千代はそう判断した。
返事を書き終えたのか、ノートを元の場所に戻そうとするきり丸を呼びとめ、雷蔵はノートを受け取った。
二年の久作と顧問の松千代以外の全員が参加した交換ノートは、大分ページも埋まって来た。何か個人を特定できるような情報はなかっただろうか。
遊びに行くというきり丸、怪士丸を見送り、ノートを読み返す。
『ノート交換 してくれますか』
「いいですよ 怪士丸」
『図書委員会 ですか』
「そうです。貴方は何委員会ですか? きり丸」
『私は 図書委員会 でした
何歳 ですか』
「十四歳です。貴方は何歳ですか? 雷蔵」
『私も 十四歳 です。
今日は 実技 しましたか』
「組手をしました。友人が馬鹿力なので、手が痛いです。実技は得意ですか? 長次」
『実技 は 苦手 です。
趣味は 何 です か』
「趣味はアルバイトでぇーっす!何か良いアルバイト知りませんか? きり丸」
『知らない です。 』
「……ん?」
ここまで読んで、雷蔵は疑問に思った。これはノートの一番最後のページだ。
先程きり丸が質問に返事を書き、アルバイトのことを聞いた。その、次。
しかし。
しかしながらそれはあり得ないことだった。
だって、きり丸が書いたノートをそのまま雷蔵が受け取ったのだ。だというのに、一体いつの間に返事を書いたのか?
「………っ!?」
『学園生活は 楽しい ですか』
ぺらりともう一枚ノートを捲った雷蔵は驚きのあまり、思わずノートを落としそうになった。そこにも新たな文字があった。
それは質問で、最初に見た雷蔵が答えなければならない。しかしその余裕はなかった。
急いでもう一枚、また一枚と捲る。
怪我は ない です か
健康 ですか
僕 は 病気で した
五年生 の 秋 に
いいなあ
いいなあ
羨ましいなあ
ちょうだい
健康なからだ 生きているからだ
僕と体 交換 しよう?
どうして返事くれないの?
返事もくれないの?
じゃあ 勝手に 交換 する よ
ぺらり。
ページを捲った。
しかしそこには何も書かれていない真っ白な見開きページ。
雷蔵は詰めていた息を吐いた。ああ、なんだ、びっくりした。ただの悪戯だろう。そうであってほしい。
そう思い、ノートを閉じようとする。
だが、
たぷん、と。
紙面が波打った。
まるで池に石でも投げ込んだようなそれは次第に大きくなり。
ぬぷり、と。
ノートから、白い指、が。
指が、出てきた。
そしてそのまま手の甲、手首と伸びてくる。
ノートから生えたその腕は、迷うことなく雷蔵へと伸び、頬に触れる、
その直前。
「……不破先輩?」
「うあッ!?」
びくん!と肩どころか全身を震わせた雷蔵は今度こそノートを落っことした。
バサバサと音を立てて床に落下したノートをなまえが拾った。表紙に何も書いていないノートをなまえが不思議そうに見ている。
「あ、それ……」
「この本、………本?…真っ白ですけど……」
「えっ?」
ほら、となまえが雷蔵に向けてパラパラと捲って見せた。
見せられたノートは確かに白紙だった。慌てて最初から確認するが、ルールも今までのやり取りも全て残っていなかった。
「あ、あれー…?」
「?」
首をひねる雷蔵と、雷蔵に対して首をひねるなまえ。
じぃーっとこちらを見ているなまえに視線を合わせると、なまえの手には本が抱えられていた。
「あ、その本、返却かい?」
「はい!お願いします」
カウンターに入り、図書委員の仕事をする。
手にしていたノートは、何となく棚には戻さなかった。
「あれ?ノートなくなってる」
「ホントだ。誰か書いてんじゃないの?」
「中在家先輩、ご存じないですか?」
「……いつの間にか、なくなっていた……」
「ええーそうなんスかぁ!?せっかくアルバイトのこと質問したのにぃ!」
悔しがるきり丸を宥める二人を見ながら、雷蔵は考え込む。
あの後、みょうじが返却手続きをして帰った後。
手元に視線を戻すと、例のノートは消えてしまっていた。図書室中を探したが結局見つからなかった。
そして、代わりに分かったことがある。
もう何年も前の話だった。図書委員会に所属する生徒の中に、病弱な者がいたらしい。
ちょうど、今の雷蔵と同じ五年生だった。
その五年生は、秋に体調を崩し、そのまま床に伏せってしまったらしい。
そして、とうとう亡くなってしまった、と。
あの腕は、もしかしてその五年生のものかもしれない。
もしも、あの腕に触られていたら。
雷蔵はどうなっていたのだろうか。
・・
交換されていたかもしれない。
―――雷蔵が持っていたのは『交換』ノートだったのだから。