夢小説 | ナノ




番外編09:理念の不一致

「調子に乗るのもいい加減にしろ!いつも都合よく物事が進むと思ったら大間違いだぞッ!!」


保健室に響く大声。発したのは珍しくも余裕の欠片も感じられない三郎。
三郎、マジギレである。
いつもなら保健室で騒ぐなと窘める善法寺先輩も今回ばかりは沈黙を貫いた。
この五年間で片手ほどもないマジギレに、キレられているみょうじはただ俯くばかりだ。
何とか三郎を落ち着かせないと。そう思うけど何て言えばいいのか。こうなった原因の一端を担っている俺としては、申し訳なさでいっぱいで早く何とかしたい。


俺とみょうじで忍務に行った。ここまではいい。珍しい組み合わせだが、みょうじが女中として潜入し、俺が伝令、退却の手伝いをする。女装の得意な立花先輩やみょうじがよくやる忍務だ。途中まで無事に進んでいた忍務だったが、後は退却するだけという時点で一年は組の名物三人組、乱太郎きり丸しんべヱが城の牢に入れられてしまった。
学園から急ぎ土井先生、山田先生が救援に来るとの知らせがあり、それまで大人しく潜伏することにしたのだが、そこはやはりあの三人組。
女中姿のみょうじを見つけて大声でばらしてしまった。あの時のみょうじの引き攣った顔はしばらく忘れられそうにない。しらばっくれるも次から次に墓穴を掘っていく三人組にとうとう諦めたらしいみょうじが煙玉を放って三人を連れて強行突破した。
勿論俺もフォローに回ったし、先生方もすぐに到着されて逃走に成功したが、問題はみょうじが腕を怪我してしまったことだ。傷は思ったより深いらしく、もしかしたら跡が残るかもしれないとのこと。色を使うみょうじにとって傷跡は死活問題だが、三郎が怒っているのはそんなことではなく。


「どうして先生方の到着を待たなかった?自分一人の力でなんとかなると思ったか?」
「……………」
「その結果がそれだ。そんなに深く傷を負って。これから一体どうするつもりなんだ」
「……………」
「さ、三郎。そうきつく責めるなよ。みょうじだって最初は作戦通り先生方の到着を待つつもりだったんだ。でも正体がバレて強行突破するしか道はなかったんだよ」
「私はみょうじに聞いているんだ。ハチは黙っていろ」
「なんだよ、それ!」


頭ごなしに責め続ける三郎に、とうとう俺も我慢出来なくなって言い返してしまった。


「実際あれ以上あの場にいれば全員の命が危なかった!みょうじの判断は正しいだろ!その場にいなかったくせに何ごちゃごちゃ言ってんだよ!」
「正しい?一年生の命を危険に晒す行為がか!?大体お前がついていながら何故こんな事態に陥ったんだ!お前がもっとうまくやれば誰も怪我せずに済んだはずだろう!!」
「俺が悪いって言いたいのかよ!?」
「じゃあお前は自分が少しも悪くないって言えるのか!?」


いつも冷静に宥めてくれる兵助や、三郎の抑え役の雷蔵がこの場にいなかったことも手伝って徐々にヒートアップしていく。頭に血が上って考えなしに口から言葉が飛び出す。とうとう二人とも立ち上がり、拳を握り始めたその時、俺を睨みつける三郎越しにみょうじの顔が見えた。


「……っ、」


直後、僅かに聞こえた嗚咽に三郎がハッとして振り向いた。
つられて俺もみょうじを見ると、みょうじは両手で顔を隠してしまっていた。
か細く漏れる声は、謝罪を繰り返していた。


「ごめ…なさい、私が悪い、ので、お二人とも……喧嘩しないで………」
「……………」
「……………」
「ほら二人とも、みょうじに何か言うことあるんじゃないの」


震えるみょうじを善法寺先輩が抱き寄せた。善法寺先輩はみょうじの背中を優しく擦りながら、含みを持たせてにっこりと笑って俺達に言った。


「その、みょうじ…怒鳴り合って悪かったよ。俺がもっとしっかりしてたら怪我することもなかっただろうに…本当に、ごめんな」
「わ、私も、頭ごなしに怒鳴りつけてすまなかった。お前が怪我をしたと聞いて、黙っていられなかったんだ。泣かせるつもりは、なかった。許してくれ」
「…だってさ。どうする、みょうじ。許してあげる?」


