夢小説 | ナノ




15:森に棲むモノ

陽気な春のことだった。
預かった密書を城に届ける忍務。昆奈門はその囮役として選ばれた。陣内を引き連れ、敵を撹乱したはいいが、森の中で迷ってしまった。
幸い、たっぷりと時間をかけ、敵からの逃亡は成功。正規の密書係もとうに忍務を終えているだろう。あとは朝になるのを待って帰還するだけ。
忍が野営することは珍しくもない。滞りなく朝を迎え、森の出口を手分けして探すこととなった。ガサガサと草木を掻きわけ進んで行くと、開けた場所を見つけた。そこには花畑と化していて、淡い桃や白に混ざった紺色に、昆奈門は衣を裏返し近づいて行った。


「こんにちは」
「…………?」


きょとん、とこちらを見る少年は、見た所三つか四つといったところか。まるで女子のように花を摘んで遊んでいたらしい。


「おじさん、だあれ?」
「さあ、内緒。ところで君はひとりで遊んでいるのかい?」
「うん」


子供用の笑みを浮かべ、内緒とはぐらかすと目をぱちぱちとさせる。親や兄弟が近くにいるのかと思い尋ねると、己ひとりだという。
住んでいる村が近いのだろうか。それにしても不用心である。しかしながら昆奈門には関係ないことなので、質問を続けた。


「おじさん、迷子になっちゃってねえ。――村はどっちか、知っているかい?」
「あっち」
「あっちかい。ありがとうね」


まさかタソガレドキ城の方向を聞くわけにもいかず、忍務中に一度立ち寄った村の名前を聞いた。
少年が指さした方向は陣内が捜索に行った場所と正反対であった。待ち合わせの時刻はもうすぐ。時間になっても昆奈門が現れなければ迎えに来るだろう。
だったら一度戻るのも面倒だ。昆奈門はここでしばし待つことにした。幼子だが、暇つぶしくらいにはなるだろう。そう思っていると、袖の端がくいくいと引かれた。


「おじさん、かんむりつくれる?」
「花の冠かい?ああ、いいよ。貸してごらん」


両手いっぱいに摘んだ花を差し出され、受け取り、要望通り冠を作ってあげた。それを頭の上に乗せるとぱぁあああ、と笑顔が輝いた。
調子に乗った昆奈門は暇だから、と指輪や腕輪まで編み、少年に次々とプレゼントした。


「おじさんおかしすき?」
「好きだよ」
「なにがすき?」
「内緒。君は?」
「あのね、おまんじゅうと、もなかと、あんみつと、」
「君は餡子が好きなんじゃない?」
「そうなの。あまいの、すき!」


『小頭』
『ああ、すぐ行く』


どうでもいい会話を続けていると矢羽音が飛んできた。陣内がすぐ近くにまで到着したようだ。
さて時間だと立ち上がり、少年にお礼を言うと、少年は再び袖を掴んだ。


「あのね、ここからとおいよ。よるになっちゃう。あぶないのよ」
「大丈夫、おじさん強いからね」
「ぼくのおうちのほうがちかいよ。あしたのあさでれば、ゆうがたにはつくよ?」
「うーん、でもおじさん、急いでるんだ」


だからもう行くね、とやんわり袖を掴む手を剥がそうとすると、少年はじっと俯いて考え事をした後、


「じゃあね、これあげる」
「うん?」


足元に置いてあった荷物から出したのは、かりんとうの詰まった袋だった。これは一体どういうことか。
戸惑う昆奈門を無視して、目の前の少年はぐいぐいと菓子を押しつけてくる。


「えーっと…これ、おじさんが貰っちゃっていいのかな?」
「うん!でも、たべちゃだめなの」
「は?……あ、ああ、分かったよ。ありがとうね」
「うん、おじさんまたね」


ぶんぶんと手を振る少年に軽く手を振り返し、昆奈門は森の中に姿を消した。


















「…すっかり日が暮れてしまったねえ」


少年の言った通り、夜になってしまった。足元は悪いが、出来るだけ早く帰還しなければ。
あの少年のような一般人に遭遇することを考えて、二人は忍装束を裏返し一般人を装い歩いていた。


「もし、もし…」


背後から声をかけられ、振り返ると、後ろの方に女性が見えた。暗い夜道でも分かるほど美人であった。
だからこそ、昆奈門と陣内は警戒を強めた。こんな夜中に美女が山の中を単身で歩くなど、自殺行為にも等しい。


「もし、お兄さん方…夜の山道は危険ですわ。よろしければ私の家にいらっしゃいな。すぐ近くにありますのよ」
「これはお気遣いどうも。ですが我々は急いでおりますので、お気持ちだけ」
「そんなこと言わずに、ね?」
「……陣内、行くよ」
「それではそういうことですので」


縋り寄ってくる女から距離を取り、断っても尚諦めないことに不審感しかなかった。取り合うだけ無駄だと陣内に声を掛け歩き出す。


「…ア、ァア゛ァ゛ァ゛……」
「何を言っ、」


ベタン!


