夢小説 | ナノ




番外編02:兎と元気犬

「みょうじ、これを生物委員会委員長代理の竹谷に渡しておいてくれ」


会計委員会と言うと徹夜続きの印象が強いが、さすがに連日そればかりということもなく。帳簿の提出日や予算会議が近くない日で、委員長である文次郎の鍛錬魂に火がつくような出来事がなければ夕方に解散する。
なまえが病み上がりなこともあり、その日は早々に終了した。
文次郎が最終確認をしている間、後輩達と墨や硯を片付けているなまえを見て、ふと手元の書類に目を落とした。生物委員会の書類である。不備があったために本日中に処理出来ず、再提出となったその書類は一度委員長代理の八左ヱ門に返す必要がある。

確かみょうじと同じろ組だったはず。
文次郎がなまえに頼んだのは、特に意図があった訳でなかった。


「えっ……」


なので、差し出された書類を凝視して固まってしまったなまえの反応は完全に予想外だった。


「…なんだ? 竹谷と仲が悪いのか?」
「いっ、いえ! ぼっ、僕っ、頑張りますので…!」
「お、おう…明日までに出させればいいからな。頑張れよ」
「はい!」


別に無理はしなくていいのだが、使命感に燃えるなまえに文次郎はその言葉を飲みこみ、代わりに激励の言葉を出した。











「さ、さぶろ……いま、いい?」
「なまえ?」


大事そうに書類を抱えて尋ねてきたなまえに、三郎は読んでいた本にしおりを挟んだ。
来い来い、と手招きするとホッとした顔で部屋に入ってくる。用意された座布団にちょこんと座ったなまえは、申し訳なさそうに要件を口にした。


「あ、あのね…、竹谷に、会計委員会の書類を渡したいんだけど…その……は、話しかけ難くて……」
「話しかけ難い?」


意外な言葉に三郎は首を傾げた。竹谷八左ヱ門といえば面倒見がよく、根明で下級生からも親しみやすいと聞くことが多い。珍しい評価だな、と頭の中で考え、訳を聞く。


「竹谷は…その……む、虫とか…蛇、とか…」
「ああー……」


三年の伊賀崎のペットの大半は毒を持つ生き物である。そして頻繁に脱走するために八左ヱ門はよく毒虫の捕獲に追われている。つまりは彼の周りには高頻度で毒虫がいるということだ。
なまえはそれが怖いのだろう。そう当たりを付けた三郎は、じゃあ委員会が終わった後にでも呼び出すか、と算段を組み立てていたが、


「あと、いつも、すごい………その、げ、元気で………ちょっとだけ、こ、こわい…かも……」
「ぶっ」


思いもよらないカミングアウトに堪らずに噴き出してしまった。
そういえばあまり八左ヱ門と二人きりでいる場面を見たことがない。ろ組にいる時はほとんど三郎自身が側にいるから気にしたこともなかったが、まさかそのような理由があったとは。
あまりにも三郎が楽しそうに笑っていたから、なまえは事情が良く飲みこめずにきょとんとしていた。









「いいか、なまえと接する三原則を教えるぞ。怒鳴らない、捲し立てない、暴力に訴えない。なまえを泣かせたらハチも泣かす。いいな?」
「後半あんまり良くないんだが!」
「うるさい。親戚の人見知りする三歳児を見守る父兄の気持ちになれ。あと元気禁止だ。もっと落ち着いて接しろ」
「元気禁止!?」
「なまえは気が弱いからお前が元気すぎて怖いんだよっ!」
「えええーーー!?」


ガーン!という文字が見えそうなほど衝撃を受けたらしい八左ヱ門が固まっている内に、三郎はさっさとなまえを呼びに行った。八左ヱ門の委員会が終わるまで待っていたのだが、可哀相なくらいずっとそわそわしていた。早めに使命から解放してやりたい。
そっと室内の様子を窺いながら入ってきたなまえは、先程の衝撃から回復しきれていない八左ヱ門をみると一瞬固まり、意を決したように近づいてくる。