善法寺先輩に問われてみょうじは顔を先輩の胸に埋めたままこくりと頷いた。
三郎が安心したように僅かに表情を緩めたのが手に取るように分かった。

みょうじの予想外の反応に、さすがに言い過ぎたと感じたのだろう。三郎が恐らく謝罪の言葉を重ねようとした時、スパンと保健室の戸が開いた。入って来たのは雷蔵、兵助、勘右衛門の三人だ。


「…怪我したって聞いたから様子を見に来たら怒鳴り声が聞こえたんだけど……?」
「ら、雷蔵、これには訳が!」
「あ、みょうじ泣いてる」
「!」


雷蔵の登場に三郎が真っ青になっている中、目ざとく兵助が、みょうじの異変に気づいた。三郎、ますます真っ青になる。かく言う俺も、血の気が引いていくのがよーく分かった。


「泣かせたわけ…?」
「ちが」
「違うんですか?」
「違わないねー。鉢屋がみょうじを責めて竹谷が庇ってる内に怒鳴りあいになってみょうじを泣かせたねー」
「へえ…」
「…………」
「…………」


すべてを知った雷蔵は静かに「二人とも、ちょっと来て」と言った。事実上の死刑宣告である。
こうなれば雷蔵に逆らうことは許されない。のろのろと立ち上がろうとした俺を止めたのは、善法寺先輩だった。


「竹谷は残ってくれる?掠り傷だけど、怪我してるでしょ」
「はい!」
「なっ、この、裏切り者!」
「三郎うるさい。行くよ」
「はい……」


雷蔵と兵助に連行され、可哀想なくらいしょんぼりして退出して行った三郎を見送って、三十秒後。


「…ほらみょうじ、鉢屋はもう出て行ったから、泣き真似はやめても大丈夫だよ」
「はあい」


今の今まで善法寺先輩の胸で震えていたはずのみょうじは、途端にけろりとした顔をあげた。


「あれっ、嘘泣きだったの?」
「嘘に見えねーよな、俺も泣き始める直前を見てなかったら気付かなかった自信あるよ…」


そう、俺と三郎が立ち上がり向かい合ったその時。三郎越しに見えたみょうじは、心底面倒くさそうな表情をした後、目のあった俺に向かってにっこりと笑い、次の瞬間には両手で顔を覆い、嗚咽をもらしていた。あまりの変わり身の早さに言葉もでなかった。


「みょうじったら、竹谷に見つかっちゃうんだもの。演技するなら面倒くさそうな顔をしちゃだめでしょ」
「すみません、つい」
「…なんか三郎が不憫に思えてきた…」


勘右衛門がそうこぼすと、みょうじはすうっと目を細めた。


「おやまあ、尾浜先輩も私が悪いって仰るんですか?」
「そう言う訳じゃないけど、一応三郎はみょうじを心配して…」
「心配もなにも、今回ばかりは無茶をしなければならない場面でした。心配していただいているのは分かりますが、その心配は私が弱いと言っているのと同義。心外です」
「…そうだよなあ。みょうじがあそこで強引にでもあの三人を連れ出さなきゃ、どうなってたか分からねえし」
「まあまあ、鉢屋はとにかくみょうじのことが可愛いんだよ。鉢屋だって今頃不破にこってり絞られて頭が冷えただろうし、みょうじを侮辱したつもりはないとてことは、みょうじにも分かっているでしょ?だから反論するんじゃなくて嘘泣きして場を納めたんだもんね?」
「…よくお分かりで」
「一応僕も六年生だからね」


優しく微笑むも流石は六年生。三郎の心情もみょうじの思惑もお見通しというわけだ。これにはあのみょうじも珍しくばつの悪そうな顔をしている。
しかしそれもほんの数秒だった。はあ、とため息を一つつき、