振り返ると女が四つん這いになって唸っていた。
様子のおかしい女に二人は身構え、いつでも逃亡、攻撃できる体制をとった。
不意に女が首を上げた。女はその状態で美しく微笑み、



「…私、お腹が空いていますのぉ。だから、お兄さん方ァァ……ァハハハハハハ!!!!」




「陣内、走れ!」


口が限界まで裂け、涎を垂らし、目を三日月にしながら四つん這いとは思えぬ速さで迫ってくる女に、昆奈門たちは堪らず走り出した。
背後からは女の狂った笑い声が聞こえてくる。足を緩めずに棒手裏剣を打ち込むが、左腕をブンと振り、弾かれてしまった。いつの間にか女の指には鋭く厚い、獣のような長い爪が生えていた。
女はどんどんスピードが上がっている。このままだと追いつかれるのも時間の問題だ。とりあえず幹の太い、丈夫そうな木の上に避難する。木の上にまでは登ってこれないのか、女は大声で喚き散らしながら爪を引っ掻いている。


「アハ!アハハハハ!オナカ!オナカスイタノォオオオオオ!!!」
「小頭!あれは一体……」
「私が知っていると思う?」
「…どうします?」
「どうもこうも、逃げるしかないでしょ。喰われたくなかったらね」
「あの少年の言うとおりにしておけば良かったですね」
「確かに………あ」


少年と言えば、かりんとうを貰ったのだった。食べてはいけないと言っていた、あれ。
そういえば眼下の女は腹が減ったと訴えている。
試しにひとつ、今いる木から離れた場所に落としてみる。


「う゛あ゛ぁああっぁあ゛あ゛あ゛ッッ!!!」


自分たちには目もくれず、落としたかりんとうに飛び付き、地面の土ごと貪りつく。
その姿を確認し昆奈門は数個のかりんとうを広範囲にばら撒くと、陣内と同時に足元の枝を強く蹴った。定期的にかりんとうを落とし、少しずつ、しかし確実に距離を開けて行く。



  ……ゥ゛ア゛……ァ゛……………ア゛…ア゛ァ………




叫び声が遠くなり、ついに聞こえなくなったころにはもう夜が明け、森から抜けていた。
二人の間に会話はなく、無言で大岩に腰を降ろす。走った距離に比べて疲労が大きく、そこで初めて自身が異常に緊張していたことに気付いた。


「…さあ、早く城に帰ろうか」


少しして陣内に声をかけ、昆奈門は再び足を進めた。













「あれ。保健委員誰もいないの?君はお留守番?」
「あ、はい」


ストン、と気配なく天井から降りてきた昆奈門は、一人薬草の仕分けをしていたなまえに話しかけた。なまえは特に驚くことなく、普通に頷いて答えた。


「えっと、二手に分かれてトイペ補充です」
「そう。じゃあ、これをあげよう」


はい、と手渡された菓子を見て、なまえは首を傾げた。


「でも僕、保健委員じゃないですよ。火薬委員ですよ」
「そうなのかい。まあでも、気にしないでお食べよ。……君、餡子好きなんでしょ」
「大好きです!」


昆奈門が持ってきた菓子は最中だった。
ぱくん、と躊躇いなく口に入れたなまえは、直後とても嬉しそうな顔になった。


「おいしいかい?」
「とっても!」
「それはよかった」


にこにこと笑うなまえの頭を撫でながら、少しばかり考えた昆奈門は、スッとなまえの背後に回った。そして首を回してこちらを見上げる無垢な少年をそっと抱きあげ、


「…………?」


膝の上に乗せることに成功した。三年生にしては小柄ななまえはすっぽりと昆奈門の胡坐の中に収まってしまう。
それにしても、と昆奈門は思う。いくら下級生とはいえ、忍を志す者としては警戒心がなさすぎである。


「君、名前は?」
「みょうじなまえです。……おじさんは?」
「…雑渡昆奈門。タソガレドキ忍隊の組頭だよ」


もぐもぐと口を動かすなまえに聞けば、嘘偽りのない本名が返ってくる。
なまえは答えた後、少し考えるような素振りを見せて昆奈門の名前を聞き返した。
     ・・・・
その質問に今度こそ答えると、同じ保健委員である数馬から話を聞いたことがあるのだろう。なまえは驚きもせずに昆奈門を受け入れた。
そして、ごくん、と最中を食べ終えたなまえが袖を引いて再び聞いた。


「雑渡さん、好きなお菓子は何ですか?」
「…そうだね、かりんとうかな」


答えた後に、そっと顔に巻かれた包帯に手を伸ばす。
最初に出会った九年前は、この顔に包帯は巻かれていなかった。
それでも再び出会い、一連の会話を果たした昆奈門は満足気に笑い、


「はい、もっと食べて食べて。あーん。」
「えっと、あーん?」




美味しそうにもぐもぐと口を動かすなまえを見て、昆奈門が癒されたことは言うまでもない。
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