「あ、あのっ……竹谷…、くん」
「くん!?」
「―――っ」


余所余所しく付け加えられた君付けに思わず突っ込みを入れると、びくりとなまえの肩が揺れ、一歩下がった。それを見た三郎に背中を抓られる。
しまった。つい大きな声を出してしまった。書類で顔を隠しながらちらりと自分を見ているなまえに、八左ヱ門の方から話しかけることにした。


「わ、悪い大声出して…。えーっと、その、俺に何か用があるって聞いたけど」
「! そ、そう、なんだ。あの、この、書類なんだけどっ」


わたわたと差し出された書類は、生物委員会委員長代理として八左ヱ門が会計委員会に提出したものだった。それが受理されずに戻ってきたということは。
隣に立っていた三郎がぎょっとする程、サア、っと八左ヱ門の顔色が真っ青になった。がばりとなまえに飛び付き、両肩を掴みながら、


「えっ!? まさか経費でおりなかったのか!? マジで!!?」
「ひっ、ち、ちが…書類、不備で……こ、ここ……」
「書類不備? じゃあそれさえ訂正すればちゃんと通るってことだよな!?」
「う、うん…」
「そうか! あー焦っ、たァ!?」


後頭部に軽い衝撃。続いてぐいっと後ろに引っ張られた。
一体何をするんだとばかりに三郎を見上げれば、逆にキッと睨まれてしまう。視線で誘導されてなまえの方を見ると、


「……………っ」


勢いに任せていつの間にかなまえの肩を掴んだまま壁際に追い詰めてしまったらしい。
逃げ場を失ったなまえはぎゅっと閉じた目に涙を溜めて縮こまっていた。

あ、ヤバい三郎に泣かされる。
これ、壁に追い詰めているのが暴力に分類されたら三原則全部破ってないか。


「ご、ごめん!」


慌てて手を離してなまえの衣服を整える八左ヱ門。
そっと目を開け、恐る恐る八左ヱ門の顔色を窺うなまえに罪悪感が募る。
何か言い訳をしなくては。
頭をフル回転させていると、三郎から助け船が出された。唇の動きからして、『え・が・お』。
藁にもすがる思いで笑顔を浮かべる。出来るだけ人当たりのよ下げな、明るい顔で。


「わ、悪い。生物委員会はカツカツだからつい力んじゃって。怪我ないか?」
「……う、うん。大丈夫…」
「そうか。本当にごめんな」
「ううん…」


八左ヱ門の笑顔につられてか、少しずつなまえの肩の力が抜けていくのが分かった。
それを見て、八左ヱ門の笑顔も、意識的なものから無意識なものへと変わっていく。


「こ、これ、ここを訂正して、明日、また出して、ね」
「ああ。ありがとうな」
「ううん」


それじゃあ、と部屋を出ていくなまえの後ろを当然のようについて行く三郎に、含みのある顔でニッコリと笑いかけられて八左ヱ門はまた顔を青くする羽目になった。











「た、竹谷……く…、竹谷!」
「おう? どうしたんだ?」


翌々日。
教室の机で八左ヱ門がうな垂れていると、雷蔵に腕をつつかれた。
のっそりと体を起こすと、自分に話しかけたそうにしているなまえを発見した。八左ヱ門がなまえを見ていることに気付くと、一瞬逃げ出しそうな顔をしたが、三郎がぽんと肩を叩くとゆっくりと近づいてくる。
以前と同じように君付けしようして途中でやめたなまえに、八左ヱ門は驚いた。三郎が何か言ったのだろうか。


「あの、この間の、書類、ちゃんと通った、よ…!」
「この間のって…みょうじが持って来てくれたやつか?」
「そ、そう」
「マジか! あー良かった…」


心底安心した八左ヱ門は、「ちゃんと言えたよ!」「よく頑張ったな」と視線で三郎と会話しているなまえに、


「ありがとう、みょうじのおかげで助かったよ」
「!」


心の底からニッカリと笑うと、なまえも嬉しそうに笑った。
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