「…鉢屋先輩にもう一度謝りに行って来ます」
「そうだね、でも、わざわざ出向く必要はなさそうだよ」


ほら、と先輩が戸の外を指さす。神経を集中させてみれば、僅かに感じる人の気配。どうやら三郎が雷蔵の説教を乗り越え、保健室に戻ってきたみたいだった。
ここまで来ると、いっそ三郎はみょうじのことを好いているのではないかと疑いたくなるが、三郎本人は否定するし、雷蔵も珍しく迷わずに違うと答えたので、違うのだろう。気に入ったものはとことん愛で倒す三郎に気に入られたのはみょうじにとって幸か不幸か。…とりあえず、セクシャルな被害に遭わないように気をつけてはおこうと思っている。

俺がそんなどうでもいいことを考えている間に、三郎はとっくに保健室の前に到着している。だがしかし、何故か入って来ない。
こちらの様子を窺っている気配もなく、躊躇しているという表現が一番合っているような気がする。あれだけ派手に叱り飛ばした手前、入りにくいのか。仕方がない、と俺は気を利かせようとしたが、どうやらそれは余計なお世話だったようだ。

すくっと立ち上がったみょうじが、何の躊躇いもなくスパンと戸を開けた。硬直する三郎。みょうじはそのまま一歩、外に踏み出し、後ろ手に戸を閉めた。
そのままどこぞに行くのかと思えば、どうやら三郎が動いてくれないらしく、若干不機嫌そうなみょうじの声が部屋の外から聞こえてきた。


「……何か用ですか」
「えっ、あ、その……みょうじ、」
「はい」
「さっきは………悪かった」
「はい」
「本当に、怒鳴るつもりは、なかったんだ」
「はい」
「…怒っているか?」
「…………いいえ」
「嘘!何その沈黙!絶対怒ってるじゃん!」
「ちょっとしか怒ってませんよ!」
「やっぱり怒ってるじゃん!」
「そりゃああれだけ怒鳴られれば怒りますよ」
「ごめんなさい……」
「反省してくださいね」
「はい……」


そっと戸を開けて様子を窺っていた俺は思わず苦笑した。
おーい、三郎にもう一回謝るって話はどこに行ったんだー。
結局いつもの掛け合いに戻ってるじゃないか。俺の隣で勘右衛門が声を殺して笑っている。お前絶対声漏らすなよ。


「でもまあ、先輩に心配をおかけしたのは事実ですから、一応私からも謝っておきます。すみませんでした」
「とことん可愛くない後輩だなお前は……」


がっくりと肩を落とす三郎に、みょうじは悪戯っ子のような顔をして、


「おやまあ。後輩の嘘泣きに気付いていながら動揺しちゃうくらい私のことが好きな鉢屋先輩は、とっても可愛い先輩ですよ」
「なっ!」


カァっと三郎の耳が赤くなっていく。本気で照れている反応だ。
三郎はしばらく居心地悪そうに床に目を落とした後、絞り出すような声量で


「分かっているならもうやめてくれ。心臓に悪い……」


言い終えるとみょうじの返事を待たずにそそくさと退出してしまった。
三郎が廊下を曲がりきってから、みょうじはくすくすと笑いながら、「はい」と答えた。

雨降って地、固まる…でいいのか?
なんかもう、痴話喧嘩に巻き込まれた感が否めないが、丸く収まったのならこれで良しとしよう。
三郎とこの小悪魔な後輩の不思議な関係に、勘右衛門とため息交ぜながら笑いあった。











翌日、何故か三郎がみょうじを泣かせたことが学園中に広まっており、鋤を持った綾部と鉄双節棍を携えた食満先輩が殺気立って三郎を追いかけ回していた。
結局は遠ーくの方で見物していたみょうじが三郎に泣きつかれて二人を宥めて何とか誤解が解けたようだ。
俺はてっきりみょうじがバラしたのかと思ったが、善法寺先輩が制服の背中に「薄唇軽言」と書かれた布を縫いつけられていたので(先輩は半泣きだった)、犯人は善法寺先輩だと確信している。
さすがみょうじ、容赦ない。
でもそこがみょうじの良い所だ。三郎じゃないけど、例え嘘泣きだろうと俺も二度とみょうじの泣く所は見たくない。
先輩の一人として、そう、思っている。
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