夢小説 | ナノ




06:手ぬぐいの恩返し

『それ』は人ではないけれど、人と同じように怪我もするし痛覚もあることをなまえは知っている。
だから視えない生徒に蹴っ飛ばされたり踏みつけられたりすると思わず心配してしまう。


(痛そう)


だから、擦り傷から僅かに血を滲ませる腕を見つけた時も素直にそう思った。例えその腕が地面から生えているものだとしても、なまえにとって『それ』は別に不思議でもなんでもない。
誰かに踏まれたのだろうか。その腕は白いので、手の甲から滲む真っ赤な血は酷く目立った。
じっとその腕を見つめていたなまえは走ってその場から消えてしまった。少しの間をおいてまた戻ってきたなまえの手には軟膏が握られていた。


「じっとしててね」


そっと手を取り傷を確認する。土がついていたので水筒を取りだし洗い流す。現れた傷は視たところ軽傷だった。
ほっとして持ってきた軟膏を塗りつける。痛くないようにおっかなびっくりではあるがなんとか塗ることが出来た。傷を保護するために手ぬぐいを巻きつける。さすがに貴重な包帯を保健室から貰ってくることはできなかった。多少不格好な形になってしまったが、これで酷くはならないだろう。満足気に頷くとまるで「ありがとう」と言わんばかりに腕がぶんぶんと揺れる。
あまりにも嬉しそうなものだから、何だかなまえも嬉しくなってへにゃりと笑った。










夜。隣から同室者が起き上がるような気配を感じた孫兵はうっすらと瞼を上げた。
仕切りをしていない部屋の中で隣を見るとなまえが眠そうに目をこすっていた。


「なまえ?どうしたの?」
「厠行ってくる…」
「一緒に行こうか?」
「んーん、一人で平気」
「そう。気をつけてね」
「うん」


そのまま出ていこうとするなまえに慌てて夜着を掛ける。なまえはそういう所にあまり頓着しないので孫兵はいつも心配しっぱなしだ。
お礼を言って出ていったなまえを見送って、孫兵は灯りに火を入れた。どうせ帰ってくるまで心配で寝れやしないのだからと本を手に取り、春だと言うのに未だ衰えぬ寒さ対策の為再び布団の中に潜る。
やっぱりついて行けば良かった。少しばかり後悔しながら栞のページを探した。







やっぱりついて来てもらえば良かった。
ひんやりとした寒さとざわざわと揺れる木々の音に身体を震わせる。空を見上げると月も星も出ている。行灯も持ってきてはいるが、夜の闇に対抗するには心許ない。
早く厠に行ってさっさと帰ろう。
強く決心した心は次の瞬間見事に散ってしまった。


「下坂部」
「きゃあああああっ」


肩にぽんと手を置かれ悲鳴があがった。ぷるぷると震えだした平太にびっくりしたなまえは慌てて名乗りを上げた。


「下坂部?僕だよ、みょうじなまえだよ」
「みょうじせんぱい…?」


見知った先輩の声にぎゅっと瞑った目を開けると、自分の持つ行灯に照らされたなまえの姿が見えた。
安心からへなへなと腰を抜かしてしまった平太を優しく抱き起こしながら「驚かせちゃってごめんね」となまえが謝る。
平太が慌ててぶんぶんと首を振り「大丈夫です!」というと安心したようになまえは笑った。その優しい笑顔が平太は大好きだった。
なまえも厠に行く途中だというので一緒に行ってもいいか聞くと是と返ってくる。自然に平太の手から行灯を受け取り、空いた手を繋いで貰って平太はすっかり安心してしまった。
それからは怖いことも特になく、なまえと他愛もない話をしながら厠に辿りつき、用を足す。
なまえは平太が終わるまでちゃんと外で待っていてくれる。帰り道もまた手を繋いでくれた。優しい先輩だ。
ガサガサと植木が揺れた。少しびっくりしてしまったが、さっきとは違いなまえがいる。別に怖い事なんて何も―――


「…学園の生徒か」
「〜〜〜〜〜〜ッ!!!?」


あった。
植え込みから出てきた男はどう見ても曲者だった。同じクラスの伏木蔵が懐いているあの曲者でなく、ガチの方の。
曲者が出てきた瞬間なまえは平太を後ろに庇ってくれた。その腕に縋りつきながらそっと男を観察する。
男の手には物騒にも刀が握られている。キラリと月光を反射したその刀で何をされるのか。湧き上がる恐怖に平太は震えが止まらなかった。


「分かっているとは思うがそのチビを連れて逃げ切れるなんて思うなよ小僧。まあそいつを捨てて逃げれば可能性はなくはないが。試してみるか?」
「……………」
「フン。ならば仲良く捕まるんだな。何、大人しくすれば余計な怪我をしなくて済む。お前達は大事な人質だ。大人しくしていれば殺しはしない」
「……………」
「まあどうせ用が済めば死ぬ運命だが、少しでも長生きしたいだろう?」


なまえはじりじりとにじり寄ってくる曲者から少しずつ後退して距離を取る。
例えば今、なまえが助けを呼ぶために口を開けた瞬間、この男は容赦なくなまえの首を刎ねるのだろう。下手すれば平太も道ずれだ。
普段の忍装束ならともかく、なまえはいま寝衣に夜着を纏った格好だ。大した武器もない。

武器はないが、状況を打開出来そうなブツはあった。都合いいことに平太の持ってきた行灯のおかげで火もある。
ただそれを使うことによってこの男が激昂して切りかかってくる可能性は大いにあった。平太を連れたなまえがそれをかわすことは難しい。しかしどうせここで大人しく捕まっても後々殺されるのだ。だったらここで一矢報いる方がいいかもしれない。男が逃亡する可能性もなくはない。
意を決したなまえは袖から掌にソレを転がり出した。曲者に気付かれないように行灯から火を点火し、


パアン!


投げつけた爆竹は小気味良い音を連続して発し、静かな夜にはよく響いた。
男の顔面を目掛けて投げつけた後、爆竹の音に驚いて気絶してしまったらしい平太を抱え一目散に走り出した。しかし後ろから強烈な殺気を感じ咄嗟にしゃがみ込んだ。
途端に頭上を手裏剣が通り過ぎ、それを認識した瞬間背中に衝撃。こらえきれず平太を抱えたまま地面を転がった。しかし意地でも手は離さなかった。
痛みに怯むことなく顔を上げると案の定怒り心頭の曲者が刀を向けて立っていた。やはり怒らせてしまったらしい。
しかし先程の爆発音を聞きつけた上級生や先生方がすぐに駆けつけてくるだろう。後は時間さえ稼げればなまえの勝ちだ。


「このクソガキがッ!大人しくしていればいいものを…!」
「…もうすぐ、先生方が」
「うるせえッ!!」


どうやら怒りのあまり我を忘れているらしい。よく見ると男は顔を火傷していた。爆竹を避けきれなかったらしい。プロなのに鈍くさいな、と場違いにもなまえは思った。
つかつかと歩み寄って来る男になまえは立ちあがることを諦めた。平太を地面に寝かせその上に自分が覆いかぶさる。


「死ね」


男が刀を振り上げる気配がする。男の背後から先生方の気配を感じる。もうすぐ近くまで来ているらしい。でも間に合わないだろう。
             ・・・・・・・・・・・・
男は傷を負わされた腹いせにいたぶって殺すらしいので、その間に男は捕まるだろう。怪我はするが死にはしない。大丈夫だ。
痛みに耐える為ぎゅっと目を瞑る。刀が空を切る音がして、そして、


「ひぃッ!!?」


男の悲鳴が聞こえた。
バッと顔を上げたなまえの目に飛び込んできたのは、硬直してぴくりとも動けない男の姿と。

その男に絡みつく無数の腕だった。
地面から生えたたくさんの腕が男の脚を、腕を、首を、頭を掴み、そして。


「ひっぎィああぁぁッ…」


一瞬のうちに地面へと沈んだ。
カランと音を立てて刀が地面を転がる。穴も塹壕もない硬い地面にずぶりと沈んでいった曲者。その曲者を掴む手の中にひとつだけ、見覚えのある手ぬぐいが巻きつけてあった。


「なまえ!」


じっと地面を見つめていたなまえは先生の声に顔を上げた。いつの間にか先生方と六年生がなまえの後ろにいた。
地面を転がったため汚れた衣と気絶してしまっている平太。そして落ちている刀を見て大方の事情は呑み込めたのだろう。委員会の顧問である土井が怪我はないか、と聞かれなまえは頷いた。



厠の帰りに曲者に遭ったんです。僕達を人質にすると言っていました。爆竹を投げつけて逃げたのですが追い付かれてしまい、平太を庇って身構えていたら消えていました。きっと先生方に気付いて逃げたんだと思います。

ぱんぱんと着物の土を払うなまえ。
確かに状況を見るとそれしかないだろう。いくらなんでも三年生のなまえがプロ忍を追い払えるはずもなく。
怪我もなく無事であった二人に安堵しつつ、無茶な行動を窘める説教を始めると「うへえ、ごめんなさあい」と肩を落とした。
まあまあ無事だったんだからと周りの先生に宥められ、部屋まで送るから帰って寝なさいと言われ頷いた。どうやら仙蔵が送って行ってくれるらしい。平太を見ると食満が負ぶっていた。








「どうして爆竹なんて持っていたんだ」


当たり前のようにぎゅっと手を握られ多少困惑しながら仙蔵が聞いた。
六年生の夜間訓練の終了間際に聞こえた発砲音に駆けつけると下級生二人が地面に座り込んでいた。この後六年生は先生方と手分けして周囲の警戒に当たるのだろう。明日は朝から忍務が入っているというのに。仙蔵はため息を隠しながらなまえを部屋まで送り届ける役を担った。
それにしてもこの後輩はもう三年生だというのに甘えたすぎないか?それともやはり先程の出来ごとが怖かったのだろうか。
そうは見えないなまえの様子を観察するが、当のなまえは「久々知先輩から頂いたんです」とにこにこしていた。


「久々知から?」  ・・
「はい。護身用にと。何かに遭ったら火をつけて投げつければ相手を怯ませることが出来るし、音に反応して上級生が来てくれるからって」
「…そうか」


先日の神隠しの件もあって久々知も後輩が心配なのだろう。この後輩は恐らく仙蔵には見えないモノを視る。そしてそういったモノに恐怖を感じない。つい先日も今も普通なら顔色が悪くなるような経験だというのに既にけろっとしている。あまりに危なっかしい後輩だ。
久々知も苦労するな、と六年生不在の委員会を切り盛りする後輩に同情しつつ、部屋の前にまで送り届けた。


「立花先輩、ありがとうございました」
「気にするな。早く寝るんだぞ」
「はい。先輩は明日忍務があるのにご迷惑おかけしてすみません」
「え?」
「でもそのおかげで他の先輩より早くあがれますね」


それじゃあおやすみなさい。
へらっと笑って部屋の中に消えて行ったなまえ。部屋の中から何やらなまえを問い詰める声を聞きながら、仙蔵はしばらくその場に立ち尽くした。


















「何その背中!」


今日の起床時間はなまえと孫兵のほぼ同時だった。朝起きて着替えている最中のこと。
何気なくなまえに目を向けた孫兵はその背中の後にぎょっとした。


「背中?何か憑いてる?」
「今なんか漢字変換がアレだった気がするけど痣が出来てるよ」
「痣?…あー、昨日蹴られたから」
「蹴られた!?聞いてないよそんなこと!大丈夫だったって言ってたじゃないか!」
「蹴られただけで大丈夫だったよ」
「全然大丈夫じゃない!」


そもそもなまえの「大丈夫」の基準はおかしい!
ぷんぷんと怒りながら手早く着替えを済ませた孫兵はなまえの着替えを手伝う。「自分で着れるよー」と言うなまえを無視して最低限の身支度を整えさせると手を握った。


「保健室に行くよ。保健委員にたっぷりお説教して貰わなくちゃ」
「ええええ。やだよ孫兵。何でそんないじわる言うの?」
「そんな痣こしらえて黙ってるなまえが悪いの」
「痛くないから気付かなかったんだもの。仕方ないよー」
「もう!」


ガラリと戸を開けると踏み出そうとした足元に何か置かれていることに気がついた。
降ろそうとしていた足を退け、拾い上げてみるとどこかで見た事のある手ぬぐいだった。


「これ、なまえのじゃないか?」


手渡すと「ホントだ」と受け取った。
それはあの腕になまえが巻きつけてやった手ぬぐいだった。綺麗に畳まれたそれをぱらっと広げる。血が滲んでいたはずの手ぬぐいは新品の様に綺麗になっていた。


「洗ってくれたのかな?すごい綺麗」


すごい!と笑うなまえに誰かに貸していたの?と孫兵が問う。
肯定してうふふと嬉しそうに懐にしまうなまえ。「お礼しなくちゃ。何がいいと思う?」と尋ねるなまえを保健室に連行しながら孫兵は思った。相手はきっと人間ではないのだろう。


「昨日の夜ね、曲者から助けてくれたんだよ。にゅっと地面からいっぱい出てね、地面に引っ張りこんじゃったの」
「それはすごいね」


何だか恐ろしいことをさも嬉しそうに話すなまえに、やはりこの浮世離れした友人は自分たちがしっかりとこっちに繋ぎとめておく必要があると、孫兵は改めて思った。
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